ジュネーヴの小さな旅1_ カルージュで出会った、静けさと未来の美学(松井孝予)

2025/07/01 06:00 更新NEW!


ラグジュアリーという言葉に、改めて意味を問い直すなら_わたしは、そのヒントをジュネーヴで見つけたかもしれない。

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国連や赤十字をはじめとする国際機関と金融、格式と時計産業の伝統。この都市には、揺るぎない“品格”がある。けれど、その品格の裏には、“変わらないこと”への静かな違和感も確かにあるように思えた。

ある春の日、Carouge(カルージュ)という街区に足を向けてみた。石畳の道を歩いていくと、サステイナブルなライフスタイルを選ぶ人々に出会い、パリに例えるとサンジェルマンのような、ル・マレのような、左岸と右岸を彷徨うような空気だった。

ジュネーヴという古都のイメージが、さりげなく少しずつ、新しくなっていくのを感じた。

そして_ この街で“格式あるラグジュアリー”は、本当に変わりはじめているのだろうか?

Carouge  カルージュ

では、この“変化の兆し”がいち早く感じられる場所。Carouge(カルージュ)へと、足を進めた。

トラムで中心街から10分ほど北へ向かうと、かつてサヴォワ公の領地として城壁を築いた小さな町があった。19世紀以降ジュネーヴに併合されたこの地域は、その独自の輪郭を今に保っている。

石畳の小径に沿って並ぶのは、アルティザン(職人)たちの小さなアトリエ。次の時代を担うサヴォワールフェール(職人技)の担い手たちが、素材と技術にじっくりと取り組んでいる。

隣接するレストランでは、シェフの得意技を活かし季節の食材から香りを引き出し、小劇場では地域文化が感じられるプルグラムが開かれる。

カフェもまた、「まちなかの居場所」としての親密な空気を醸している。

この地区で見えたのは、自分たちの手仕事に誇りを持ち、サステナビリティを大切に一点一点に向き合う姿勢だ。それは「高級」「豪華」というよりむしろ、創造に求められるラグジュアリーの美意識のように見えた。

そんなCarougeの一角で、ダニエルのブティックがひっそりと存在感を放っていた。次は、彼の店と、そこに込められた“再考されたラグジュアリー”を見ていこう。

PENSADEMAIN  パンスアドゥマン

そんなCarougeの一角で見つけたのが、「PENSADEMAIN(パンスアドゥマン)」という名のアップサイクリング・ブティック。

石畳の路地に面した扉を開けると、そこには、過去と現在とが穏やかに調和した空間が広がっている。


ブティックを営むのは、「ディオール」「セリーヌ」「アルマーニ」で30年にわたりヴィジュアル・マーチャンダイザーとして活躍してきたダニエルさん。

彼は5年前静かに一つの決断を下した。「そろそろ、自分のために何かを始めようと思ったんです」そう語る声は穏やかで、けれど確かな情熱を含んでいる。

ダニエルさん

「新しいものを買い続けるより、忘れられたモノにもう一度光を当てるほうが、よほど意味があると思うんです。デコレーションのあり方も、環境に配慮したものであるべき。」

店名〈PENSADEMAIN〉は、ジャン・コクトーの言葉 “Il faut faire aujourd’hui ce que tout le monde fera demain(みんなが明日やることを、今日のうちにやっておこう)” に由来する。

「インテリアは、自分らしさを映すものであってほしい。ファッションと同じように、コピー・アンド・ペーストじゃなく、自分の“眼”と“感性”で選び取ってほしい。」


店内に並ぶのは、蚤の市で見つけた家具や陶器、古い照明、味わいのある生地など。

いずれも時を経た素材たちだが、ダニエルさんの手で、時に新たな命を与えられ、ふたたび「今」の暮らしに潤いを与える存在として生まれ変わる。「色は静かなものを選ぶようにしています。強い赤や黄色は使わず、どんな空間にも自然に溶け込む、やわらかで穏やかな色調が好きなんです。」


一点一点が、記憶と手仕事の温もりを伝える「物語のあるオブジェ」だ。

たとえば、壊れたランプに新しいコードを取りつけ、金彩を施して蘇らせたり、アンティークの作業着に手刺繍やアンティークプリントをあしらったジャケットを限定で仕立てたり。どれもが一点物で、どこか詩的な美しさがある。

作業着をアップサイクリング

「大量生産された家具に囲まれるよりも、自分らしい空間で暮らしてほしい。インテリアも、服と同じように“自分を映すもの”だから」とダニエルさんは語る。お客との対話を大切にしながら、リメイクの相談やコラボレーションも少しずつ始めているという。「この場所が、ほんの少しでも“やさしい未来”を考えるきっかけになればいいなと思っています。」

そう語る彼の店は、単なるブティックというより、どこか展示空間のようでもあり、小さな劇場のようでもある。音楽、香り、光_

そこに身を置くことで、訪れる人は、誰かの“思い描いた明日”を体感する。


■Pensademain Sàrl

20 Rue Saint-Victor, Carouge, Genève, CH, 1227 +41 78 62 72 409
Instagram: @pensademain

Bistrot du Lion d’Or  ビストロ・デュ・リヨン・ドール

ブティックを後にし、午後の陽ざしに誘われて、石畳の通りをもう少し歩いてみる。

辿り着いたのは Le Lion d'Or(ル・リヨン・ドール)──18世紀から旅人を迎えてきた、カルージュでも最も古いビストロのひとつだという。

木のテーブルと、どこか懐かしいレトロなインテリア。肩の力を抜いた温かさに包まれて、グラスを片手にひと息。

南西フランス出身のシェフ、ロマン・デヴネン氏が手がける料理は、味も香りも深く、そして軽やか。湖のフェラ(淡水魚)を燻製にし、アーティチョークとそばの実を添えた前菜には、思わず感嘆の声が漏れた。

ミシュランのビブグルマン(価格以上の満足が得られる店)にも選ばれているこの店は、料理だけでなく、ワインセラーもまた垂涎もの。

すべてを味わうことは叶わないけれど、いつかまた、ゆっくりとこの席に戻ってきたい──そんなふうに思わせる場所だった。

ジュネーヴという街が、ガストロノミーの喜びにおいても、こんな表情を見せてくれるとは。それは、旅の途中でふと出会った、ひとつの思いがけないギフトのようだった。

ルバーブのパン・ドゥ・スゥークル(円錐型のデザート)
ムース、コンポート、ジュレの3つのテクスチャー
シェフにカーヴを案内してもらう

■Bistrot du Lion d’Or

53 Rue Ancienne, Carou
ge, Genève, CH, 1227 +41 22 342 18 13
https://liondorcarouge.ch
Instagram: @bistrotduliondor

このカードがあれば移動は_ なんと無料!

そんなカルージュの午後を終えて、もう少しジュネーヴという街の奥行きに触れてみたくなった。

《Geneva City Pass(ジュネーヴ・シティ・パス)》は、市内の美術館、ギャラリー、レマン湖のクルーズ、ガイドツアーなど約40の体験に加えて、トラムやバスといった公共交通も無料で利用できる優れたパスだ。

単なる観光ツールというよりも、旅先の街と“静かに、賢く、親しくなる”ための鍵。選べる有効期間(24・48・72時間)も、旅のペースに合わせられる。

この街を、ただ歩くだけでなく、少し深く“味わう”ために──

そんな心のありようこそが、ジュネーヴで見つけた、新しいラグジュアリーのかたちかもしれない。

それではア・ビアント! またね!

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松井孝予

(今はなき)リクルート・フロムエー、雑誌Switchを経て渡仏。パリで学業に専念、2004年から繊研新聞社パリ通信員。ソムリエになった気分でフレンチ小料理に合うワインを選ぶのが日課。ジャックラッセルテリア(もちろん犬)の家族ライカ家と同居。



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