【回顧2019】ラガーフェルド死去 ブランド再生の先駆け

2019/12/28 06:27 更新


 ファッション業界の重鎮ともいえるデザイナー、カール・ラガーフェルドが死去したのは今年の2月のこと。「シャネル」「フェンディ」のデザインを手掛けていた現役デザイナーの死に世界中から哀悼のメッセージが集まった。

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■「シャネル」託される

 ラガーフェルドは、現代のラグジュアリーブランドのビジネスのひな型を確立したデザイナーといえる。そのブランドの過去のアーカイブを元にしながら、今につながる要素を抽出し新しい解釈を加えて時代に提起する。そんなデザイン手法で数々のブランドを手掛けてきた。中でも、ココ・シャネル亡き後、長年にわたって低迷していた「シャネル」をファッションシーンへと引き戻した功績はたたえられるべきことであろう。

 ココ・シャネルが亡くなったのが1971年。ラガーフェルドがシャネルのディレクターに就任したのは、その10年以上も後の83年のことだ。以来、2019年まで長期にわたってブランドの舵(かじ)を取り続けた。シャネルで最後のショーの時に流されたラガーフェルドのディレクター就任時のエピソードが興味深い。

 「その依頼を受けた時、人々は口を揃えて『やめたほうがいい。最悪だ。もう終わったブランドだ』と言った。今でこそ、古いブランドを再生していくのが当たり前だが、当時は誰もそんなことはやっていなくて、新しい名前や新しい世界が必要とされていた。だからそれを聞いて、むしろ面白いじゃないかと思ったんだ。その状態も含めて、全てが。だからみんなが『やめておけ。うまくいくはずがない』と言ったけれど、2度目に打診をされた時、引き受けることにしたんだ」

■他ブランドにも波及

 当時、いかに創業デザイナー亡き後のリブランディングが困難だったのかを示している。ラガーフェルド自身、シャネルを「ブランドがファッションシーンに見事に返り咲く初めてのケース」と話している。ブランドの歴史やアーカイブを背景に、やや俯瞰(ふかん)して時代との焦点を探る。そんな彼のデザイン手法とシャネルというオートクチュールメゾンの優れた手仕事の技がマッチして、シャネルは再びラグジュアリーブランドとして輝くようになった。

 ラガーフェルドのデザイン手法とシャネルの復活が、他のラグジュアリーブランドへと与えた影響は計り知れない。94年には「グッチ」がトム・フォードを擁して復活、96年には「ディオール」がジョン・ガリアーノを擁してリブランディングを進めた。

 90年代半ばから相次いだラグジュアリーブランドの買収とリブランディングの背景には、ラガーフェルドとシャネルの成功があった。しかし、数々のブランドの再生の歴史において、ラガーフェルドほど長い期間、メゾンとのマリアージュを続けたデザイナーはいない。

カール・ラガーフェルド(18年春夏コレクションのフィナーレから)
(繊研新聞本紙19年12月17日付)


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