坂口捺染社長 坂口輝光さん 自由に甘えず成長する会社へ

2023/12/08 11:30 更新有料会員限定


坂口輝光さん

 プリント加工業の坂口捺染を継ぎ、業績を大きく伸ばした3代目坂口輝光社長。派手な見た目と自由な働き方で注目を集め、地元の岐阜県では一躍有名人だ。古着、サーフ、モード系など大のファッション好きだが、趣味を聞くと「誰かの人生を背負うこと」。酒は飲まず「お付き合い」は一切しない。「社会的に弱い立場の人を救いたい」という。社内ではシニアやシングルマザー、特別支援学校の卒業生など多様な人材を雇用し、福利厚生の充実で〝従業員ファースト〟を貫いている。そして今、坂口社長の思いは社内にとどまらず、社外に広がっている。

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行動力の源は人を喜ばせること

 ――「誰かのために行動する」という考え方はどのように培われたのか。

 当社はきものの友禅染めとして祖父が創業しました。私が生まれた頃は職人さんが住み込みで働いていて、祖父や父は従業員を大切にしていました。熱心に従業員の話に耳を傾けていた。母は、残業して働く職人さんたちにご飯を作ってふるまっていました。周囲から「そこまでするか」と言われるくらい、面倒を見ていたのを覚えています。

 そのせいか、誰かのために行動するのは自分にとって当たり前でした。自分のためよりも、周囲が喜んでくれるかどうかを考えた方が楽しいし、行動力にもなる。

 ただ、高校卒業後はすぐに就職したくなく、日本の大学にも行く気がなかったので、米国のデンバーとロサンゼルスで学生生活を送りました。古着が好きで、バイヤーをしたり、妻に出会ったりと楽しかった。語学留学していた妻が先に帰国したタイミングでプロポーズし、学生生活を続けながら一時帰国し、結婚式を行いました。結婚を機に仕送りに頼らず自分で働くようになり、大学卒業後は2人の子供に恵まれました。

 学生時代は、「人の物は俺の物」と、「ジャイアン」のような傲慢(ごうまん)な時期もあった。ただ、家族を持ったこと、稼ぐ大変さを知ったことで変わりました。回り続けるこまのようにしっかりとした軸を持ち、誰かのために行動する。人を喜ばせること、楽しませることを今は生きがいとしています。

 ――大学卒業後は帰国し、坂口捺染に入社した。

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