パリで「縄文」にハマる
1998年、パリジャンたちを熱狂させた「縄文」展。その20年後のこの秋。
日仏友好160周年を記念する「ジャポニスム2018」のオフィシャルプログラムの目玉ひとつ。パリジャンたちからの熱い熱いリクエストに応え、国宝の土偶5大スターと火焔型土器、33の重要文化財を含む出土品が一堂にパリ日本文化会館にやって来た。
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JOMON NAISSANCE DE L’ART DANS LE JAPON PREHISTORIQUE
「縄文ー日本における美の誕生」展
パリ日本文化会館 12月8日まで
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20年ぶりに開催されるこの縄文展は、この夏話題となった東京国立博物館(トーハク)での「縄文ー1万年の美の鼓動」をパリバージョンとして再構成。20年前のパリ・縄文展にも携われた、文化庁文化財第一課考古資料部門主任文化財調査官の原田昌幸氏が、本展を監修されています。同氏にはパリ展の解説、また「縄文土偶の多彩なデザイン・・・その発生から終焉まで」と題した講演を通し、まさに日本における美の誕生へと導いてくださり、この場であらためて深く感謝いたします。
「縄文 日本における美の誕生」は3章から構成され、1万年続いた縄文時代における日本美の原点とそれを生み出した縄文人の素晴らしい精神文化の魅力を伝えています。
第1章では土器の造形美の進化を、第2章は土偶、そして最終章では漆の器や木製網かご縄文ポシェットなどの生活用品や装身具を展示。縄文時代のピアス、土製耳飾の洗練されたデザイン、素材と色のたセレクション…縄文人の審美眼と当時すでにピアスを試みていたファッション気質に、当世ファッションの都のパリ人たちも驚嘆!
縄文土偶
原田氏のお話によると、「ひとがたを粘土で象った素焼きの造形物」が土偶と定義され、「そのルーツは旧石器時代の「石偶」や「礫偶」にまで遡る可能性もある」とのこと。
「縄文のビーナス」「縄文の女神」「仮面の女神」「合掌土偶」「中空土偶」_
国宝に指定されたこれら5つの土偶、そして日本人なら誰でも知っている重要文化財で東京国立博物館の大スター「遮光器土偶」が、本展ですべて鑑賞、いや鑑賞というよりも、ご対面、1万年ぶりの再会、または新たな出会いと表現した方がぴったりとくる、まさにカルチャーな凄い瞬間がここある。
土偶の歴史 「縄文のビーナス」の誕生
「縄文時代草創期から女性のトルソー像が造られるようになり、それから四肢が生え頭ができ、顔が描かれるようになるのは縄文時代の中頃から。この間約4000年のほどの時間の流れがあります。中期になると急に顔が造られ立体化する造形がはじまり、間も無く、棚畑遺跡の土偶「縄文のビーナス」のような完成度の高いものに到達します。縄文の世界というのはゆっくりした文化の流れがあると認識されています。でもその中で土偶の中期のはじめの急激な造形的な発達は、異常な速さです。おそらく社会が移り変わっていくうちに、土偶という造形についての急激な認識の進化があったのではないでしょうか」(原田氏)
縄文時代草創期(約1万3千年前)の土偶出現から、中期までの女性のトルソー、中期前半の「縄文のビーナス」の板状土偶から立像土偶への急速な発展。それが後期になると造形が極度にデフォルメされていき、「ハート形土偶」「筒形土偶」を生み、また家族・子孫の安寧を託した女性のトルソーから性別を超越した想念の造形物へと、意識が変化。縄文時代晩期の「遮光器土器」へと繋がっていきます。遮光器土偶のゴーグルをかけたような目も、小さい目から大きな目へ、そしてまた小さな目へとサイズが変化したそう。土偶の歴史にもトレンドがあったのですねえ。
土偶に祈りを
「土偶も古い時代には、個人の崇拝の対象物、それがだんだん形が大きくなると家族の崇拝物になり、さらに縄文中期になると村とか地域全体の崇拝対象に変わっていったという可能性があります。国宝に指定されている土偶などは地域とか村全体の崇拝対象だったのではないでしょうか」(原田氏)
お祭りための道具
「ただし土偶というのは基本的にどこかが壊されています(縄文中期から)。今は完全なかたちに復元されていますが、出土した時はどこか欠けた状態でした。土偶というのは縄文時代のお祭りで使用した後、何らかのかたちでわざと壊されていた道具という可能性があります。作った人たちも、これだけの土偶に仕上げたのだから壊してしまうのは忍び難いと思ったようです。ヒビを粘土で直した形跡が見られることから、縄文の人たちにとって土偶というのはただの道具ではなく、命を持ったひとつの生命体として作っていたことが感じられます」(原田氏)
縄文人のモノづくりの精神や、繊細な優しさに感動。
縄文時代は女性上位?
妊娠、出産、授乳、育児と女性がポーズをとる土偶ばかりなのですよね。
縄文時代の女性の地位が気になるところ。
「明治時代から日本の考古学者がさまざな考えをめぐらしてきました。明治時代の中頃には、「土偶は女性ばかりではないか」という点から、縄文の社会では女性が優位だったということが認知されてきています。有名な考古学者の鳥居竜蔵(1870〜1953)は、1920年代に発表した論文の中で、「男性は狩や漁はする、でも子供は産めないではないか。縄文の社会では子供を産み子孫を繁栄させる、これが最も大切なことだ」と指摘しています。つまり母権制の社会と考えられました。ユーラシアもアジアも原始社会は女性の方がリードされていたのではと想像できます」(原田氏)
男女ペアの土偶を見ると、確かに女性の方が男性より大きく創作されていて面白い。
今、縄文が面白い
縄文人は土器を造りました。それらは人類の歴史において最も古い土器の一つに数えられています。土器のかたちで時代区分がされているもの、縄文の面白いところ。
ではなぜ1万年前以上に重い土器を造れたかと考えると、それはおそらく農業よりも定住の結果であり、なぜ定住できたかというと、それは森林や小川に囲まれた住みやすい初期条件、素晴らしい環境が備わっていたということでしょう。
縄文人は彼らが生み出した美しい文化から、現代人が最も必要としている、自然と共存していたというメッセージを伝えてくれます。
原田氏はこう語ります。
「今、縄文が面白い。水墨画や禅など世界的に関心を集める日本の伝統文化の中で、今まで縄文はその視野の外に置かれた存在でした。しかし近年、日本文化の源流を探るヒントとして多くの皆様が縄文文化に深い関心を示しています。土偶も縄文土器も悠久な日本の歴史の中で、その地理的、気候的環境に順応しようとして、さまざな試行錯誤を繰り返しきた縄文人たちの残した整然とした歴史の足跡に違いありません」
松井孝予
(今はなき)リクルート・フロムエー、雑誌Switchを経て渡仏。パリで学業に専念、2004年から繊研新聞社パリ通信員。ソムリエになった気分でフレンチ小料理に合うワインを選ぶのが日課。ジャックラッセルテリア(もちろん犬)の家族ライカ家と同居。