パリで見たい巨匠たちのデュオ展(松井孝予)

2018/12/09 06:27 更新


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Basquiat - Schiele
Fondation Louis Vuitton
バスキア展とシーレ展
フォンダシオン ルイ・ヴィトン
2019年1月14日まで
予約/fondationlouisvuitton.fr
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エゴン・シーレ(1890ー1918)とジャン=ミシェル・バスキア(1960ー1988)。

ここに何の関係があるのだろう?

片や表現主義のオーストラリアの画家、片やニューヨーク・ブルックリンのアーティスト。何もなさそうで、実はこの二人、たった28年の短い人生で(バスキアは正確には28才に4か月足りない)、それぞれの時代と絵画技法・表現に反抗した画家という、共通した強い精神を持っていたのです。28という運命の数字を背負った早世のふたり。

フォンダシオン ルイ・ヴィトンでは、パリで25年ぶりとなりエゴン・シーレ展で個人蔵を中心にした約100点を、そしてバスキア展では1980ー1988の作品約120点を展示。ここで初めてHEAD 1981, 1982, 1983  が並んでます。

それぞれの反抗

エゴン・シーレは、ヒトラーが受験に失敗したことでも有名な名門ウィーン美術アカデミーに入学したものの、伝統を重んじる芸術に失望してしまい、グスタフ・クリムトに弟子入り。刑務所に入れられながらも当時猥褻とされていた裸体のリベラルな表現や欲望をテーマに、画法を発展させていく。

画家としての成功を目の前にした、第1次世界大戦終了間際の1918年10月28日、当時大流行したスペインかぜは、シーレの子を身ごもっていた妻エーディトの命を、そしてその3日後の31日、シーレの命も奪ってしまった。シーレは、多大な影響を受けたゴッホの死没年が自分の生年と重なっていたことに運命を感じ、恩師のクリムトと同じ年に亡くなっています。これにも運命なのでしょうか。

ロナルド・レーガン大統領率いる強い共和党による保守主義下の80年代。バスキアは、レーガン政権のエイズ対策の失敗や人種差別政策の欠如に対する、身体から吹き出る不満、不安を、コントラストの強い色彩、力強い線で即興的に表現し、それまでの静かな抽象画、ミニマリズムと断絶した強烈なアートを生み出していく。

1986年、アフリカへの一人旅に失望しニューヨークへ戻ったバスキアは、その翌年のアンディ・ウォーホルの死で孤独へと陥り、1988年8月12日、コカインとヘロインの併用物スピードボールのオーバードーズで逝ってしまった。

Egon Schiele  Autoportrait au gilet, debout 1911
Jean-Michel Basquiat Riding with Death 1988

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Alberto Giacometti E Rui Chafes
Gris, Vide, Cris
Fondation Calouste Gulbenkian
アルベルト・ジャコメッティとルイ・シャフェス
「グリ、ヴィド、クリ」
カルースト・グルベンキアン財団
39, boulevard de la Tour Maubourg 75007 Paris
gulbenkian .pt/paris
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「私たち全員の父」ピカソは画家ポール・セザンヌをこう呼んだそうです。

後期印象派に始まり、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックが20世紀初頭に起こしたキュビスム、アンリ・マティスを中心とするフォーヴィスムに多大な影響を与えたセザンヌ(1839ー1906)。

セザンヌが亡くなった1906年、ピカソはセザンヌの『大水浴図』に感化されたという『アヴィニヨンの娘たち』の制作を始めていました。

セザンヌが20世紀以降の画家たちの父なら、アルベルト・ジャコメッティ(1901ー1966)は、現代彫刻家たちの父と呼んでいいですよね。

でも今の彫刻家が 巨匠ジャコメッティの作品と「コラボ展しない?」と誘われたら??しかもジャコメッティ財団からジャコメッティの未公開の作品もつけてコラボのオファーが舞い込んだら。その彫刻家は、喜びよりも驚いてビビってそんな大役を放棄したいに違いない(と思う)。

2年前、ポルトガル人彫刻家ルイ・シャフェスのもとにジャコメッティ財団から本当にこんなオファーが舞い込んできた。シャフェスはリスボン生まれ。現在もこのポルトガルの首都を拠点にグローバルに活動、ポンピドゥセンターに今年、彼のコレクションが加わりました。彼はスチールで作品を作り、色はブラックかダークグレー。

なのでシャフェスとジャコメッティには、芸術上、何の関わりもなく、コラボ展によくある「ダイアローグ/会話」なんてことが出来ない。

ジャコメッティが死去した1966年にシャフェスは生まれているのですが、彼はエゴン・シーレのようにゴッホに運命を感じなかったようで。ジャコメッティとシャフェスには、伝記的にも歴史的にも共通の要素がなく、シーレとバスキアの例も当てはまらない。

ところがシャフェスは、ジャコメッティとすごい展覧会を実現させました。

タイトルの「グリ(灰色)、ヴッド(空虚)、クリ(叫び)」は、ジャコメッティの詩から見つけたそう。「対をなすジャコメッティのアートとの「出会い」で何をしようか」と自分に問い続け、ジャコメッティとふたりきりになるためのヴィジョンを考えた、とシャフェスは語ります。

「ジャコメッティが彫刻を作る動作を実際に経験してもらおう!」と、このポルトガル人の彫刻家は、線のように細くて昆虫見本のように小さいジャコメッティの6作品が、大きく、そして太ったように見える仕掛けた暗闇の空間に入れてしまった。

闇に裂かれた線を覗けば女性の石膏像が、水玉模様のような穴を除くと初公開のTETE DE DIEGO 1934ー41 (ジャコメッティの弟ディエゴの頭部の彫刻)が自分の手で制作しているように現れる。

この全く意表をつく大胆な見せ方。実はセノグラフィー(展示方)ではなく、この空間自体がシャフェスの彫刻作品になっているのだからさらに驚いてしまう。

ジャコメッティの LE NEZ 1947ー50 /『鼻』をさらに強調するよう鼻を被せた約3メートルに及ぶシャフェスの作品 LA NUIT 2018 /『夜』。

ジャコメッティ作の鼻よりも長い鼻。この鼻は「叫び/Cris」であり、その叫びが夜からいずれは死へ行き着くことを予感させます。

巨匠の作品を通し自らの美を更新した、現代アーティストによる見事なデュオ展。

線のような隙間からジャコメッティの彫刻を見る Femme debout, sans bras 1958 Au-dela des yeux 2018
暗闇の中に作られた斜めの箱に置かれた小さな彫刻 Toute petite figurine  vers 1937-1939 Lumiere 2018
Le Nez  vers 1947-1950 La Nuit 2018

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MIRO
Grand Palais 
ミロ展
グラン・パレ 2019年2月4日まで
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人はよく、「生死をさまよった時、自分が本当にやりたかったことが分かる」と言う。実際そんな境遇にあった人のことも考えずに。

ジョアン・ミロもそのひとり。

1893年、スペインのバルセロナに生まれたミロは、幼少から絵に興味を持つものの、父の意思で商業学校に入れられ、18歳で簿記の仕事に就くが、それがストレスとなり神経衰弱と腸チフスを併発。2か月の間、生死をさまようことに。

父は静養のためにミロをバルセロナ郊外モンチロの別荘に送り、オリーブに囲まれたこの地でミロは芸術家を決意した。

84年ぶりにパリで開催されているミロの大規模な展覧会では、米人作家ヘミングウェイが借金して購入したというモンチロを描いた『農園』(ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)など初期の作品から晩年までの、絵画、セラミック、彫刻、オブジェ、出版物など150点を展示。

ダダ、シュールレアリスム、キュビスム、フォーヴィスムのアーティストたちと交流しながらも、それらのムーヴメントに「静かな反抗」を持ち続け独自の芸術を切り開いていった巨匠ミロをとことん鑑賞するチャンスです。ジャコメッティは1930年4月9日、ミロにこんなメモを送っています。「私にとってミロは大きな自由。私が過去に見てきた芸術より何かとても空気をはらんで、とても解放的で、とても軽やか。全くパーフェクトなセンスを持っている」

本展での見どころのひとつが、ミロがバルセロナで知り合ったスペイン人陶芸家ジョレンス・イ・アルティガス(1892ー1980)の協業作品。このふたりはトータルで386個の作品を制作したそうですが、その全てがユニークピース。ここが同じ作品をいくつか制作したピカソと違うところ。ここではミロとアルティガスの仕事をビデオでも上映しています。

Painting ( Woman, Newspaper, Dog )  1925
Large Figure  ジョアン・ミロとジョレンス・イ・アルティガス

ミロの孫とアルティガスの息子

このミロの回顧展に合わせ、ミロの孫ジョアン・プニェット・ミロさんと、ジョレンス・イ・アルティガスの息子ジョアン・ガルディ・アルティガスさんがグラン・パレでプレスを前に楽しいトーク。

パリ郊外で生まれ今年で80歳を迎えたジョアン・ガルディさんは、パリ・ボザールの学生時代にジャコメッティ(またもや)と親友になり、パリの陶芸のアトリエではブラックやシャガールと一緒に仕事をしたそう。

ジョアン・プニェットさんは、「アルティガスの陶器のアクシデント、偶然、神秘は、炎と灰と煙の魔術!1350度の釜にしか起こりえないこと。だから失敗しても常にそれは成功だ」と話し、ミロの色はアルティガスしか出せないと力説。

実はジョアン・ガルディさんは陶芸家濱田庄司(1894ー1978)に弟子入り(修行中に知り合った日本人女性とご結婚!)。同じ釜をガリーファに作り日本や韓国の陶芸技術を用いながら、父の跡を継ぎミロと共同制作。ハーバード大学、パリのユネスコ本部、大阪万博記念公園跡地、バロセロナ国際空港などの大作となる陶版壁画に取り組みました。

ジョアン・ガルディ・アルティガスさん(左)、ジョアン・プニェット・ミロさん

ピカソの秘蔵 ここで初公開!

さあ、ここで驚きの発言が。ジョアン・プニェットさんが、「実はこのグラン・パレにピカソの未公開作品がある!」と。このスクープに倒れそうになった筆者の目の前で、ジョアン・ガルディさんが突然腕まくり。なんとその腕にピカソ作のタトゥーが。最高のスペイン人コンビ!

初公開!ピカソのタトゥー

ミロ展のグッズ

本展は芸術度の高いミログッズがいっぱい!

アルティーガスのアトリエで作られた花瓶(215ユーロ)。ちょっとお高いのですが、まさにミロのブルー、レッド、イエローが、本当に美しい。ジョアン・ガルディさんの直筆サイン入りキーホルダーもあるのですが、アクセスしやすい価格でとてもオススメです! 諸々のミログッズはこちらでどうぞ。Instagram @boutiquesdemusees

ピカソの当たり年

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PICASSO. CHEFS - D’OEUVRE !
MUSEE PICASSO
museepicassoparis.fr
ピカソ。傑作!
パリ国立ピカソ美術館
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兎に角、パリだけでなく南仏やあちこちでピカソの何とか展がいつもいつも開催されているので、「ピカソ!」のありがたみが薄れつつ。慣れって怖い。でも今年(芸術界は9月スタート)はピカソの当たり年!

前述のミロの友人でもあった、パリでミロと活動を共にしたピカソの2つの展覧会もお見逃しなく。

誰でも知っているスペインの巨匠。傑作ばかりありすぎて、どうして傑作なのか、どれが傑作なのか分からない。そんな疑問にお答えしようというのうが、この展覧会「ピカソ。傑作!/PICASSO CHEFS - D’OEVRE 」世界から集められた約100点を展示。

ピカソは少年時代、すでに「ラファエロのように描けた」と言ったそうで、実際恐るべき凄い絵を描いているのですが、画家としての原点となった作品が、15才の時に制作した油絵『科学と慈愛』。1895年、ピカソはジフテリアに倒れ死に瀕した妹コンチータの命と引き換えに自分の絵の才能を捧げる、と神に誓ったのですが、妹は帰らぬ人に。そしてピカソは思った。「妹が自分を画家にしてくれた」と。

この絵に描かれている医師のモデルは美術教師だったピカソの父。そして『科学と慈愛』はバルセロナ美術学校の展覧会で選外佳作、マラガの展覧会で金賞を受賞。ピカソが画家となるバルセロナのピカソ美術館蔵のこの作品は、今回初めてパリで、病室を訪問するような演出で展示されています。

そして本展の最後には意外にも、ピカソのデッサンと17世紀のオランダの巨匠の自画像が(行ってみてのお楽しみ!)。

オルセー美術館ではパリ国立ピカソ美術館と共催で、「ピカソ 青の時代・薔薇の時代」展が開かれています(2019年1月16日まで)。

Science et Charite 1897
Petit cheval 1960



松井孝予

(今はなき)リクルート・フロムエー、雑誌Switchを経て渡仏。パリで学業に専念、2004年から繊研新聞社パリ通信員。ソムリエになった気分でフレンチ小料理に合うワインを選ぶのが日課。ジャックラッセルテリア(もちろん犬)の家族ライカ家と同居。



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