《私のビジネス日記帳》PF事業は産業貢献 鈴木信輝
2023/02/22
今回は少し理解しづらいプラットフォーム(PF)事業についてお話しします。経緯から説明します。当社にはたくさんブランドがあります。例えば、それらの売り上げが各10億円あって、それが100個あるから1000億円です―...
「私のビジネス日記帳」はファッションビジネス業界を代表する経営者・著名人に執筆いただいているコラムです。
2023/02/22
今回は少し理解しづらいプラットフォーム(PF)事業についてお話しします。経緯から説明します。当社にはたくさんブランドがあります。例えば、それらの売り上げが各10億円あって、それが100個あるから1000億円です―...
先日、僭越(せんえつ)ながら文化服装学院で特別講義をさせて頂く機会がありました。当日は250人前後の方が出席しており、受講生は文化の学生さん以外にも、企業の新規事業担当の方、リスキリングとしてコンサルファームで働...
日本では中小企業の事業承継問題が取りざたされるが、海外ブランドでも同様であろう。メゾンのトップであればなおさらだが、世界各地に点在する支社長(エリアのトップ)の継承も重要だ。 巨大企業を辞めた私は、独立系の外資フ...
ジョン万こと土佐清水出身の中浜万次郎は、14歳の時に漁に出て遭難し、アメリカの捕鯨船に助けられ渡米。ホイットフィールド船長の養子となり、マサチューセッツ州フェアヘイブンに過ごし、日本人留学生第一号として高い教育を...
74年に名古屋で生まれました。幼少期は三重や愛知などで、しょっちゅう引っ越しをしていました。5年生の時に兵庫の西宮市に移ってようやく定住。行ってみると関西は受験戦争が激しく、三重などでは意識すらなかった塾の存在を...
14年の春、「熊本でスタートアップを?」そんな声が多い中、シタテルという会社を熊本の地に創業しました。今でこそ新シリコンアイランドと称され、TSMC(台湾)の誘致やソニーグループの画像センサー工場建設の計画などが...
日本にいてラグジュアリーブランドの〝モノづくり〟に携わることは、まれである。当時私はグローバル展開するジュエリーブランドの日本支社営業部長だったが、本国の提案する商品展開に少々不満を抱いていた。日本側の意向をくみ...
我が社は23年に創業40周年を迎えます。当初は街の小さなアメリカンカジュアル専門店から出発しましたが、SCの誕生で商店街の疲弊が進み、郊外店の出店を考えるようになりました。そして、設計士とアメリカ西海岸をリサーチ...
阪神梅田本店は、売り場に「ナビゲーター」と呼ぶ社員を配置している。SNSなどを活用して、お客様に日常の暮らしを彩るアイデアやヒントを提案し、ファンコミュニティーの形成を目標にしている。 例えば、キッチン用品担当の...
僕の会社は靴を売っているのですが、販売量の約4割はサンダルが占めています。いつの間にかサンダルが増えたのです。「サンダル屋」と呼ばれてもおかしくないでしょう。 日本の夏の猛暑は、サンダルの着用を加速させましたが、...