渋カジが流行したのは、88~92年の5年間。東京都内の有名私立高校に通う男子学生が放課後、仲間内で渋谷センター街を闊歩(かっぽ)する際に、同窓の仲間とお揃いで着ていたアメリカンカジュアルの格好を誰ともなくそう呼び始め、それが全国でブームとなった。男子高校生が自発的に始めた、日本で初のストリート生まれのファッショントレンドだ。
口コミが人気に火
初期の渋カジの必須アイテムは「リーバイス」の「501」、「アヴィレックス」のフライトジャケット、「レッドウィング」のエンジニアブーツ、「ヘインズ」のTシャツなど〝メイド・イン・USA”〟のミリタリーやワークウェアのブランド。これらを組み合わせたスタイルが、口コミで都内の高校生の間に広がり、ティーン向けの女性誌が取り上げたのを機にメンズファッション誌もこぞって追いかけ、89~90年ごろに全国区のトレンドにのし上がった。渋カジを着る人口が増えるにつれ、そのスタイルも少しずつ変化、分化していった。
ビンテージ古着を珍重する流れのほか、「紺ブレ」に「紺チノ」を軸にしたきれいめスタイルの「キレカジ」、「バンソン」のライダーズジャケットにベルボトムのジーンズを合わせる「ハードアメカジ」などが生まれた。アイテムやブランド、着こなしの幅も広がると、都内の高校生だけでなく、地方の同年代、大学生にも渋カジ風の着こなしが広がり、当時の10代後半~20代男性が服を着る際の基本の「型」として定着した。
ブームとしての渋カジは92年に収束したが、後のファッショントレンドに影響を与える要素として残った。16~17年に、メンズセレクトショップがこぞって「90年代ストリート」をテーマに自社のスタイリング提案したのは記憶に新しい。
感覚共有しブーム
渋カジが生まれた要因は何だったのか。まず、携帯電話もネットもない時代に高校生だった団塊ジュニア世代にとって、大人世代と違う目線でアメカジを着ることが、仲間内で同じ感覚を共有するコミュニケーションの手段として機能したことがある。ブームがバブル全盛期と重なっていたことも大きい。好景気の中、高校生でもビンテージの501やバンソン、アヴィレックスなどの5万~10万円以上する服にも仲間内で一目置かれるためなら、と投資を惜しまなかった。
ブームの前後、渋谷から原宿にかけて、アメリカの服を豊富に取り揃えたインポートショップが増え始めていたこともある。 当時「インポートショップ」と呼ばれたこうしたショップは「ミウラ&サンズ(現シップス)」「バックドロップ」「レッドウッド」「スラップショット」「ビームス」「ジョンズクロージング」「プロペラ」「ラブラドールリトリーバー」など。
人気を集めたこれらのショップの中には、後にセレクトショップとして大手専門店に成長したところもある。渋カジ世代の、ファッションで差別化したいという旺盛な欲望を満たすだけでなく、その後もターゲットを広げつつ、変わり続けるニーズに沿った提案ができたからだ。
渋カジが生まれた理由と、そのムーブメントの広がりを養分として成長したブランドやショップの存在は、ブランドも店も商品も、時代が変わってもコミュニケーションツールとして機能することが、生き残るために必要な条件だということを教えてくれる。