ダブルデッカー(赤い2階建てバス)やブラックキャブ(ロンドンタクシー)と並ぶロンドンの街を彩るアイコンといえば赤い格子作りの公衆電話ボックス。絵葉書やお土産グッズの定番で、そういばオフィスの引き出しの中にも鉛筆削りが転がっている。
ダブルデッカーやブラックキャブはエンジンをパワーアップし、時代とともにわずかにデザインを変えながらバリバリの現役で道路をかっ飛ばしている。その一方で、携帯電話の浸透とともに無用の長物となっているのが公衆電話ボックスだ。
ところが、未だに撤去されることなく依然ドーンと歩道にそびえている。意識してみると、その数は半端じゃない。一部は使用可能だが、使っているのを見たことがない。大半は電話自体が壊れ、中が荒れている。
今、その赤い電話ボックスの第2の人生が話題を呼んでいる。
今年はじめ、北ロンドンの住宅街ハムステッドの大通りに登場した「ロンドンで一番小さなコーヒー店」もその1つ。電話ボックスを改装したその店は、ウマー・カリドさんと奥さんのアロナ・グエラさんが経営する「ケープ・バラコ」で、バラコとはフィリピンの伝統的なコーヒー豆の一種。アロナさんがフィリピン出身であることにちなんで命名したそうだ。ちなみに旦那さんのウマーさんはパキスタンの出身。
「ケープ・バラコの前に立つオーナーのウナーさん(左)とアロナさん夫妻。エスプレッソやカプチーノに加え、抹茶ラテやケーキ、サンドイッチも販売している
この電話ボックスを所有しているのはロンドンの南に位置する海辺街ブライトンにあるレッド・キオスク・カンパニー。今では使用されていない電話ボックスを小売スペースとして有効活用し、伝統と街の景観を保つというアイデアを思いついた2人の男性が立ち上げた会社だ。
電話ボックスを所有するBT(元は国営のブリティッシュ・テレコミュニケーションズ。NTTの英国版)に話を持ちかけたところ積極的に話が進み、地元ブライトンの地方自治体の協力も得て2014年6月、隣り合う2つの電話ボックスで食品を売る店を開店した。
現在では全国様々なところに商業施設として利用可能な電話ボックスを所有して貸し出している。
確かに、電話ボックスならば既に電線はつながっているので、工事をしなくてもコーヒー店としてそのまま使える。と、思いきや、実際にはそう簡単なものではないらしい。
電話ボックスの電気の容量は、電話と天井の小さな照明のためだけなので、コーヒー店にはとても足りない。そこで新たに電気工事をし、電話ボックスの裏手に小さな配線用の箱を設置している。メーターも付いている。
水道は引けないので、タンクに入ったものを持ち込まなければならないが、賃貸契約を結び、家賃を支払い、電気代を別途払うという条件は、通常の店舗と同じだ。
「何十年もここで電話ボックスとして使用されていたしっかりとした作り。水漏れなどもなく快適だよ」とウマーさん。
ところが、今ではそうやって笑顔で接客している2人だが、オープン当初には予期せぬ壁にぶつかった。
地元カムデンのカウンシル(地方自治体。区役所のようなところ)から、「露天商としての許可証を所持していないので、営業を続けることはできない。明日開店すれば罰金150ポンドを課する」と通告を受けたのだ。
レッド・キオスク・カンパニーが所有する地方都市での電話ボックス営業ではそのような問題は起こらなかったのだが、そこはロンドン。規定が厳しい。ロンドンのストリートマーケットや街角での露天販売は皆、カウンシルに申請をし、審査を経て許可証を得、路上使用料を支払って営業している。
ウマーさんたちは仕方がなく急遽休業し、対策を練ることとなった。地元の新聞は保護する姿勢の記事を掲載し、レッド・キオスク・カンパニーも再開できるように働きかけた。そうして1ヶ月後に再開にこぎつけた。
晴れて露天商としての許可証を取得して営業することになったのかと思いきや、そうではないらしい。
「私たちは道で商売をしているわけではない。自分の店の前に立っているだけ。だから路上使用料なんて払ってないよ」とウマーさん。
確かに。オープン当初は電話ボックスだけでなく、路上に小さなテーブルを出していたが、今は立て看板があるだけ。ラッキーなことに、この電話ボックスの前には公共のベンチがあり、お客さんはそこに座ってコーヒーを飲むことができる。
電話ボックスの第2の人生は他にもある。
実際、全国的に一番多く利用されているのがATM(というよりは厳密にはDC、現金自動支払い機)だ。サイズも高さも立地条件もぴったり。こちらは、BT自体によるプロジェクトで、2010年の末からスタートし、広がっている。
ロンドンブリッジ駅に隣接するボローマーケット内にある赤い電話ボックスのATM。買い物客や近くで働く人々が次々とやってくる
サイズ的にもぴったり。ドアに穴を開け、使いやすく改造している
このプロジェクトが始まった時点で、全国に12500個あった電話ボックスのうち、6500個が廃棄処分対象になっていたという。今はどれぐらい残っているのだろうか。
この12500個だが、実際には年代によっていくつか型があり、近年のものはシンプルでモダンなデザイン。そちらは街の景観やアイコンという視点ではほとんど価値なし。やっぱり生き残っていくのは伝統的なデザインのもの。うーん、いろいろと考えさせられる。
コーヒー店だから電気の容量も必要だが、ファッショングッズやアクセサリーの販売ならばもっと簡単にできそうなものだ。とはいえ、急な雨などにはコーヒー店以上にダメージが大きいかもしれない。常連客が毎日のように訪れるコミュニティー性、街の景観という角度でも、コーヒー店には負ける。
雨にも負けず、風にも負けずの精神がなければできないこのビジネス。ウマーさん、アラナさんがんばって!
住宅街にさりげなくある赤い電話ボックス。この型は1924年に登場した「Kiosk No2」タイプ。この電話はコインのみでカード不可だが使用可能。ケープ・バロコやボローマーケットのATMは1935年に登場した「Kiosk No6」で、屋根のデザインや格子の形状が違う
大通りで一番多く見かけるのはこの1996年に登場した「Kiosk KX100Plus」型。 扉全面に広告がついたものも多く、大半の電話が壊れている
あっと気がつけば、ロンドン在住が人生の半分を超してしまった。もっとも、まだ知らなかった昔ながらの英国、突如登場した新しい英国との出会いに、驚きや共感、失望を繰り返す日々は20ウン年前の来英時と変らない。そんな新米気分の発見をランダムに紹介します。繊研新聞ロンドン通信員