70年代まではオーダーメイドが中心だった「マドモアゼルノンノン」。80年代に入って既製服を本格化し、新たな成長を期した。後発のブランドが多店舗化する中で、物作りにこだわり続ける荒牧太郎も、ブランドを拡大したいという思いを持っていた。友人や知り合いも多く在籍したビギからの誘いもあって、84年にビギグループに入った。既にブランドビジネスを広げていた同グループに入ることで、ファンを広げていく契機とした。
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最初はグループ企業の一つ、ディグレースに組み入れられた。荒牧は早速、ブランドカタログによる情報発信に目をつけ、当時、広告代理店に勤めていた塚野丞次に制作を頼んだ。その後は軌道に乗り、カタログ発行に力を入れた結果、今でも重要な販促物となっている。今では読み物として知られる「パパス」のブランドブックにも継承されている。
サイズ広げて快進撃
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