「生き残るのは、最も強いものでも最も賢いものでもなく、変化にうまく適応するものだ」というのは英国の自然科学者・ダーウィンの言葉。今まさに激変の時代で会社は改革の必要性を叫ぶが、多くはその通りにはならず足踏みする。成熟社会に生きるビジネスパーソンは変化を嫌い、現状維持の慣性が働いて変革はめったに起こらない。DX(デジタルトランスフォーメーション)を根付かせるミッションでリユース企業のコメ兵から転じたユナイテッドアローズ(UA)の藤原義昭さんと、東レで連続して社内起業してきた西田誠さん。チェンジとチャレンジを体現してきた2人に、変わる時代のあるべき姿について縦横に語ってもらった。
■ミクロもマクロも
――来歴から教えてください。
西田 93年に東レに入り、世がフリースブームの時に社内ベンチャーでフリースの商品開発に携わりました。99年にユニクロのフリースがヒットした当時、渋谷マークシティにあったユニクロに飛び込み営業しました。先方も「渡りに船」とその場でとんでもない量を受注しました。その縁もあって00年から2年間、ユニクロへの出向1期生として小売りについて学ぶ機会を得ました。
その後は再度、社内ベンチャーで縫製品を手掛けることになり、UAさんにも一部商品を納入していました。コロナ禍に突入するあたりからでしょうか、DXが声高に叫ばれ、Z世代の台頭や気候変動の問題など世の中が大きく変わりつつありました。一方で、ユーザーの姿がどんどん見えにくくなってきました。それならと、消費者の声に耳を傾け、スピード感を持って商品開発をしようと「ムーンレイカーズ」というプロジェクトを始めました。いわゆるDtoC(メーカー直販)モデルで、クラウドファンディングと自社ECで販売しています。
藤原 99年に社会人となり、前職のリユース企業(コメ兵)に入りました。当時は株式も公開していない質屋ですし、色々なことにアクセスしにくい環境でした。入社2年目にECサイトを立ち上げ、PM(プロジェクトマネジャー)として様々な事業の組み立てや運営をしていました。
本業の配属はジュエリーだったので、毎日高級ジュエリーを触って真贋(がん)判定などもやっていました。年間で数十万点は触っていたのではないでしょうか。ブランドのリングは触れただけで偽物が分かります。量らなくてもグラム単位の重さを体得していましたから。
その後は事業統括しながら、マーケティングや情報システム、デジタル領域の仕事まで全部やりました。出店戦略も立てましたし、08年のリーマンショックや、ぜいたく品の輸入差し止めが影響したチャイナショックでは店舗の閉鎖もやりました。20年にデジタル化を進めるミッションでUAに誘ってもらい、新しいECサイトの立ち上げやコミュニケーションの仕事の変革なども手掛けています。
西田 コメ兵の店舗を訪れた時にすごく奇麗でびっくりしましたが、一足飛びにあそこまで行ったのではないんですね。リアルとデジタルを組み合わせて少しずつプレステージを上げていったのが分かりました。今日のテーマじゃないですが、会社を変えるのって大変ですよね。