《私のビジネス日記帳》人ごとではない自然災害 エンパル代表 金藤純子

2024/08/14 06:25 更新


 1955~1973年の高度成長期に、就業機会を求めて地方から三大都市圏への急激な人口の一斉移動が生じた。夫婦と子供からなる核家族という標準世帯が形成され、その核家族はマイホームを求め、新たに開発された造成地である郊外に移住した。

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 日本全国の住民の高齢化に伴い、移住先の街の高齢化も進んでいる。なかでも、高齢者の増加は地方より東京圏や大阪圏が深刻になっている。移住先はもともと水田や畑であったところを宅地にしており、災害リスクの高い浸水想定区域内であることが多い。18年の西日本豪雨で被災した岡山県倉敷市真備町においても、浸水が深刻なエリアの約7割が79年以降に建てられた建物であった。

 現在の防災での自助では、避難することが優先されるが、避難所や必要物資の供給体制の確立は不十分である。公助のハード対策にも限界がある。地球環境の変化によって、降る雨の量が変わってしまった。

 公助と自助共助の役割については、8月9日に発刊したばかりの拙著『今すぐ逃げて!人ごとではない自然災害』(プレジデント社)に書いており、手に取っていただきたい。災害前の防災対策だけでなく、災害発生後の被災者の支援も大きな問題である。

(エンパル代表 金藤純子)

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