【軌跡】《変わり続けるバタフライ 苦境乗り越え再成長した蝶理㊤》生糸問屋から繊維商社へ

2023/12/04 13:00 更新会員限定


京都・西陣にあった頃の本社

 蝶理の創業は1861年、設立は1948年9月。このほど設立75周年を迎えた。現在の業績は好調と言っていい。21、22年度と2期連続で経常利益100億円台を達成した。「新たなステージ」と位置付ける「経常利益100億円台の常態化」の基盤作りに余念がない。

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 社長の先濵一夫は過去を振り返り、「やっと普通の会社になれた」と語る。何度も経営危機に直面し、その度に主力銀行や主力取引先、株主などの支援を受けてきた。03年度の「新生経営計画」を機に事業を再構築し、生まれ変わった。「会社は変わることができる。社員がそれを実感し、自信がついてきた」と先濵は言う。蝶理がたどってきた拡大と成長、挫折と失敗、そして再成長への道筋を追うことで、企業は潰れなければ成長の可能性があることを伝えたい。

生糸問屋として創業

 蝶理は幕末の1861年、京都西陣で生糸問屋として創業した。蝶理を生糸問屋から繊維専門商社にまで育て上げたのが、明治時代末期から昭和40年代半ばまで、約60年にわたり経営に携わった大橋理一郎だ。理一郎は、「蝶屋」を屋号とする大橋商店の長男として生まれた。出生時の名前は理之助で、20歳で大橋商店を継いだ際、父から理一郎の名を襲名した。

蝶理の礎を築いた大橋理一郎氏

 屋号の蝶屋は、祖業の生糸問屋に由来する。生糸(繭)を生み出す蛾(ガ)を美しい蝶(チョウ)と言い換えたものだ。その後、ほかにも蝶屋と名乗るところが増えたため、代々受け継いできた理一郎の名から1字取り、「蝶理」と改めた。

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