三重県松阪市の大通りの一角に、ライオン像がある。三越の始祖である三井高利が松阪出身だった縁で、4年前に三越伊勢丹ホールディングスから市に寄贈されたものだ。ライオン像のすぐ近くには、三井家発祥の地として古い門や井戸なども大切に保存されている。
江戸時代の松阪は、三井家をはじめ数多くの豪商を輩出した。特に伊勢神宮への献上品として優れた技術を持っていた藍の先染め織物は、「松阪もめん」として全国に名を知られていく。往時には江戸の木綿問屋の大半が松阪商人で占められたという。
松阪商人の経営は独特。主人はおおむね松阪に居を構え、地元出身の使用人たちが江戸の店の実際の運営に当たるのが慣例だった。多くの商家が「贅沢(ぜいたく)の禁止」「本業以外に手を出さない」など、様々な厳しい家訓を制定して自らを律した。
海外から綿花が入り近代紡績業が栄えると同時に、木綿問屋の大半が衰退する。三井財閥へと発展した三井家などは例外だ。「本業以外の禁止」という家訓が、逆に多角化や事業転換の障害になったのかもしれない。思えばイオングループも同じ三重県を祖とする。先祖である岡田屋呉服店の家訓は、「大黒柱に車を付けよ」。守るべき歴史や伝統は守り、捨てるものは数百年の家業といえども転換する。いつの時代もこのバランスが難しい。