ビームス「フェニカ」ディレクター テリー・エリスさん、北村恵子さん 使うほど好きになる価値ある物を届けたい

2021/05/06 06:27 更新


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 ビームスの「フェニカ」は、デザインとクラフトの橋渡しがテーマのレーベルだ。ディレクターのテリー・エリスさんと北村恵子さんが、ヨーロッパや日本を旅して出会った服や家具、食器、雑貨、食品などを独自の目線で選び、手を加え、日本の消費者に紹介している。ライフスタイル提案の草分け的存在の2人に良い物を見つける秘訣(ひけつ)と、こんな時代、ライフスタイルショップに求められる役割は何か、聞いた。

作り手も着る人もトレンドを生み出す担い手

 ――ビームスの仕事を始めたのは。

 北村 86年からロンドンオフィス勤務という形で始めたんです。当時は「エル」のUK版に小さく紹介されていた靴を手掛かりにベルギーまで「ダーク・ビッケンバーグ」を買い付けに行ったり、セント・マーチンズを卒業したばかりのジョン・ガリアーノとか、クリストファー・ネメスとか、ロンドンで面白いと思った人たちの服を原宿のインターナショナルギャラリービームスで紹介していました。

 エリス 「インバーティア」「ハスキー」「バブアー」とか、当時日本に代理店のなかったクラシックでトラッドなブランドの商品やビスポークの靴、スーツのブランドも紹介しましたよ。そのままだと日本で受けないから、絶対三つボタンだっていうサビルローのテーラーに二つボタンにして、ゴージの高さも変更してもらって、それでスーツを作ってもらうとか、仕様の変更もお願いして。

 北村 向こうの職人さんもすごい頑固で、最初、やり取りは大変だったんですけど、何回か日本に来てもらってお客様にたくさん会っていただくうちに、日本だとこういうスタイルのほうが着やすいんだというのがわかってもらえて、ビームス独自のスタイルを一緒に作れるようになったんです。

 エリス 89年からはウィメンズのブランドも紹介するようになっていきました。「エミリオ・プッチ」のデッドストックなんかも買っていましたね。当時はプッチさんもまだご存命で、オーダーに行った時は、ご本人とお話することもあった。メンズウェアは作っていなかったから、サンプルを渡してシャツとかサファリジャケットとか、我々が日本向けのメンズスタイルを作ったんですよ。

テリーエリスさん

 ――当時は服の紹介がメインだった。

 北村 あの頃は「ミュウミュウ」「シビラ」とかいろんなブランドが出てきた時期で、まだジャパン社や代理店があまりうるさくなくて、わりと自由に買えたんです。その後、大きなコーナーを作らないと卸さないとか条件が厳しくなりましたけど。

 エリス 90年代半ばから後半になると、自分たちの売り場が欲しいと言うブランドも増えて、独占的に売るには、ミニマムの発注量もけっこう大きくしなければならなくなってきた。

 北村 商社がブランドの輸入代理店になることも増えてきて、買い付けの条件がさらに厳しくなってしまって。

 エリス 立場によって見方は違うだろうけど、当時はファッションってまだ作り手だけでなく、着る人も新しいうねりというか、トレンドを作り出す担い手だったと思うんです。だから面白かった。でも、ファッションがビジネスとして成長する過程で、服が好きな若い人がちょっと頑張れば買えたくらいの値段が、ものすごく上がって。それで僕は興味を失ったんだよ。

北村恵子さん

 ――そこから服以外にも目が向くようになった。

 北村 ビームスも創業から20年が経って、家族のできたお客様は服以外に家具とか器とか、家で使う道具も良い物が欲しくなっているかもしれないって思って。インターネットもない時代だったから雑誌や書籍を読んで、美術館とか博物館に行って生活に良い物って何だろうって調べて、企画書を作ってプレゼンしたんです。そしたら「ビームス・モダン・リビング」ってセクションを作ろうって設楽(洋)社長がおっしゃってくれて。

 エリス 服は高すぎると思うようになった頃、北欧デザインとか、当時少しずつ注目され始めていたミッドセンチュリーモダンの家具が、服よりはるかにファッショナブルだとも感じるようになっていたんです。あの頃ってハイブランドのセーター1枚分の値段でビンテージのイームズの椅子が買えたしね。

見つけた良いものをさらに素敵にして売る

 ――ビームス・モダン・リビングではどんな商品を。

 北村 まず北欧ビンテージの家具を扱いました。アメリカンビンテージの店はすでに東京に2件あったのでそれはやらずに。

 エリス 逆に北欧のビンテージ家具は、第一次ブームの後で、ちっともはやりじゃなかった。でも、50~60年代に流行したプッチを後に買い付けてヒットさせた経験から、一度流行遅れになったものが、時間が経ってまた新鮮に感じられることがあるってことを、僕らは経験的にわかっていたんです。

 北村 北欧モノの中には「マリメッコ」もありました。

 エリス 家具に使われていた生地が素敵でね。ビンテージのサックドレスとかも買い付けていたんです。その後ビームス向けにプリント生地を作ってもらうようになって、それを使ってドレスのリメイクも作った。当時のマリメッコはドイツ向けの輸出中心で、ドレスまでは作ってくれそうになかった。ビームスで売れたら数年後に彼らもまた作るようになりましたけど。 ――仕入れるだけでなく自分たちでも作るようになった。

 エリス マリメッコから生地を買い、それを使って服も作る時、デザイナーや工場に自分たちのやりたいことを伝えて、形にしていった。素人のすることですから苦労もしましたが、作った商品はすごく人気が出た。

 北村 昔のマリメッコの生地がすごく可愛い。これを使って服を作れたら、欲しいと思う人が結構いるんじゃないかってことがきっかけなんですけどね。

 エリス この時の経験で、服の作り方を自分たちなりに学んで、市場にないなら作ればいいと考えるようになりました。

 ――日本の民芸に注目した。

 エリス 90年代半ばには北欧ビンテージが再び人気となり、いろんな企業が参入し始めた。ファッションに関して言えば、国内ブランドも、海外で注目されているデザイナーもビームスは一通り扱うようになった。

 北村 社内のインポートブランドを扱うセクションと同じでは意味がない。それで、モダン・リビングを始める前のリサーチで海外の文献で名前が頻繁に出ていた柳宗理さんの仕事が気になっていたので、日本民芸館に連絡し、柳さんの事務所まで出向いたんです。バタフライスツールなどご自身の作品の復刻をお願いして、柳さんに紹介してもらった産地に出向いて職人さんに会って一緒にお仕事をするようになりました。

 ――フェニカを立ち上げたのは。

 北村 レーベル自体は97年にスタートして、モダン・リビングと並行してやっていました。当時、北欧好きの人たちは民芸なんか絶対受け入れなかったんで。レーベルを分けて見せ方を変えてたんです。それを全部フェニカに統合したのが03年で、この頃には、北欧も日本の民芸もミックスして楽しく使ってくれる時代になっていました。

 エリス 始めた頃の問題は、北欧の器とかに比べ、日本の民芸はあんまりおしゃれじゃなかった。それで普段の生活で使いやすい色や柄、形に変えてもらって。何度かやり取りするうちに職人さんも我々のアプローチに慣れて、日本のお客様にも受け入れられる商品も生まれるようになってきたんです。

着るほどに愛着のわく服や、日常に彩りを与える食器、インテリア、食品までライフスタイル全般を網羅している(ビームスジャパンのフェニカ)

 ――ビームスにおけるフェニカの役割とは。

 エリス 最初は奇抜に感じられても、いつの間にかポピュラーな存在になって、他社も追随してくる。そういう商品を見いだし続けることです。たくさん売れるから良い、ではなく、服でも靴でも家具でも、使った後に手放す時、買った時と同じか、もっと高値で売れるような、価値が減衰しないものを作っていきたいですね。

 北村 ライフスタイルショップってもう普通になりましたよね。その中でもフェニカはもっと掘り下げたものをやっていきたい。コロナもあって、家での過ごし方とか時間の使い方も変わってきて、店頭で売れる商品も1年前と全然違う。そういう中でも「これ買っておいてよかった」とか、使っているうちにどんどん好きになってもらえるとか、そういう商売を続けていきたいし、それってフェニカだからできることなのかなと思っています。

Terry Ellis(左)、きたむら・けいこ 86年からビームスロンドンオフィスとして、バイイングを担当。「エミリオ・プッチ」「ヘルムート・ラング」「ゴヤール」などのブランドを見いだし日本に初めて紹介するなどビームスの成長に貢献。95年に「ビームス・モダン・リビング」をスタート、北欧物を中心に柳宗理のバタフライスツールなども改めて日本の市場に紹介し、日本のインテリアブームの火付け役ともなった。03年から「フェニカ」を立ち上げ、日本を中心とした伝統的な手仕事の紹介にも力を入れている。

■フェニカ

 デザインとクラフトの橋渡しをテーマに日本全国の伝統的な手仕事や世界中から集めた古くからある良い物に、新しい要素を加えて、現代の生活になじむ商品を生み出し、提案しているビームスのライフスタイルレーベル。長く生活の中で使えることを考えて作られた器や小物、家具、食品は、エリスさんと北村さんが日本各地の産地を訪ね、職人たちとコミュニケーションを交わすことで生まれる。東洋エンタープライズやオアスロウなど物作りの技術に優れたメーカーやブランドと組んで作り出すミリタリーやワークの服は、ディテールの再現度だけでなく、デイリーに使える着やすさも兼ね備えている点で評価が高い。

《記者メモ》

 展示会でお話をしたことは何度もあったが、初期のビームスの「目利き」を支えた2人がどういった経緯で、日本の民芸にまで興味を持つに至ったのか、一度聞きたかった。普段住んでいるのはロンドンだが、コロナ禍を避け、今、日本にいると聞き、インタビューをお願いした。

 80~90年代の様々なデザイナーやブランドとの出会いのエピソードはすべてを書き切ることができないほど膨大で、インターネットもないあの時代に、それらを見つけ、日本に届けることができた2人の功績に改めて感銘を受けた。

 「とにかく何か、新しいことを常にやらなければと思っていた」とエリスさんが振り返れば、北村さんは「出会ったものを嫌いになったりせず、何でもひとまず受け入れてやってみた」と続ける。良いものを探し、見つける。一つのことをぶれずに掘り下げてきた結果、目利きを使う分野が服から家具、食器などライフスタイル全般に広がっていたのだなと感じた。

(柏木均之)

(繊研新聞本紙21年3月26日付)

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