「労働」という言葉を、皆さんはどう捉えるだろう。聖書では「労働は罰」とされる。アダムとイブが罪を犯したために、罰として労働を科されたのである。しかし、アニミズムベースの文化がある日本ではむしろ、神に仕える神事の側面があった。働くことは大切な営みであり、大きな意義があるのだ。
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「労働」から脱する
私は「働く」と「労働」には、差があると感じている。「働く」ことは、諸説あるが、傍らの人の暮らしを豊かにすることにあるらしい。自己だけでなく、他人や社会と発展するための言葉のようだ。一方の「労働」が語源とするlaborは、苦役や痛みの意からという。
戦後、高度経済成長期の中心にいたのは、政治や国民的英雄の存在ではなく、世界に誇る、優れた経営者やアーティスト、つまり「創造主」たちの存在だ。彼らは当然「労働」ではなく、自身の道のための仕事を成してきた。彼らが形づくってきた「クリエイティブ」は、「Japan quality」として高く評価され、世界でもたけているといえるだろう。
私たちはもともと「労働者」ではない。自由意志を胸に抱いた人間として生まれてきたはずであり、誰もが「クリエイティブ」な生き方ができるはずだ。
日本全体が低迷期にある今、私たちは日本の価値観だけで生きるのをやめなくてはならない。50年に向け、ウェブ3やプロジェクト型エコノミーが主流となる社会で、他の先進国では「労働」ではなく、必要な時間だけ働き、必要な分だけ報酬を得る働き方がますます主流になっている。さらに、かつてグラミン銀行の創設者のムハマド・ユヌス博士が定義した「ソーシャル・ビジネス」という、利益ではなく、社会課題を解決するためのビジネスの在り方が広がり、新たな資本主義社会の潮流が大きくなっている。
そうした世界の流れを理解した上で、必要なのは、グローバルで共通のスキル(例えば英語、IT技術は全世界共通の言葉だ)を磨き、世界中のあらゆる価値観を受け入れられる心を養うことだ。今、より多くの選択肢を手に入れることは、必然的に高い自由度を手に入れることにつながる。スキルの習得がどうしても難しくとも、心を養うことはできる。
自分の幸せに真剣に
円安や90年代以降ほぼ給料が上がっていない状況に異を唱えない人はいないだろう。しかし、SDGs(持続可能な開発目標)や環境問題、カーボンニュートラルの目標達成など、私たちの未来に直結する課題に対し、もし他人事なのだとしたら、その一番の理由は、自分の幸せに真剣に取り組んでいないためだ。
人生の大半を占める仕事の時間を、もっと楽しいものにし、自分の人生のゴールと直結する働き方ができたら、きっとやりがいも充実も得られる。それこそが、自らの自由意志の体現につながる。
かつて「働く」ことが尊いことであり、数多くの「創造主」が生まれてきたように、人生に豊かさをもたらせるかどうかは、何のために、どう「働く」か次第だ。そして私たちの働き方が、世界に必要なエッセンスをもたらすだろう。
(Freewill CEO・トシ・アサバ)
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