中国産の靴下輸入に限界を感じ、2011年に奈良の自社工場を建設したが、当初の工場運営は紆余(うよ)曲折が続いた。軌道に乗って以降、もう一段の設備投資を続けながら、新商品の開発や新たな売り先の開拓と攻めの経営が目立つ。コロナ禍の昨年も含め、5期連続の増収(20年12月期)を果たすなど、厳しい靴下業界の中にあって、成長を遂げている。新工場の土地も確保、EC販売や海外販売の強化など次世代に向けた施策も進めている。
苦労した奈良工場の立ち上げ
――奈良工場の建設は東日本大震災と重なった。
2000年代から中国製靴下の開発輸入を本格化し、比較的順調に業容を拡大してきました。ただ、将来的な企業像を考えたとき、卸という業態がいつまで続くのかという疑問は常に持っていましたし、新規顧客を開拓するときに「工場はどこですか」と聞かれることも増えていました。
海外を含め様々な場所に視察に行きましたが、最終的に奈良を決断することになります。長く中国に通うなかで、特に2000年代の人件費上昇は目を見張るものがありました。ウィーチャットなどが急速に広がり、隣の工場の給料がいくらという情報もすぐ手に入る。中国の人件費が日本と変わらない日も遠くないと。
奈良の靴下産地の縮小は続いており、こんな時期に工場を新設するのかという声もけっこうありました。ただ、奈良の持つ周辺産業の集積力は魅力。また、母親が奈良の靴下工場出身で、自身も修行時代を過ごしたこともあって、最終的に葛城市に工場を新設しました。
――立ち上げは苦労したと。
実際の物作りはやはり素人です。比較的高齢のベテラン職人を採用し、編み機を揃えましたが、後日に知り合いの靴下メーカーの社長さんが工場に来られ、「三笠さん、この編み機、いくらでしたか。こんな古い機械は、今どきお金を払わないと引き取ってくれませんよ」と。実際、長年の経験を持った職人でないと使いこなすのが難しい編み機でした。
さらに工場建設が震災と重なったため、建設資材や大工の手配も苦労の連続です。ようやく工場は立ち上がったものの、思うような運営ができませんでした。古い編み機で編んだ靴下は確かに良い味が出るのですが、人材の確保は年々厳しく難しくなります。当社の場合、量産も必要であり、職人しか使えない編み機ではやはり難しい。こうした考えから、永田精機などの新型編み機への切り替えを一気に進め、技術者も一新しました。今は、「靴下ソムリエ」資格も持つ40代の技術者を筆頭に、大きく若返りが進んでいます。24歳だけで4人いますから。
下請け型で値段交渉に追われる仕事は、もう続きません。職場環境を整備し、自分たちでブランドを作り上げていく、企業収益を確保し自らの給料も上げていく。これが何よりも大切です。今は、工場と商品企画スタッフが双方向で議論しながら商品開発を進めるようになってきました。これは大きな喜びです。
丸編みだけでなく島精機製作所の「ホールガーメント」(WG)や関連する3Dデザインシステムを導入するなど、設備には力を入れました。途中、永田精機の靴下編み機事業からの撤退発表などショッキングな出来事もありましたが、ユニオン工業およびイタリアのロナティの新しい編み機を相次ぎ導入していきました。
振り返れば、この間の混乱は、ひとえに経営者としての自分の未熟さゆえだったと痛感しています。
――今も設備投資に積極的だ。
18年には、西日本の顧客開拓のために、西日本営業所を開設し、19年1月には隣接地も購入して、西日本の物流に対応する西日本デリバリーセンターを新設しています。
奈良工場の中身もさらに変わりました。19年2月にはロナティのダブルシリンダーを導入し、商品生産のバリエーションを増やしています。同社の自動リンキング付き編み機は、省力化の面からも大きな武器になってきています。
昨年末には、奈良工場の大幅な改装工事をしました。デザイン入力室を新設し、現有設備はロナティや永田製のシングルシリンダーが25台、ダブルシリンダーが3台、ホールガーメントが6台、5本指対応の横編み機14台、合わせて48台となっています。
海外、ECや新分野にも布石
――新たな工場も計画している。
今年2月には、ホールガーメント4台、ロナティの最新型丸編み機8台の購入契約を終えたばかりで、順次永田の機械と入れ替えていきます。納入は4月から5月になりそうですが、日本の靴下工場には入っていない新鋭の丸編み機もあり、商品開発の幅がさらに広がることを期待しています。
次のステップとして、新たな工場建設用地を既に手配しました。現在の奈良工場から車で5分くらい、大和高田市役所のある通り沿いに、約1650平方メートルの土地を購入済みです。今の工場は約990平方メートルですから、かなり広い土地になります。
公的補助金の申請などの手続きに少し時間が掛かりますが、設計図や配置図はほぼできています。いずれ新工場に生産を集約する形になるでしょうか。1階を横編み、2階を丸編みという形を考えています。
――好調な業績が続く。
20年12月期決算は、売上高が約17億円で15%増、5期連続の増収を見込んでいます。主力販売先である生協ルートが堅調に推移し、年配層向けのシルク使いの靴下なども売れ筋です。
横編みの5本指靴下は設備増強の効果が表れました。つぼを刺激する靴下や手袋も、整体師の先生に登場してもらったユーチューブ動画などが好評で、大手量販店との取引が拡大しています。幸い1月も50%を超える過去最高の伸びでした。今年も引き続き伸ばしていく考えです。
――SDGs(持続可能な開発目標)への取り組みも。
本社のある横浜市が「SDGs 未来都市・横浜」を掲げ、積極的な取り組みを進めています。きちんとした収益を挙げることが前提ですが、地域と一緒になって、環境や従業員の福利厚生など様々な課題に取り組もうと考えているところです。
今後の商品展開ともからむのですが、奈良県立医科大学と組んでメディカル関連商材の開発も進めています。話し込みのなかで、4000人近い職員を対象にメッセージソックスを寄付するなど、関係が深まってきました。そのほか、片方の靴下の再利用や、製造時にできる廃棄物の輪っかの活用など、できることから始めていきます。
――今後の販路開拓は。
商品開発段階から長くお付き合いできる取引先は、これからも増やしていきます。EC販売も大きな課題でしょう。大手ECモールでの販売を続けてきましたが、どうも売れない。ただ、コロナ下で出したランニング向けの「走れマスク」は2万5000枚を超える販売となり、大きな手応えを感じています。コンサルティングを入れながら、新しいステップを考えている段階です。
欧州や中国などを対象にした越境ECもこれからです。単独では難しいかも知れません。奈良の靴下メーカーの有志と組むなど新しい仕組みを考えます。スイス系の商社に勤めていた息子も3月に入社しました。英語、中国語への対応はある程度できますので、今後の展開に期待しています。
現地販売も宿題ですね。上海の伊勢丹での販売を昨年から開始しましたが、関税を考えれば2倍、3倍近い価格になってしまいます。当社の上海法人は、日本向けのムック本向けの服飾雑貨などを主に手掛けており、きちんと収益も出しています。現地販売の仕組み作りに関しては、現法と連携しながら考えていきます。
――将来的な夢は。
やはり日本のまじめな物作りに支えられた商品を世界に向けた発信すること。通常の商品だけでなく、先の奈良医科大学との協業の中でも、リハビリ系の商品や指が真っすぐに伸びない人に対応した商品など、様々なアイデアが生まれています。こうした世界共通の課題を解決する一助になることは、何よりもうれしいことだと思います。
毎朝、各事業所をつないで朝礼をやっています。仕事以外のことでも、日々の気づきなどを回り持ちの当番が報告します。全員が顔見知りであり、こうした風通しの良さも大きな財産になってきました。時代は大きく変わるでしょう。精進して頑張っていきます。
■三笠
62年横浜市磯子区で営業を開始。先代社長の妻(現甘利社長の母親)の実家が奈良県広陵町の靴下メーカーだった縁で、奈良産の靴下を東京で販売したのが始まり。68年に法人化、88年に三笠に社名変更し、横浜市港南区に本社ビルを完成。2000年中国製靴下の直接輸入を開始。06年中国法人である美咖莎飾貿易上海を設立、社長ブログで中国最新事情を頻繁に発信。11年に奈良工場を新設。18年西日本営業所を開設。年商は約17億円。全国の生協ルートのほか、カタログ通販、量販店、スポーツ専門店チェーンなどにレッグウェア、編み技術を活用した関連商品を販売する。
《記者メモ》
「話をするのはあまり得手ではなくて…」と謙遜するが、将来を見据えて打つ一手は、積極的でスピードも速い。国内流通や消費者の変化、中国情勢など経営環境が今後どう動くかなど、常にアンテナを張り巡らしている感を受ける。
仕事、プライベートともに飛び回ることが多いが、機会を見つけては興味や関心のある場所を訪問してきた。国内のみならず、中国やアジア、欧州など海外でも同様だ。この好奇心の強さが次の一手を素早く打つことにつながっているように思える。
半面、奈良の靴下産地が培ってきた地道な技術へも強い共感を持つ。会社の理念も「目標は高く、誠意を持って成し遂げる」という堅実なもの。20年12月期で5期連続の増収という好調も反映してか、横浜本社、奈良工場などを問わず、社員の若さ、表情の明るさが印象的だ。18年に横浜本社の営業職を募集した時、採用予定2人に対し100倍近い応募があったのもうなずける。
(山田太志)
(繊研新聞本紙21年3月12日付)