「ヨシノリミヤザキ」デザイナー 宮﨑能典さん 自信を持って努力を続ければ道は開ける

2025/08/26 06:27 更新NEW!


宮﨑能典さん

 早稲田大学を卒業後、文化服装学院で学び、アパレル企業で有力ブランドのデザイナーやMDを担当。環境に負荷の少ないファッションビジネスの在り方を求めて09年に独立。今秋冬から自身の名前を冠したブランドの販売を開始する宮﨑さんに、これまでの経験を語ってもらった。

 ――ファッションの道に進んだ経緯は。

 大学は商学部でしたが、社会学や哲学が好きで、ファッションと流行、個人の主体性や自由と流行の関係に興味を持ちました。大学4年の頃、進路を考える時期に就職氷河期に入り、組織に依存せず手に職をつけて生きていきたいと思い、物作りが好きだったので文化服装学院に入学。でもミシンは未経験で、初めはとても苦労しました。

 一念発起して1年生の夏休みに、自分で10スタイルの服を作ると決め、全て完成させて休み明けに担任に見せてから自信がつきました。逃げずに練習を重ねることで苦手意識を克服でき、服作りが楽しくなりました。

 大学時代から印刷会社でアルバイトをして、学費と生活費は自分で出してきたので、課題はなるべく授業中に集中してこなしました。「時間がないことを言い訳にしない。これぐらいやって普通。できるできないでなく、やるしかない」と自分に言い聞かせ、先生の説明をメモした後、すぐに作業を始めて質問も課題も授業内に終わらせる努力が、仕事でも役立っています。

 1年の後半からコンクールへの応募も始め、2年次にアパレルデザイン科を専攻。デザイン画の先生から個性を出すよう指導され、試行錯誤を重ねた結果、3年の夏から1次審査を通るようになり、装苑賞の最終審査にも残れました。仏オートクチュール・プレタポルテ連合協会主催の新人コンクールでは、日本代表の10人に選ばれ、パリの本選で日本人最高位の奨励賞を受賞。審査員だった森英恵先生の会社に、デザイナー職で採用が決まりました。

 ――就職後の道のりは。

 「ハナエモリ」では新卒でプレタポルテの担当になり、ドレスやスーツをデザインし、リアル服について学びました。オートクチュールの服や仕事を見に行き、ウェディングサロンの内見会やショーでモデルの着替えを手伝い、貪欲に服作りの技術を学びました。

 30歳の頃、経営体制が変わったことを機に転職を考え始め、将来の独立を見据えてMDとして、33歳でジュンに転職。経営に役立つことも身に着けたかったので、プレタと正反対の低価格カジュアル「ロペピクニック」でMDを担当し、デザイナーの代理やECの立ち上げも経験。MD型の商品作りを学べたものの、セールや大量生産に疑問を感じ始め、37歳で独立して起業した際にはネットでできるオーダーメイドブランドを友人と一緒に作りました。

 まだ需要が少なく苦戦していた時、医療用高級白衣のデザイナーを頼まれ、13年に依頼者と共同で白衣ブランド「レピウス」を立ち上げました。色や素材の制約があるなか、細部にこだわるデザインが好評で少しずつ成長中です。

 白衣でカスタムやオーダーも受けていた流れで、5年前からオーダードレスの生産も始め、今秋冬からは優れた技術を持つ国内産地と組み、大人向け高級婦人服ブランドの販売を開始しました。資金面の基盤もできた53歳の今、これまでに培った技術や経営、物作りの経験を生かし、ファッションの課題解決につながる服作りに挑戦したい。日本発のラグジュアリーブランドとして国内外で販路を広げたいです。

 ――学生にメッセージを。

 自分のクリエイションを信じ、目標を持ち、失敗しても実現に向けて行動して。努力していると様々な人が助けてくれるので、恥ずかしがらずアピールして下さい。



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