屋内で建築見学って難しい。縦⒍77メートル、横⒐94メートル。
これはルーヴル美術館が所蔵する絵画で最大、イタリア人画家パオロ・カリアーリ、通称ヴェロネーゼ作『カナの婚礼』(1562ー1563年)のサイズ。大きいですね(ちなみに『モナリザ』のお向かいに展示されてます)。
祝宴に招かれたキリストが石蟹の水を赤ワインに変えた奇跡を描いたこの巨大絵画は、ヴェネチアのサン・ジョルジュ・マッジョーレ修道院の教会に飾られたそうですが、1797年にナポレオン軍により接収され、丸めて船でパリまで運ばれました。
この名画を巡る歴史はさておき、絵画の場合、その大きさに関わらず、運搬して美術館に展示できる一例です。
さて、建築展の場合はどうでしょう。
設計図とか、オリジナル模型とか、写真とか、マルチメディアとか、展示の素材が限られてしまいます。だから実際、ランドマークを見に行ったり(わざわざ遠くまで)、名物タワーに登ったり(長時間並んで)、建築の鑑賞法はフィジックですよね。
Freeing Architecture 『自由な建築』
建築展の大方は、すでに完成した建造物を、設計図や模型で検証するレトロスペクティブ的な方法。
これをポンピドゥーの国立現代美術館建築部門チーフのフレデリック・ミゲイルーが、同館で2018年に開催したフランク・ゲーリー展、ポンピドゥー・メッスで昨年大ヒットした戦後の日本建築を破壊と再生の視点で追った「ジャパン−ネス」展で、建築の見せ方を大きく変えたのですが、パリ・カルティエ現代美術財団 / Fondation Cartier pour l’art contemprain で現在開催中の、建築家石上純也さんの "Freeing Architecture" は、スタイルにとらわれないフリーな建築を、ポエティックなアメージングパークにいる気分で体験、楽しませてくれる革新的な展覧会です。石上さんにとってこれが初の大きな個展となります。
石上さんは1974年生まれ。妹島和世建築設計事務所を経て、2004年に独立。2009年に日本建築学会賞、その翌年にヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞を受賞。
神奈川工科大学KAIT工房(2007年)、House with Plants(庭付き一軒家、2013年)、Cloud Garden(アミューあつぎ8階屋内広場、育児室、子育て支援センター、2014年)、オランダのVijversburgビジターセンター(2017年)、その他にもテーブルやイスのデザイン、ヨウジヤマモトのNYガンズヴォートストリートの店舗も手がけました。
詩を読むように 石上さんの文字ではじまる建築展
Freeing Architecture では、上記の完成した4つの建築物を含め、もうそろそろ完成が見えてきた栃木県のアートビオトープ(アートレジデンス)のウォーターガーデン、山口県のレストラン・ノエル、そして日本、中国、オーストラリア、デンマーク、ロシアで現在進行中の幼稚園、カルチャー施設、協会、モニュメントなども合わせ19のプロジェクトが展示されています。
プロジェクトの展示? それはデッサンや図面ではなく、石上さんの手書きの文字から始まります。
例えば、
谷の底に立つ谷のような教会。
高さ45メートル、幅1.3メートルのエントランス。
奥の礼拝堂に導かれる。
礼拝堂の幅は広く、光は底まで振り注ぐ。
光が奥からやってくる。
これは中国・山東省で建設中の『谷のチャペル /CHAPEL OF VALLEY』を詩のように書いたコンセプト。このチャペルは狭い入り口から奥に行くに従い、45メートルもある屋根のない天井から闇が開けるように光が増して行きます。来場者はそれを手書き文字からヴィジュアル、そして理想的に縮小された模型で、体験していきます。
今年完成予定の那須高原のウォーターガーデンは、「昔々」のお話から始まります。
いまは牧草地。
むかしは水田。
もっと前は苔むす森。
隣の森をここに移す。
水田のような水の景色を流し込む。
苔を満たすように敷き詰める。
この場所の風景の歴史を重ねるように
庭をつくる。
この雲を思わせるような手書き文章はデッサンで表現され、さらに細かい手作業によるまるで呼吸しているような何本もの樹木の模型でプロジェクトを視覚化していきます。
展示模型は日仏間で8か月もかけて制作されました。日本で作られたパーツをパリに運び、中には鉄筋を組み立てコンクリートを流し込む、本物の建物と同じ工程で作られたものも。冒頭で触れた『カナの婚礼』のように丸めて運べない建築のプロジェクトを、どのように見せるか。こうした制作努力が今までの建築展にない驚きと感動を与えているのでしょう。
山口県の住居兼レストランは、建築の工程を逆からスタートさせ、洞窟のようでファンタジーなおとぎ話の場面を見ているよう。船でしか行き来ができないコペンハーゲンの『平和の家/HOUSE OF PEACE』は、平和モニュメントのプロジェクト。3000平方メートルの海上の外部空間で、海の環境を活かした空調システムを取り入れた瞑想の場所となるそうです。
海だけでなく、池や、空や、雨、深林などの自然と生きる、石上建築の思想。展覧会のタイトルが教えてくれるように、Freeing Architecture !
「古代から現代までの建築の流れの中で、論理的に自分がどこの嵌るのかは、評論家や専門家に任せます。ただ建築には連続性がなければならないと思っているので、自分は末端にいるという感じです。丹下さんのように時代を変えるには、運も必要なのでしょうが、凄いエネルギーとクリエイティブが伴わないとできないことです」
と石上さんは語ります。
丹下健三(1913ー2005)は、戦後の状況下で、日本国民に生活と福祉の向上を国土計画の目的とした建築家。1960年代に情報化社会を目指した都市建築の構想を持った、当時としては稀な存在。「美しきもののみ機能的である」という名言を残しています。
「ひとつの建築のスタイルを決めるとやりづらくなるんです。あるスタイルを作ることが建築家の役割ではありません。できるだけ多くの価値観に対応する建築を考えていきたい。個人個人がそれぞれの理想を持っている現代において、単に理想を抱えたプロトタイプを作るのでは、建築家としての役割は果たない。多種多様な方向性でつくっていかなければなりません。この展覧会はそのいくつかの例として見ていただきたいと思っています」
現代に求められている建築について、石上さんはこのようにお話してくれました。カルティエ現代美術財団で、その建築に浸ってみよう。
【インフォメーション】
Freeing Architecture 『自由な建築』
カルティエ現代美術財団 Fondation Cartier pour l’art contemporain
9月9日まで(好評につき会期延長)
松井孝予
(今はなき)リクルート・フロムエー、雑誌Switchを経て渡仏。パリで学業に専念、2004年から繊研新聞社パリ通信員。ソムリエになった気分でフレンチ小料理に合うワインを選ぶのが日課。ジャックラッセルテリア(もちろん犬)の家族ライカ家と同居。