繊維・ファッション業界の中で、原料から小売業まで多種多様なビジネスに関与し、存在感を示す商社。経営環境の変化に対応し、機敏に機能を変える姿は業界の変化を映す鏡とも言える。商社を通じた業界の過去・現在を、新旧の商社担当の高田淳史記者と山田太志編集委員が探った。
中国内販に難しさ
山田 昔の商社は貿易や流通に介在する仲介が主流で、原料・素材が中心だったが、90年代に入り製品OEM(相手先ブランドによる生産)に大きくかじを切った。ブランドビジネスという新たな切り口を本格化したのもこの時期になる。
製品OEMの主戦場は中国。改革開放を加速した90年代は「商社ビジネス=中国事業」と言っても過言ではない。当時の中国の縫製業の一般工員の給与は、おおむね今の10分の1くらい。中国に縫製拠点を設け、製品を日本に持ってくればまず利益が出る。商社が出資して合弁縫製工場を作る動きも相次いだ。
一方で、中国の経済成長を背景に内販を狙う動きも加速する。97年、中国全土を対象にした伊藤忠商事とイトーヨーカ堂の小売り事業(北京)認可は大きな話題を集めた。
高田 成否は別として、伊藤忠の中国事業はスケール感が違った。その後も杉杉集団やCITIC(中国中信集団)との資本提携など、大きな枠組みの中で中国の成長を取り込もうという強い姿勢が感じられる。その後も商社が様々に関与しながら、日本のアパレルメーカー、小売業は中国に相次ぎ進出していった。