ボンジュール、パリ通信員の松井孝予です。
「レポート+」ではパリの文化的な出来事をお伝えしています。
そして「食」もご紹介したいのですが…
食べる飲む作る「食歴」を積む修行中です。
(いつの日か「食研新聞」を!)
さて今回もパリではなく、オワーズ県のシャンティイから。
SNCF(フランス国鉄)、または車で片道1時間もかかりません。
ルネサンス様式が静謐な美しきお城があるシャンティイ領地で開催中の、レオナルド・ダ・ヴィンチ没後500年を記念する企画展プレス内覧会(長編!)レポートです。
(『裸のモナリザ』に興味がない方は本文をすっ飛ばして、レポートの最後にあるシャンティイ情報へ。兎に角必見のスポットです!)
展覧会
LA JOCONDE NUE ラ・ジョコンド・ニュ
謎、これほどそそられるものはない_
シャンティイ領地で 10月6日まで
Domaine de Chantilly
ラ・ジョコンド・ニュ_ さあ、何という意味でしょう?
ルーヴル美術館蔵、レオナルド作『モナ・リザ』ですが、フランスでは『ラ・ジョコンド』と呼ばれています。
モナ・リザのフルネームは、リザ・デル・ジョコンド。
フランスでは定冠詞のLAを付けて苗字で親しまれているわけです。
「ラ・マツイ」みたいなとこでしょうか。
それで NUE の意味は「裸の」。
ということは、ラ・ジョコンド・ニュは「裸のモナリザ」!
誰が脱いでも驚かなくなった現世で、こんなにそそられる対象はないかも。
あのモナ・リザのヌード、見たいですよね。
この展覧会、ポスターからして挑発的な感じです。
ナイトクラブようなルビーのライティングに包まれた下半顔とヌードの上半身。
その口元、そして両手の位置であの人、モナ・リザと分かりそうな。
そして「 LE MYSTERE ENFIN DEVOILE /この謎がついにベールを脱ぐ」というコピーが怪しげなベストポジションに貼られている。
つまり、「この謎」とは何かがこの企画展を盛り上げるのです。
この謎とは_
絵のモデルはモナ・リザなのか?が謎なのではありません。
シャンティイ城のコンデ美術館蔵の女性上半身ヌードが描かれた大サイズのカルトン(ボードに構図を転写するために目打ちされた下絵)、『裸のモナリザ』。
その作者は誰か?
これが謎の主題です。
(ルネサンスの女性の上半身ヌード画については後ほど説明。)
ルーヴル美術館に次ぐ古典絵画のコレクションで知る人ぞ知る存在、シャンティイ城が誇るコンデ美術館(必見!)。
シャンティイ城の領主だったオーマル公が1862年に超高値で購入した『裸のモナリザ』も同美術館の貴重な所蔵品のひとつです。
ルーヴル美術館蔵の『モナ・リザ』に大きさもポーズも似ていることから、『裸のモナ・リザ』と名付けられました。
紙に木炭と鉛白のハイライトで描かれたエロティックな作品です。
一体誰が描いたのか?
レオナルドか、それとも弟子の手によるものか_
永遠と続いていた疑問を解明するためついに2017年秋、フランス美術館修復研究センター(C2RMF)で調査が行われました。
直接照明、赤外線、紫外線傾向、赤外線反射による科学画像、非侵襲的分析、双眼ルーペによる表面調査により、『裸のモナ・リザ』の制作技術と歴史を解明した結果が、この展覧会で明かされるのです。
ルネサンスのヌードを見よう!
それでは、コンデ美術館の学芸員Mathieu Deldicque マチュー・デルディックさん、ルーヴル美術館絵画部門学芸員長で16世紀イタリア美術ご担当のVincent Delieuvin ヴァンサン・ドゥリゥヴァンさん、そしてレンヌ美術館の古典絵画コレクション責任者のGuillaume Kazerouni ギヨーム・カゼルーニさんらと展覧会会場へ。
この展覧会はルネサンス期の3枚の上半身ヌードの女性肖像画からはじまります。
なぜなら女性の上半身ヌードは何ぞや?というこの時代の背景を知らないと、『裸のモナ・リザ』が盛り上がらんから。
本筋の背景云々、知見を広めてくださいな、というキュレーターたちの意向です。
ファッションだってもちろんそうですよね。
最近の例を挙げると、ヴァン クリフ&アーペルが7月にパリで発表したハイジュエリーコレクション「ロミオとジュリエット」。
イタリアの民話をネタに、ウィリアム・シェークスピア(1564-1616)がルネサンス文学史末期に書いた悲劇(推定執筆年1594-6、初版1597)。
ヴェローナの広場を舞台に、ロミオのモンタギュー家とジュリエットのキャピュレット家の戦いからこの戯曲は始まります。
ではどうしてこの2名門は敵同士なのか?
それはモンタギュー家が皇帝派でキャピュレット家が教皇派だったから。
えっ派閥って何?
これは13世紀の戦争からはじまります。
神聖ローマ帝国皇帝フェデリーコ2世がヴェローナと組んでロンバルディア同盟を征服。
ローマ教皇グレゴリウス9世がこの戦争に怒り、フェデリーコ皇帝を破門にしてしまう。
皇帝派と教皇派の対立が続いていたルネサンス時代に書かれたこの戯曲は、ロミオとジュリエットの死によって両家が和解し、幕が下ります。
ヴァン クリフ&アーペルの卓越したハイジュエリー「ロミオとジュリエット」。
この不幸な星の恋人たちの時代背景を知ると、さらに貴石はさらに深い輝きを放ち、目だけでなく心に響いてくるのです。
『ロミオとジュリエット』の誕生秘話を描いた傑作『恋におちたシェイクスピア』(ジョン・マッデン監督1998年)も、この悲恋劇の本ネタを知っていると映画のフィクションがさらに面白く見ることができます。
そしてそれよりもっと昔の映画『サタデーナイトフィーバ』(ジョン・バダム監督1978年)の1場面、トラボルタ演じるトニー・マネロとカレン・リン・ゴーニイ演じるステファニーの会話では、現代人とルネサンス人の違いが浮き彫りにされています。
トニー:「『ロミオとジュリエット』はとうてい理解できない。早とちりして男が毒を飲むなんて。待ってりゃいいのに」
ステファニー:「当時はみんなそうしたのよ」
閑話休題。
さて3枚のヌードポートレート。
『裸のモナ・リザ』に影響を与えただろうと考えられるフィレンツェとヴェネツィアで活動した新プラトン主義(ネオプラトニズム)をモチーフにした美しき3人のヌード絵画を見ていきます。
15世紀のフィレンツェではメディチ家を中心に哲学者プラトンが生きた古代ギリシャの思想や文化の研究が盛んになり、サンドロ・ボッティチェリ(1444/45-1510)、ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)、そしてレオナルドらルネサンスの画家や文学者たちに大きな影響を与えています。
ヴィーナスのように描かれた婦人のヌードは、フィレンツェでは美と清純な愛の原型となり、一方ヴェネツィアでは誠実、愛、芸術のインスピレーションのシンボルとなりました。
ここではボティチェリのアトリエ(工房)が描いた若い女性の肖像、ヴェネツィアのモナ・リザとも呼ばれている、バルトロメオ・ヴェネト(活動期間1502-1531)の『 Idealized Portrait of a Courtesan as Flora』、そしてコンデ美術館の花形、ピエロ・デ・コジモ(1461頃-1522)作『シモネッタ・ヴェスプッチの肖像』が展示されています。
シモネッタはフィレンツェで絶世の美女と呼ばれ、23歳でこの世を去った実在の人物。
メディチ家のジュリアーノのプラトニックラブのお相手だったと言われています。
彼女と南米大陸を発見したアメリゴ・ヴェスプッチ(1454-1512)は親戚関係。
ちなみにボッティチェリも彼女をモデルに、右向を向いた『美しきシモネッタの肖像』を残しています。
この絵は丸紅株式会社のコレクションのひとつ。
こちらで鑑賞できます。
https://www.marubeni.com/jp/insight/collection/art_overseas/
いよいよ『裸のモナ・リザ』
女性のヌード肖像画の発展をみたら、いよいよです。
赤い壁で半円形に仕切られた黒い空間。
ここで『裸のモナ・リザ』が静かな微笑みを浮かべながら、来場者を待つランデヴーの場所。
『裸のモナ・リザ』に会った瞬間、彼女はルーヴル美術館のモナ・リザではないことが明らかに判明します。
ならこの女性は誰?
まずはこの疑問から解いていきましょう。
『裸のモナ・リザ』のモデルは、この世のものでもあの世のものでもなく、レオナルドが古代ギリシャ・ローマから着想をえた想像の人物。
描かれた女性のヘアスタイルはヴィーナスの彫刻に類似していることから神話の人物をミックスさせた理想美の概念を表現したものではないか_
ということです。
それではポイントとなる研究の成果を、カルトン(『裸のモナ・リザ』)を前に確認していきましょう。
1 この絵の作者は左利きだった。
2 作品を特徴づける重要なポイント、顔とヘアスタイルにスフマート(ぼかし画法)が用いられている。
3 数か所にわたり修正されている(左腕、右手親指、視線が斜視などなど)
またその修正を隠すために漆喰が塗られている。
針打ちした跡がある。
4 ルーヴルの『モナ・リザ』にこのカルトンを重ねると、2枚はほぼ同じ大きさであり、作品の下部と両手が類似している。
それでは答え合わせをしましょう。
1 レオナルドは左利きだった。
2 イタリア語の煙を語源にしたスフマートを発明したのは、レオナルドと言われています。輪郭線を描かずに繊細な陰影でボリュームを表す画法です。
3、4 時間がかけられた修正や転写のための針打ちの跡から、このカルトンはプロトタイプ(この場合「原型」と訳します)であることが証明できる。
以上から引き出せる結論は_
『裸のモナリザ』は、レオナルドのアトリエで制作されたものであり、レオナルド自身が手がけた可能性が高い。
レオナルドが描いた、とは断言していませんが、レオナルドが手がけた可能性が高い、とこの展覧会では断言しています。
そしてどちらのモナ・リザが先かという疑問ですが、おそらくルーヴルの『モナ・リザ』(制作開始1503年頃)が先に描かれたであろうとの推測です。
さてこのカルトン、当時の画家たちに大きな影響を与えています。
その最初の作品とみなされているのが、ラファエロ・サンティ(1483-1520)の『ラ・フォルナリーナ』。
モデルとなったのはパン屋の娘(フォルナリーナとはパン屋の娘の意)。
美男で恋多きラファエロが一目惚れ、そして最後の恋人だったのではと言われている美しい女性です。
この展覧会には『ラ・フォルナリーナ』は展示されていませんが、『裸のモナ・リザ』をお手本にした作品が世界の美術から集められています。
上半身ヌードが当時の重要なモチーフであったこと、レオナルドの影響力がこれらから確認できると共に、『裸のモナ・リザ』の技法の凄さがわかっちゃうんですよ。
『裸のモナ・リザ』ってやっぱりレオナルドが描いたんじゃないの、と。
釘付けにされてしまあの目線、一度見たら忘れられないあの微笑み。
ミケランジェロの弟子、ジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)は著書『芸術家列伝』の中で、レオナルドについてこのように書いています。
「彼は自分の着想を、自分の手をつかい、素描に表現する術を知っていた」(『芸術家列伝3』田中英道・森雅彦訳 白水社Uブックス)
またギリシャの抒情詩人シモーニデーズ(紀元前556頃-468頃)は、「絵は言葉を使わぬ詩、詩は言葉で描く絵である」と残しています。
シモーニデーズ、『裸のモナ・リザ』から伝わる神秘のオーラを言葉にしておくれ。
わたしはキュレーターたちの解説に没頭していたあまり、絵画鑑賞までの余裕はありませんでした。
貴婦人たちのバスタイムへようこそ
ヌード絵画の次なる進展
この展覧会は『裸のモナ・リザ』の神秘に終わらず、ヌードの肖像画の次なる進展をバスルームをテーマに見ていきます。
レオナルドをフランスへ連れてきたフランソワ1世の宮廷画家だったジャン・クルーエの息子、フランソワ・クルーエ(1510-1572)。
父の画法を発展させながら、宮廷画家として活躍します。
彼は『裸のモナ・リザ』に影響を受け、貴婦人たちをモデルに宮廷のバスルームを舞台にした新しいジャンルを確立するのです。
その代表作、ワシントンDCナショナル・ギャラリーの目玉のひとつ『ディアーヌ・ド・ポワティエ』(Dame au bain)がこの展覧会のためになんと115年ぶりにフランスにお里帰り。
モデルとなったディアーヌは、フランソワ1世の息子アンリ2世の美しい愛妾。
そしてあの高貴なおつまみ絵画で有名なルーヴル美術館蔵、フォンテーヌブロー派の画家による『ガブリエル・デストレとその妹』もここにあり。
ガブリエル・デストレはアンリ4世の愛妾。
こうした一連の貴婦人のバスタイムの絵は、春、豊穣、多産を表すイコノグラフィーとして描かれました。
『裸のモナ・リザ』の謎を追う展覧会もこれで終わり。
最後に気がついたのですが、15世紀のイタリアルネサンスから、16世紀のフランスのフォンテーヌブロー派まで、ここにあるのは時と場所を変えヌード絵画だけ。
服を着ていたのは、ルーヴルの『モナ・リザ』の複製画だけでした。
シャンティイへ行こう!
パリから近い、見て美しくそして美味しい
日本では知名度が低いシャンティイ城。
詳しい歴史は省きます。
ヴェルサイユ宮殿がお手本とした城であり、そのヴェルサイユの庭園と同じくアンドレ・ルノートルがここの庭園を設計しました。
ルノートルは、「シャンティイ城の庭園を思い出してくれ」と言って息を引き取ったそうです。
世界で最も美しい厩舎のひとつに数えられている、18世紀に建てられた大厩舎には馬の美術館もあります。
そして美しい庭園を眺めながら、絶品!元祖クレーム・シャンティイ(濃厚なホイップクリーム)を味わうことができる!
交通
列車/パリ北駅からSNCF(仏国鉄)で約25分、Chantilly-Gouvieux 下車。そこから徒歩20分。
車/高速道路A1でパリから北へ約40分、シャルル・ド・ゴール空港から約20分。
松井孝予
(今はなき)リクルート・フロムエー、雑誌Switchを経て渡仏。パリで学業に専念、2004年から繊研新聞社パリ通信員。ソムリエになった気分でフレンチ小料理に合うワインを選ぶのが日課。ジャックラッセルテリア(もちろん犬)の家族ライカ家と同居。