ウーマン・イン・モーションを追って(松井孝予)

2019/07/19 06:00 更新


ボンジュール、パリ通信員の松井孝予です。

「レポート+」ではパリの文化的な出来事をお伝えしています。

そして「食」もご紹介したいのですが…

食べる飲む作る「食歴」を積む修行中です。(いつの日か「食研新聞」を!)

Women In Motion を追って

さて今回はパリではなくカンヌから。

ケリンググループ※の「Women In Motion ウーマン・イン・モーション」をお伝えします。

ウーマン・イン・モーション?

これは圧倒的男性上位の映画産業界に男女平等を推進するプラットフォーム。

ケリングの会長兼CEOフランソワ=アンリ・ピノー氏が2015年に立ち上げました。

※「グッチ」「サンローラン」「ボッテガ・ヴェネタ」「バレンシアガ」「ブシュロン」「ジラール・ペルゴ」をはじめとするファッション、レザーグッズ、ジュエリー、ウォッチの13ブランドを擁する仏ラグジュアリー企業。サステイナビリティー(持続可能性)を経営理念に掲げる。

映画産業界の女性たち

カンヌ国際映画祭が開催されるクロワゼット海岸

美しいコートダジュールのクロワゼット海岸で開催されるあの有名な映画祭。

その正式名称は、カンヌ国際映画祭。

今年で72回目を迎えました。

それではここで質問です。


“これまでパルムドールを受賞した女性監督は?”


うーん、難しい。

でも答えはとっても短いんですよ。

だってジェーン・カンピオンただひとりなんですから。


カンピオン(ニュージーランド 1954ー)が『ピアノ・レッスン』で同賞を受賞したのが1993年。

この映画祭が創設された1946年から47年後。

それ以降、女性監督の受賞ゼロを更新中です。

当時、わたしは東京の試写室で『ピアノ・レッスン』に重い涙を流しました。

あれから四半世紀も経っているのに、カンピオンがパルムドール唯一の女性監督保持者とはまた涙してしまいます。


と、ここで突然、映画から科学へ話を飛ばします。

この春、パリ・ユネスコ本部で2019年「ロレアルーユネスコ女性科学賞の受賞者のひとり、化学者の川合眞紀さんにお話をお伺いする機会に恵まれました。

川合さんは自然科学研究機構分子科学研究所所長、東京大学名誉教授であり、2018年に女性として初めて日本化学会会長に就任。

就任時のご感想を川合さんへお聞きしたところ、

「(日本化学会140年の歴史で女性の会長が)誰もいなかったなんてびっくりします。感想はそれだけ。」

この一言、強烈でした。

英国人作家ヴァージニア・ウルフ(1882ー1941)のエッセイ『自分だけの部屋』が本国で出版されたのが1929年。ウルフは「女性が小説を書こうとするなら、お金と自分だけの部屋を持たなければならない」と語り、100年後には常識が覆され女性の社会的地位向上に期待しているのですが。現在、職業を問わず女性を取り巻く環境が当時と比較してどれだけよい方向に変化しているのでしょう?


閑話休題。


カンヌと合わせて世界3大映画祭と言われている、ベルリンとヴェネツィアの女性監督最高賞受賞歴を調べてみました。


ベルリン国際映画祭が1951年に創設した最高賞金熊賞では、

  • ラリーサ・エフィモヴナ・シェピチコ監督『処刑の丘』(1977年)
  • ヤスミラ・ジュバニッチ監督『サラエボの花』(2006年)
  • クラウディア・リョサ・ブエノ『悲しみのミルク』(2009年)
  • アディナ・ピンティリエ『Touch Me Not』(2018年)

ヴェネツィア国際映画祭の1949年からの受賞者リストを見ると、

  • マルガレーテ・フォン・トロッタ監督『鉛の時代』(1981年)
  • アニエス・ヴァルダ監督『さすらう女』(1985年)
  • ミーラー・ナーイル監督『モンスーン・ウエディング』(2001年)
  • ソフィア・コッポラ監督『Somewhere 』(2010年)

ベルリン、ヴェネツィアともカンヌより「女性初」の最高賞が遅かったのですが、それぞれ4人が受賞しています。


ここでさらに、ケリング が作成した資料からカンヌ同様「唯一の女性」を挙げると、

アカデミー賞91年の歴史において最優秀監督賞を受賞した唯一の女性

キャスリーン・ビグロー『ハートロッカー』(2010年)


ゴールデングローブ賞76年の歴史の中で同賞を受賞した唯一の女性

バーバラ・ストライザンド『愛のイエントル』(1984年)


セザール賞44年の歴史の中で同監督賞を受賞した唯一の女性

トニー・マーシャル『エステサロン/ヴィーナス・ビューティー』(2000年)


絶句。

ケリング は、スクリーン上の女性たち、映画界のアイコニックな女性たち、ハリウッド・フランス・ヨーロッパのカメラの後ろにいる女性たちの項目でデータをだしているのですが、すべて女性の占める割合があまりにも低い現実にまたもや言葉を失ってしまいました。

「トーク」を聞く

ケリングがカンヌ国際映画祭とウーマン・イン・モーションを立ち上げた時、大胆なチャレンジだ、と感心しました。

世界が注目するあのレッドカーペットに向かって、ラグジュアリー企業が初めて男女平等の声をあげる。

これは冒険です。

「なぜ」ウーマン・イン・モーションが必要なのかその「なぜ」をもっと深く知りたいとの思いを募らせながら、毎年カンヌから届く「トーク」のリリースを読んでいたのです。


「トーク」はウーマン・イン・モーションが開く2プログラムのひとつ。

女性映画人たちがあるテーマで映画産業における女性の現状や意見を発表します。

これまでアニエス・ヴァルダ、イザベラ・ロッセリーニ、イザベル・ユペール、ジョディ・フォスター、サルマ・ハエック・ピノー、エミリア・クラークら70人以上が参加しています。

(この春「ウーマン・イン・モーション」ポッドキャストシリーズがスタート!)

スタッフたちの相当の努力と気合いがなければ、映画祭会期中にこれほどの影響力のある人物でトークなんて組めなかったでしょう。

こうしてトークは1歩1歩確かな成果を掴んできました。

そして今年5年目を迎えた記念すべきウーマン・イン・モーション。

ついにトークを取材する幸運が巡ってきました。

実は何年も前に某国営ラジオ番組のレポーターとして「パルムドールを予想する」任務でカンヌ映画祭を取材したことがあるのですが、試写ではなくトークを聞きに戻ってくるとは!


わたしのとって初のトークは、『デスパレートな妻たち』でブレイクしたエヴァ・ロンゴリア。

このトークがもたらすマジックは、あのエヴァが大女優ではない自分を見せたところ。

ここではエヴァ・ロンゴリアがひとりのメキシコ系米国人女性として映画産業界で自分が体験したこと語り続ける。

彼女と聴衆は一体化していきます。

ファーストフード店でのアルバイト、少しずつセリフがもらえたエキストラ時代。

女優として成功したものの、プロデューサーへの困難な道のり。

女優ではないわたしたちが共有できる体験を聞く。それをまた誰かに伝える。

話すこと、聞くことの大切さ。

そしてそれが希望につながっていくんだなと思うのです。


次のトークは、ウーマン・イン・モーション初のラウンドテーブル(円卓会議)。

エディター、映画会社役員、プロデューサーら6人が、女性が進出できないエンターテイメントのエコシステムの現状と諸問題についてどんどん話が進みます。

ここでのトークが映画界に限らず、女性のだれもが職場で経験したこととリンクしていきます。

「名前で女とわかると、見もしないのに悪評される」との意見に、思わず頷いてしまいました。

わたしは「孝予」という名前をもらったばかりに、いつも男と間違えられます。

小学生時代には男子用運動着を配られ、久月から五月人形のパンフレットが届いてました。

そんな間違いはどうでもよかったのです。

それが社会人になると別な意味で変わってきます。

名前だけでわたしを知っていた男性の多くが、初めて実物のわたしを見ると引くんですよ。

「えっ、松井さんって女だったの」と。

「だから何?」19世紀とあまり変わってないような現実を味わう瞬間です。

19世紀の女性作家、シャーロット、エミリー、アンのブロンテ3姉妹は実名の他に、ベルという名字でそれぞれカラー、エリス、アクトンの男名前のペンネームでも作品を書いています。シャーロットはその理由として、「名前が世に知られるのが嫌だったから」「女性作家の作品には偏見が持たれているという漠とした印象があったから」と告白しています。

同時代のフランス人女性作家ジョルジュ・サンドも男名前。

知られてないだけで、いつの頃からかもっともっと男名前ペンネームの女性作家が存在していたに違いないでしょうね。


閑話休題。


ラウンドテーブルに話を戻すと、ここに参加した南カリフォルニア大学の准教授でアンネンバーグ・インクルージョン・イニシアティブのディレクター、ステイシー・L・スミスとケリング が今年からパートナーシップを組み、ウーマン・イン・モーションの新たな活動として映画界とメディアにおける描写をテーマにした研究に取り掛かります。


トークともうひとつのプログラム、映画産業に貢献してきた女性に贈られる「ウーマン・イン・モーション」アワードはコン・リーが受賞。若手監督を対象にしたヤング・タレント・アワードはドイツ人監督エヴァ・トロビッシュが獲得しました。

「トーク」のエヴァ・ロンゴリア ⒸKERING 2019
こちらはアワード授賞式のディナーのエヴァ、サルマ・ハエック・ピノーと ⒸKERING 2019

「ウーマン・イン・モーション」5年目を迎えて

2015年に始まったカンヌ国際映画祭との5年間のパートナーシップが、この5月に更新され

ウーマン・イン・モーションは2サイクル目に入ります。

これまでの5年間、特に2018年には#MeToo、TIME’S UP、50/50 by 2020 をはじめとしたセクシャルハラスメント撲滅運動の動きも加わりカンヌ国際映画祭は大きく変化しました。

同映画祭の受賞の男女平等を訴える女性たちがレッドカーペットに結集。

多くの女性映画人たちは待遇や賃金の男女平等を主張しました。

そしてカンヌ国際映画祭は、男女平等と透明性確保を定めた憲章に署名。

これにより同映画祭の選考委員会が男女平等の比率で構成されると発表され、他国の主だった映画祭も同憲章に署名。

ル・モンド紙は今年のカンヌ会期中5月18日付で同映画祭で討論される男女平等問題を取り上げました。

意識革命の大切な節目となった今年のウーマン・イン・モーション。

創設当初から重要な役割を果たしてきた偉大なシネアスト(映画人)アニエス・ヴァルダにオマージュが捧げられました。

ヴァルダはカンヌがはじまるのを待たず3月29日、90歳でこの世を去ってしまいました。

生涯現役を貫きすばらしい作品を撮り続けたこの監督であり芸術家は、女性として初めて2017年に米アカデミー、オスカー名誉賞を受賞しました。

ヴァルダのような女性シネアストを支えながら男女平等実現を目標にウーマン・イン・モーションの戦いは続きます。

アニエス・ヴァルダにオマージュを捧げた5周年のメインビジュアル

ウーマン・イン・モーション 写真へと広がる Women In Motion for photography

カンヌからアルルへ。

映画から写真へ。ウーマン・イン・モーションの活動は広がります。

ケリング は今年50回を迎えるLes Rencontres d’Arles アルル国際写真フェスティバル(7月1日〜9月22日)とパートナーシップを結び、同フェスティバルでウーマン・イン・モーションフォトグラフィー賞とウーマン・イン・モーションラボを創設。

わたしが学生時代に毎年通ったアルル国際写真会議(以前、日本語ではこう呼ばれていた)。

あの美しい地での写真のウーマン・イン・モーションとは早くこの目で見たい見たい。

(アルルに取材に行ってからレポートしたかったのですが、実現できずにいます。悔しいのですがここで書いてしまいます。)

Women In Motion Award 

ウーマン・イン・モーションアワードの授賞式は同フェスティバルのオープニングウィークに開始されました。

第1回目の受賞者は、アメリカ人ドキュメンタリー写真家Susan Meiselas スーザン・マイゼラス。

マグナム・フォトのメンバーでもあるマイゼラスは、女性の人生に対する唯一無二の考え方を示し、女性の問題に対する自身のコミットメントを反映させた作品に取り組んできました。

主な作品/ Carnival Strippers (1972–1975), Nicaragua (1981), Prince Street Girls (1975–1990), A Room Of Their Own (2015–2017)


ケリングは同アワード受賞者の副賞として、25000ユーロの報奨金をスーザン・マイゼラスの作品を購入にあて、アルル国際写真フェスティバルのコレクションに加えます。

スーザン・マイゼラス 7月2日のアルルでの授賞式で ⒸKERING 2019

Women In Motion LAB

ここでは歴史家のリュス・ルバールとマリー・ロベールのディレクションで、写真界の約300人の女性のキャリアと作品の研究が行われます。男性によって男性のために続いてきた写真の歴史で、光があてられなかった女性写真家を評価を目的とします。

このプロジェクトの成果は仏出版社Les Editions Textuel から1冊の本として出版される予定です。


今年アルルへ行けなくとも、来年はこそは_ とフェスティバルはまだ開催中なのですが、今から心に誓っておこう。

(Instagram: @kering_officialでアルルの様子が覗けます)


それでは最後に、映画と写真にちなみアニエス・ヴァルダのドキュメンタリーを紹介します。

ヴァルダは本当にすばらしい映画監督であり、そして写真家でもありました。

その彼女と写真家JRの共作ドキュメンタリー映画『顔たち、ところどころ』(仏題Visages Villages 2017)のネットでのレンタルが日本でもスタートしましたよ!(バンクーバー国際映画祭、トロント映画祭のドキュメンタリー部門で賞、オスカー、セザールにノミネート、米タイム誌2017年ベスト10入りとタイトルを多数獲得している。)

JRが運転するフォトマトン車でフランスの村を尋ねながら、ヴァルダとJRが住人たちの「顔」を撮っていくロードムービー。

旅の最後にこのふたりは「あの人」に会いに行くのですが…


それではこのへんで。

A bientôt ア・ビアント

前回までのレポートはこちらから


松井孝予

(今はなき)リクルート・フロムエー、雑誌Switchを経て渡仏。パリで学業に専念、2004年から繊研新聞社パリ通信員。ソムリエになった気分でフレンチ小料理に合うワインを選ぶのが日課。ジャックラッセルテリア(もちろん犬)の家族ライカ家と同居。



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