創業100年を超える野川染織工業(埼玉県羽生市、野川正敏社長)は伝統的な武州の藍染め技法を受け継いできた。藍の天然発酵建て・先染めにこだわり続ける。現在は染色から製織、裁断、縫製までを一貫生産する。主な用途は剣道着。地元に直営店も開設し、藍染めの魅力を伝える。未来を見据え、日常生活に役立ち、楽しくなるようなオリジナルの藍染め商品の開発にも力を入れている。
武州藍の伝統を守る
そもそも藍染めは武士の鎧(よろい)下着として使われていた。日本で庶民の間に定着したのは江戸時代といわれている。抗菌・防臭・虫よけなどに効果が大きい農作業着として広まっていった。関東では利根川流域の肥沃(ひよく)な平野が広がる武州、とくに羽生地域が一大産地となった。藍染めの綿織物「青縞」は、羽生、加須、行田で生産され、野良着だけでなく、足袋の表地などにも使われた。21年に大河ドラマのモデルになった実業家の渋沢栄一氏も埼玉県深谷市の実家で藍玉を作っていたこともあり、武州藍と関係が深い。
野川染織工業は1914(大正3)年に羽生市で創業。初代・野川喜之助氏による「喜之助紺屋」から始まった。創業当初は地域で藍染め産業が盛んで、分業制が主流だったため、糸染め専業だった。現在は同業も数社しか残っていない状況。同社は染色から製織、縫製までの工程を一貫生産する希少な存在だ。
藍染めの原料は、タデ科の植物の葉。夏の開花前に収穫した葉を乾燥させ、さらに発酵させたものを蒅(すくも)という。蒅の製造は、乾燥した藍の葉を堆積(たいせき)し、灌水(かんすい)と切り替えしを15~20回、5~7日ごとに繰り返し発酵させる。完成までに約3カ月。野川染織工業では、希少な徳島県産の蒅を仕入れている。これが藍染めの原液の原料になる。
職人の経験が大事
この記事は有料会員限定記事です。繊研電子版をご契約いただくと続きを読むことができます。
すべての記事が読み放題の「繊研電子版」
単体プランならご契約当月末まで無料!