『エル』をデザインした男(松井孝予)

2014/08/18 14:41 更新


「お水いかがですか」と隣のムッシューにすすめると、「水?ありがとう。でも水は健康によくないので、赤ワインをください」と微笑んだ。

 

 
“Elle” 700号の表紙 (c)Elle

 

ここはスイス・ジュネーヴにある美しい湖に囲まれたパント城所有地内にある、MUSEE DES SUISSE DANS LE MONDE / MUSEUM OF THE SWISS ABROD「世界スイス美術館」の附属レストラン。健康にいいと赤ワインを美味しそうに飲むのは、ペーター・クナップ、83才のアーティスト。

60年代に仏モード誌『エル』の初代アートディレクターに抜擢され、約10年に渡り仏モード誌におけるグラフィック黎明期を創った。それだけに留まらず、デッサン、絵画、写真、フィルムと芸術表現の手段をマルチにこなす。カテゴリーにあてはめられない現役のスイス人アーティストだ。

 

 
“Elle” 1000号の表紙 (c)Elle


この日の午前中、ペーター・クナップとここで開催される彼の展覧会 ” Elles, 101 regards sur les femmes / Elles, 101 visions of women ” を一緒にまわった。

ここにはクナップが、『エル』時代から現在までの50年間、常に新しいテクニックを探しながら撮り続けてきた ” femmes ” ファム/女性たちがいる。広角レンズ、ロトフレックスを初めて使用したのは、このアーティストだそうだ。

 

 
当時の人気モデル、ニコルのビフォーアフター (c)Elle

 

クナップは1952年、スイスからパリに移り、ボザールに入学。卒業後、グラフィックアーティストとしてキャリアをスタート。百貨店ギャラリー・ラファイエットの広告のアートディレクターとして活躍した後、ニューヨークに拠点を移し芸術活動を続ける。

そのクナップを、ギャラリー・ラファイエット時代から注目していたのが、1945年に『エル』を創刊したエレーヌ・ラザレフ。彼女の夫、『フランス・ソワール』紙のオーナー編集長ピエール・ラザレフとともに、当時最も影響力を持ったジャーナリストの一人だ。

彼女は第2次世界大戦中、亡命先のニューヨークで『ハーパーズバザー』に籍をおき、同雑誌アートディレクター、アレクシー・ブロドヴィッチと仕事をした経験から、『エル』に斬新なグラフィックを求めていた。

クナップは1959年、エレーヌからの誘いでニューヨークからパリへ戻り、『エル』のアートディレクター兼カメラマンとなり、斬新なレイアウトと写真で世界的に名を馳せる。彼は、これまでの雑誌のコードを破り、活字をデザインのおもちゃのように、イメージと一緒に知的に思いっきり遊んだ。

あの” ELLE “、『エル』のロゴをデザインしたのも彼。今では当たりまえのようだが、有名な写真家 をモード誌に起用したのも彼。オリヴィエロ・トスカーニ、サラ・ムーン、ジャンルー・シーフ… そしてパオロ・ロヴェルシィも彼とコラボレーションした。

クナップの101枚の写真展は、60~80年代のオーダーによる仕事からはじまる。印象的な『エル』の表紙、ページのレイアウトにはタイムレスな新鮮な驚きが尽きない。

「エマニュエル・ウンガロ」「クレージュ」「ピエール・カルダン」「クロード・モンタナ」「ヴァレンティノ」、クナップは構図、オプティックなトリック、カラーと、そして私的なシリーズでは、ネガに傷を入れ被写体の内面を表現する実験的な試みから、2014年作のジュネーヴ在住の多国籍の妊婦を集め都市の行方を2014年の作品まで、彼のヒューマニズムが窺える。

  

 
ピエール・カルダンを着たニコル (c)MUSEE NICEPHORE NIEPCE 

 
「ウンガロ」1970年 (c) Peter Knapp 

 
SKI FUSEE Vogue 1967年  (c)Vogue  




松井孝予

(今はなき)リクルート・フロムエー、雑誌Switchを経て渡仏。パリで学業に専念、2004年から繊研新聞社パリ通信員。ソムリエになった気分でフレンチ小料理に合うワインを選ぶのが日課。ジャックラッセルテリア(もちろん犬)の家族ライカ家と同居。



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