青森県の津軽半島にある金木町(現五所川原市)は、太宰治の出身地として知られる。生家は今も大切に保存され、「斜陽館」の名で一般公開されている。高級な青森ヒバを惜しむことなく使った豪邸で、110年余りの歳月を経ても華やかさを伝える。
県内屈指の豪農として多くの小作人を抱えていたが、太宰自身は家業に反感を覚えていたらしい。代表作の「斜陽」は第2次世界大戦後に没落する貴族を描いたものだが、生家に対する太宰の反感が多分に投影されているという。
津軽には、「こぎん刺し」と呼ばれる伝統刺繍が残る。五所川原市近辺の三縞こぎんも有名だ。寒冷地ゆえ、綿花が栽培できない津軽では、木綿は他の地方からの購入に頼らざるを得なかった。江戸時代の半ば、津軽藩は倹約のために、農民に普段着としての木綿着用を禁じる。ただ、領内で自給できる麻布では冬の寒さを過ごせない。麻の織り目を刺繍で埋めながら、少しでも防寒機能を持たせたのが、こぎん刺しの由来である。
近年、こぎん刺しは、素朴な表情が好評を得て、雑貨小物などで人気を集めている。単なる刺繍なら、どこでも安く作れる。津軽の農民が紡いできた長く厳しい歴史があってこそ、こぎん刺しの持つ価値が高まる。繊維産業も斜陽と言われて久しいが、今一度歴史の財産を見つめ直したい。