東コレ開幕 注目ブランドに聞く

2016/10/17 06:00 更新


今日から アマゾン・ファッション・ウィーク東京17年春夏

 

17日から23日まで、東京・渋谷ヒカリエや表参道ヒルズなどを主会場に、「アマゾン・ファッション・ウィーク東京17年春夏」が開催される。

ウィークに参加する注目ブランドのデザイナーに聞いた。

 

「サルバム」デザイナー

 藤田 哲平さん

 

84年千葉県生まれ。セレクトショップ販売員などを経て、06年にヨウジヤマモトにパタンナーとして入社。14~15年秋冬に「サルバム」をスタート。「ファセッタズム」らとともに第1期の「トーキョー・ファッション・アワード」に選出され、15年1月にパリ展を開始。15~16年秋冬の東京でショーデビューした。卸先はロンハーマン、ユナイテッドアローズ、米バーニーズニューヨーク、英ブラウンズ等。

 


◆東コレでは評価がされない

――15~16年秋冬、16年春夏と東京でショーをして、16~17年秋冬は行わなかった。今回行う意図は。

2シーズン東京でショーをして、次のシーズンは1回休んで東コレを外から見てみようと思いました。もう東コレはいいかなとすら思った。

「ファセッタズム」や「ジョンローレンスサリバン」といった先輩たちが海外に出ていって、変な言い方だけど、ケンカ売りたいのに、ケンカを売る相手もいないというか。

今回は参加しますが、「東コレを盛り上げたい」という意識は正直ゼロなんです。でも、やらないと東コレがマズイんじゃないかと思った。

主要ブランドが海外に出ていくのは、展示会の周期として必然の流れです。その中でも東コレが存在するのであれば、何か意義が欲しい。「サルバムがやるから見に行きたい」という人に来て欲しい。

 

――海外展でも有力店を開拓しつつある。海外と東コレを比べて感じるのは。 

海外で展示会をするのは、そうしないとビジネスにならないから。ただ、個人的には海外でジャーナリストに見せたい、評価をしてもらいたいという面もあります。勝負をしにいきたいだけなんです。東京ではそれが通じないっていうか、できないから。

東コレはショー後に囲み取材があります。あそこはテーマを分かりやすく説明する場なんだと思うんだけど、俺はそういう風に(テーマはこれだと簡単に説明できるように)服を作っていないんですよね。

 

ショーをやるのは、服を着て歩かせることに意味を持たせるためです。その空間、時間が表現として一番強いものだから。

ジャーナリストには、ショーを見て自分がどう思ったかを書いて欲しい。この服は時代に合ってないんじゃないかとか、そういうことすら書いて欲しい。それなのに、囲み取材で1個1個こっちが説明しなきゃいけないのは、何なんだろうって。

 

◆服を作るのは、めちゃくちゃ苦しいこと

――自身のもの作りや、東京のデザイナーに対して思うことは。

服を作るって、俺にとってはめちゃくちゃ苦しいことです。でも、俺が苦しんでるなんて世間からしたらどうでも良くて、できた服が全て。

服は着る人を幸せにするものだから、むしろ楽しく作ったものの方がいいかもしれない。でも俺はそれができなくて、苦しくてもそれでしか表現できなくて、それが自分が生きることなんですよね。

それぐらい責任を負いたい。じゃなきゃ失礼ですよね、うちの服は何万円もするものだし。


東京の若いデザイナーで、カルチャーとしてファッションを打ち出す子たちが出てきています。それは俺にはできないことだし、素晴らしいとも思う。

でも、服として見た時に、「これにお金は出せないよね、こんなクオリティーじゃ失礼だよ」って感じる。それすら分からずやっている子もいる。そんなブランドが増えてきた状況に対して言いたいことがあって、今回東コレに出る部分もあります。

 

俺が言える立場ではないんだけど、そんなに甘くないよ、服作りって。今まで東京でやってたブランドが次々海外に行っちゃえば、東京はどんどん上っ面だけになっていく。

そこを少しでも食い止めたい。最低限のクオリティーのボーダーラインは守ろうよ、じゃなきゃ本当に遊びだよって。

 

サルバム
前回東京でショーをした16年春夏コレクションから

◆服を作れなきゃしょうがない

俺はファッションを作っているんじゃなくて、どちらかというと服を作っているタイプ。服を作って、それをファッションに持っていく。だから、ゴミみたいな服は作れないっていう責任が俺にはある。

これはヨウジさんに教わったことです。服を作れなきゃしょうがないって、当たり前のことでしょ。

でも、そういうのも古いのかなって思ったりもするんです。たとえば今、「ヴェットモン」(デムナ・ヴァザリア)や「ゴシャ・ルブチンスキー」が出てきている。彼らは服を作る人というより、ものを見る目がある人。

そんなデムナをメゾンの「バレンシアガ」が取ったのは大きなこと。こんな風に時代はどんどん変わっていて、それがファッションだとも思う。そんな中で、それは違うと言っても単なる独り善がりの言い訳なので、こっちだろって日本に対しても海外に対してもやり続けないといけない。

 

◆しっかり知られるブランドにならないと申し訳ない


――ファッションとの出会いや、ブランド立ち上げまでの経緯は。 

中学時代、地元の柏に古着屋が多くて、それでファッションに興味を持ちました。最初はビンテージのデニムとかを先輩に混じって必死に探して。16~17歳の頃から、柏の「ハ―ビィー」っていうセレクトショップに通い出して、18歳からそこで働き始めました。

販売をやって、バイイングもさせてもらった。俺はいま服を作ってますけど、デザイナーっていう肩書きはなんだか違う。どこかで自分は販売員だっていうのが消えません。その気分はずっと消えないと思う。

デザインしても何しても、一番最後に辛いのは売ってくれる人です。だから、販売員さんがうちの服を着て、いきいきと接客しているのを見ると、それが一番嬉しい。

 

ヨウジヤマモトには、モードとか全く興味無く入っちゃったんです。販売員やりながら学校通って、パタンナーになりたいって唐突に思った時に、「ヨウジが募集してるよ」と聞いたんです。パタンナーになるにはそれが一番早いんじゃないかと思った。

当時はヨウジの服を買ったことも無くて、「モードって何だろう」とすら思っていました。でも、いざ入社したら全部がはまった。

俺、それまでずるずるのボトムを腰ではいて、シャツもオーバーサイズを着て、みたいな格好しかしてなかったんですけど、その分量感にヨウジのシルエットがしっくりきたんです。


服の作り方なんて何も分からず入社して、会社の中で全部教わりました。ゼロから育ててもらって、本当にありがたかった。頭が上がらないですよね、ヨウジさんには。どう恩返しするかってなった時に、会社の外に出て、外で勝負しないと何も意味が無いと思ったんです。

デザインだけでなく、生産管理や生地企画もいま一人でできているのは、会社に居た人達がやっていたことを見よう見まねでやってるから。あそこでの経験や、先輩たちがあっての自分です。それもあって、しっかり知られるブランドにならないと申し訳ないなって思います。

 

14
17年春夏コレクションのルックから

 

――メンズ店だけでなく、レディスの有力店にも徐々に広がってきた。今後の展開は。

ショーやルックでは、レディスのモデルにも全部メンズと同じMサイズを着せています。決してレディスに向けて「レディスですよ」とはやってなくて、単純にメンズ服を着たレディスが魅力的でしょ、ということで着せている。

男性服の分量感、男の服を着た女性像ってよりセクシーに見えるんですよ、それを俺は見せたいだけです。

だから、うちのブランドはあくまでメンズでしかない。女の人がメンズ服を着てるだけ。ユニセックスっていうのとも本当は違うんです。言い方が難しいんですけど。

ありがたいことに、シーズンを追うごとに国内外で取引先が増えています。ただ、海外で自力でランウェーショーをするにはまだお金が足りないし、やったところでお客さんはこない。次の手を考えていかないと。

 

※17年春夏のショーは、22日10時30分~@渋谷ヒカリエホールBにて

 

 

<記者メモ>  やんちゃな口調の端々に、ヨウジイズムに通じる男の美学がのぞく。正統モードの世界でやってきたという自負と、それゆえに知ってしまった服作りの苦悩が混ざり合って、迫力になっている。「東コレでは批評がされない」という言葉にドキッとした報道関係者は少なくないはずだ。

 

(聞き手=五十君花実、ポートレート撮影=加茂ヒロユキ)


 



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