久保嘉男語る「おもろいのがショー」

2016/03/14 09:25 更新


 

【プロフィール】 00年に米フィラデルフィア大学繊維科学科を卒業し、ニューヨークのロバート・デンスに師事。04年に帰国し、05年春夏に「ヨシオクボ」をスタート。07年春夏にレディス「ミュラーオブヨシオクボ」、08~09年秋冬にメンズの別レーベル「アンデコレイテッドマン」を立ち上げた。

 

 ニューヨークブランドを中心に、ショー直後に商品を買える仕組みを導入するなど、ファッションショーのあり方自体が変容しつつある。「ヨシオクボ」(久保嘉男)は毎シーズン、国内外向けの展示会の後に、シーズンの締めくくりとしてショーを行っている。ショーが先で展示会が後というのが常道だとすれば、久保のやり方はそこから外れている。久保にとって、ショーとは何かを聞いた。

 

■「人がこうするから僕もこうする」が嫌い

 

――展示会を終えて、オーダーをしめてからいつもショーをしている。その意味は。

 

 今、ファッションショーの形がすごく変わってきていますが、「ショーとはこうあるべき」という形にくくられなくてもいいんじゃないかと思うんです。僕は、PRのためにショーはあると思ってやっている。

 パリ展を始めた時に、東京でのショーをやめるという選択肢もありました。でも、やり続けたいと強く思ったんです。やり続けることで、ショーを見た人がそのシーズンは買えなくても、次のシーズンに買い付けようって考えてくれればいいという発想に変わりました。

 人がこうするから僕もこうするというのが嫌い。パンク音楽を聴くわけじゃないんだけど、いちいち(常識に)突っかかっていくタイプです。

 当たり前と言われていることに対して、「本当にそれでいいのかな」と思うのが自分のデザインであり、自分のあり方になっている。ショーに対する考え方もそうです。他人がどうであろうと、自分は自分を曲げずにやるというのが僕のデザイナーとしての生き方だと思う。

 

久保さんサブ写真2――モデル選びにしても会場の演出にしても、いつも楽しい驚きをショーに詰め込んでいる。

 

 常におもてなし精神を持ってショーをしています。ショーを始めて3回目か4回目の時に、笑かすとか、面白がらせるということが僕の根本なんだと気付きました。「おもろいな」って思わせることです。

 僕にとって関西弁のおもろいは、見たことがなくてクリエーティブっていう意味でもある。それまでも、自分ではショーでオリジナルなものをやっているつもりだったけど、なんだかカッコつけていて、自分を見せられていなかった。僕のオリジナルは何なのかって本気で考えた時に、おもろいって思わせることだと気付いたんです。

 普通、ショーは背の高いきれいなモデルが出てくるものです。でも、それも「ショーとはこういうもの」というのをマネしているだけだと思った。だから、キャラクターの立ったモデルを集めて「おおっ」て思わせるべきだと思ったし、それが数シーズン続いた時は、裏をかいてあえて正統派なモデルを起用することもあります。

 

■僕はデザインの病気にかかっている

 

――具体的に、服のデザインはどのように詰めていくのか。

 

 これおもろいなって感じてここ何年かやっているのが、キャッチコピーを作ってからコレクションを作るという方法です。いちいち、「インスピレーションは何々です」みたいな作り方が嫌で。そういう作り方すら、何かのマネだと思った。
 
 根本的なデザインのやり方として、オリジナルなものを考えないとだめだと思ったんです。毎シーズン、キャッチコピーを作るデザイナーってあんまりいないんじゃないかなと思って。

 ぱっと聞いて分かりやすくて、なお且つかっこよく聞こえる言葉を、思いつくまま全てA3の紙にガーっと書いていきます。そこから服を作っていく。デザイナーはみんなそうだと思いますが、僕はデザインの病気にかかっているから、何をしていてもデザインのことは考えている。服の形のことは常に考えているから、キャッチコピーをもとにデザインはいくらでも思い付きます。

 デザインする時には自分にしかできないものを探しますが、探す際には知識も必要なんです。色んな資料を見て、その中でこれは今無いなと思うものを出す。自分だけが無いなと言っているんじゃなくて、周りの状況もちゃんと見た中で無いものじゃないとダサいですから。

 情報に関しては、僕はかなり見ているほうだと思う。シャツ一枚にしても、必ず無い切り口でデザインするようにしている。その積み重ねでやり続けているだけなんです。

 

久保さんサブ写真3

■女性にとってドレスとは何かを毎日考えた

 

――レディスの「ミュラーオブヨシオクボ」の作り方は。

 

 元々はメンズデザイナーのアシスタントになりたかったんですが、縁あって、ニューヨークのクチュールドレスのデザイナーのもとで働いていました。自分がそんなブランドで働くなんて思ってもいなかった。

 面接でスタジオに入った時、そこにあったドレスを見て「なんじゃこりゃあ!」と思った。その瞬間の驚きが自分の中に突き刺さっています。ドレスが自分の得意分野になるとは思いもしなかったけど、このデザイナーの下で働かないとだめだなってすぐに思いました。

 当時、フィッティングをやったり、セールスをやったり、あらゆることをする中で、女性にとってドレスとは何なのかを毎日すごく考えました。そこで、自分にとって服に対するアプローチが変わりました。

 たとえば、ブライズメイドのドレスを作る時に、服ってこんなに人を輝かせるんだなと感じて、そういう瞬間を自分でも作りたいと思ったんです。そんな風に自分から思うようになるのって、大事なことです。

 ドラマの「セックス・アンド・ザ・シティ」をニューヨークに居る時から見ていて、こういうのは東京にはないなと思った。それで、自分がやるなら、体に沿わしていってなんぼというクチュールのドレスの作り方でなく、ワンピースとドレスの中間をやりたいと思った。

 僕にとって、ワンピースは体のシルエットを隠すもの、ドレスはシルエットを出すもの。その中間をやって、僕にしかないディテールを入れていったら面白いと思ったんです。オケージョンでも着られて普段も着られるというドレスがないなと思って作ったら、周りにも面白がってくれる人がいた。

 

久保さんサブ写真1

 

 レディスは、僕と女性二人のチームで作っていますが、元々は全部一人でやっていました。ファッションデザインにおいて、僕の自我を通すこともできるんだけど、でもそれは間違いだと思う。お客さんがいて僕らがいるものだから。

 お客さんにこちらから一方的に提案もできるんだけど、そこにチームの女性の意見を取り入れて、向こうの気持ちに沿わせてあげるというのが女性のチームを構成してやることの意味です。

 デザインの自我は当然あるべきですが、お客さんに意見をもらうのも僕らの仕事です。レディスは、チームでやるようになってからの数年で、かなりチューンナップされてきたと感じます。

■会社から色んなブランドを育成していきたい

 

——これまで自身が手掛けてきた「アンデコレイテッドマン」は、16〜17年秋冬から河野貴之にデザイナー交代した。

 

 ブランドを新しいデザイナーに渡すって、おもろいんじゃないかなと思ったんです。最近、おもろいことが特に日本では無いなと思っていたから。河野とは、8年、9年と同じチームでやってきて、クリエーティブ面や生地に対する考え方を共有してきました。バトンタッチできるクオリティーになったと思ったし、交代によって僕にも時間ができて、新たな仕事ができると考えた。

 

アンデコレイテッドマン
久保からデザイナーを引き継いだ河野貴之が手掛ける「アンデコレイテッドマン」の16~17年秋冬物

 少し前から、バトンタッチしたり、引き継いだりしていくことが、新たなファッションデザインの形なのかなと思っていました。ずっと自分のブランドにしがみついてやるというのももちろん大事なんだけど、僕としては、会社から色んなブランドを育成していきたいという思いが強い。本当に育成できるかは僕はまだ甘っちょろいから分からないけど、今回の交代はエピソードワンなんです。

 僕はアメリカの、しかもクチュールドレスのブランドで修行していたこともあって、商売の仕方も会社のあり方も我流です。オーダーシートの作り方も、指示書の書き方も分からなくて、聞く人もいなかった。どういう風にしていったら服を買ってもらえるんだろうって、考えた結果が今なんです。

 今も試行錯誤しながらやっています。10年後にこれをする、みたいなビッグビジョンは無いですが、でも継続することだと思うんです。本当にいい服を作ることが僕の使命だと思う。チームで楽しく仕事をする、新しいものを作るというのは、常に根本にあります。

 

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 14日にメルセデス・ベンツ・ファッション・ウィーク東京16年秋冬が開幕する。久保は、17日21時から、渋谷ヒカリエホールAでショーを行う。



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