今回はいよいよ、パンデミック以前のような華やかなロンドン・コレクションになるはずだった。ところが、開催10日前にエリザベス女王が死去し、急遽スケジュールは一転。9月16日から20日までの開催は続行するものの、国葬が行われた19日はすべてのショーが中止された。国葬前の3日間も、王室に敬意を払い、新作発表というビジネスに焦点を当てたショーやプレゼンテーションだけを行い、パーティーなどのイベントは中止あるいは延期されることになった。バーバリーやラフ・シモンズ、ロクサンダなど、この期間のショーを見合わせて9月末や10月にショーを行ったブランドもある。
1年前からショーを見はじめたレオンにとっては、今回もまた異例のファッションウィークを体験することになった。とはいえ、海外からの来場者は増え、インビテーションの入手やインビテーションのないショーへの入場は厳しくなり、パンデミック中の緩い体制から元に戻った感がある。
事前に依頼をして届いたインビテーションは約半数。これまでなんとか入場できたシモーン・ロシャやリチャード・クインは見られなかった。そうした中、JWアンダーソンを見て、突撃インタビューを果たしたのは今回のヒット。久しぶりにデビューが重なった新人たちのショーも大半をカバーすることができた。
レオンの過去のコレクション体験記はこちらから。
――今回のヒットはなんといってもJWアンダーソンだよね。2日目の最後、20時からのショーだった。
中には入れないと思っていたけれど、どうしても見たかったので行ってみた。会場はソーホーのJWアンダーソンのお店の隣のゲームセンター。前の歩道にはバリアが張られていて、その前で待っていたらショーが始まった。お店とゲームセンターの間に扉があって、そこからモデルが一度外に出てきてゲームセンターの中に入って行ったので、モデル全員をきちんと見ることができた。
――つまり、バックステージのようなところでショーを見たわけね。
モデルが出てくるところにはデザイナーのジョナサンもいて、最終チェックをしていた。それでショーが終わり、感激して駅について地下鉄に乗ろうと思ったら、バッグを置き忘れてきたことに気がついて戻った。警備員に尋ねると、保管してくれていたバッグを持ってきてくれた。で、その時お店の外でジョナサンがタバコを吸っていたので、思い切って話しかけてみた。
――何て声かけたの?
ショーはすごく良かった。僕はデジタルとリアルという2つの世界を行き来するような感じを覚えたと伝えると、「本当に今、みんなスマホばかり見ている」と一言。そしてショーに出てきた金魚の話になった。つまり今私たちが見ている世界は金魚鉢の中の魚を見ているのと同じ。魚は本来海にいるもの。石や海藻を入れて海を真似た金魚鉢の中にいる魚を見ることは、スマホの中でさまざまなものを見るようなもの。今の時代、グーグルアースで世界中のいろいろな場所が見られる。スマホさえあれば世界中どこにでも行った気になれるけど、それは本物じゃない。フェイク。
――疑似体験ということだよね。
そう、ショーには夕日や魚、椰子の木など、ナチュラルなモチーフがプリントになって登場したけれど、テカテカに光った生地に乗せられていたりして、すごくフェイクな感じがした。そんなところにも、リアルとフェイクの2つの世界が映し出されていた。
――デジタルとリアルの狭間でさまよう現代社会の有様のようなことはリリースにも書かれているけれど、素直にショーから感じ取ったわけだね。
でも間違っているかなと思ったのでジョナサンに聞いた。リリースには金魚鉢の話は書かれていた?
――ない。ショー直後にジャーナリストがデザイナーを囲んでいくつかの質問を共同でするけれど、そこでも言ってないんじゃないかな。誰も記事にしていないから。
そうなんだ。じゃあ貴重な話が聞けたんだね。すごくラッキー。魚の話はこのショーを理解するのにとてもわかりやすい説明だと思う。デジタルの世界では何でもできる。そんなデジタルの世界をさまざまなテクスチャーの素材を使って過激な方法で服に落とし込んだ。それによって、デジタルの世界が本物なんじゃないかと錯覚するような感覚を覚える。でも、ジョナサンはこのコレクションを通じて「スマホばかり見ていてはいけません。デジタルではなくリアルを見ましょう」と言っているわけではない。否定しているのではなく、現実を捉えてクリエイションに落とし込んでいるだけ。もしかしたら、現代社会におけるデジタルの価値をアピールしているようにも思う。
――ジョナサンのコレクションは常にコンセプチャルだけど、決して重くない。それを楽しんでいるような軽さすら感じる。
ゲームセンターでのショーというのも、今のスマホ漬けの世界をよく映し出してしていたと思う。ゲームセンターって狭いところにたくさんの人が集まっていながら、皆自分のゲームに夢中で周りの人の存在を忘れてしまう。人混みの中でスマホを見ているのと同じだよね。反射する球体すドレスが出てきて、ショーを見ている人たちがそのドレスの中に映し出された自分の姿をみるという演出もすごくクレバーだと思った。ショーを見ている時、人は自分がどんな風に他の人に見られているかなんて考えてないけれど、それを目の当たりにすると結構ショッキングだったりする。
――では、次はもう1つ大きなショーとしてクリストファー・ケインはどうだった?
面白いショーだったよね。とても大人の服だと思った。ボディーに渡る透明ビニールのピースから肌がはみ出したりしていたりする大胆なデザインだけれど、新しい髪型やスタイルをどんどん挑戦するような若い人のための服ではなく、ある程度自分のスタイルが定まっている人の服というのかなあ。カーディガンなんて、僕にはちょっとおばちゃんぽく感じた。
――このデザイナーはデビュー当初からずっとボディーコンシャスな服を作っている。
でも、このコレクションはボディーが主役の服じゃないんだ。たとえばコルセットのようなシルエットのトップ。ピッタリ張り付いてなく、硬い素材でボディーから浮いているストレートなシルエット。つまり、服が主役でからだが服に合わせる服。年齢を重ねて人は体型が変わるけれど、この服を着るといつも同じスタイルが保てる。
――ということは、からだが主役のボディーコンシャスとは逆の服ということ?
そうだと思う。
――そう言われてみると、このトップだけでなくスカートも直線カットでボディーから浮いている。では、前シーズンまでは見た全部のショーを日時を追いながら紹介してきたけれど、今回はたくさんあるから、若手のデビューショーに絞って振り返ってみるね。
9月16日 20:00 チョポバ・ロウェナ
――ブルガリア出身のエマ・チョポバと英国人ローラ・ロウェナの女性デュオ。朝からショー会場にはこのブランドのキルト風スカートをはいた人がたくさんいて、注目ブランドとしての期待が大きかった。インビテーションなかったけど、どうやって入ったの?
入れて欲しいと頼んで待っていたら最後に入れてくれた。すごくパワフルなーショーだった。ブルガリアのカルチャーってとても厳格だと思う。そうした伝統を重んじる社会で生まれ育つことは退屈。その反発で現状をぶち破るようなパワーが出る。音楽もロックとブルガリアの民族音楽が混じっていた。服も、ブルガリアの伝統的な生地を使って、大胆にデザインしていた。
―― 伝統とロックの出会いは決して新しいものじゃない。スコットランのタータンとパンクのようにね。でも、ブルガリアという馴染みのない国の伝統なので新鮮。さらにそこにマンガチックな可愛らしいモチーフも加わっていた。
そう、でも本当に若い人ならではのパワーが宿っているんだ。
――モデルもストリートキャスティングで大きな人や小さな人がいて、男女が自然に混じっていた。ショーが終わってデザイナーに話を聞くと、3ヶ月かけてそれぞれのモデルのために服を作ったって言っていた。そして、女性や男性ということは意識せず、人のために服を作っているとも。
そんなところにもブルガリアの伝統への反発があると思う。男性は家族のために仕事をし、女性は家事と子育てみたいな伝統が今でも普通に残っている。ロンドンに移住してきたブルガリア人の男性の多くが、工事現場で働いて普通の家庭を築いている。そんな、男性はこうあるべき、女性はこうあるべきといったものへの反骨精神。ショーに出てきた服はテーマに沿って作りましたと言ったようなものではなく、カラフルでごちゃごちゃとさまざまなものが混じっていた。
――すごくインディビジュアルだけど、全体で統一感がある。実際、このブランドは既にたくさんのショップで売られている。日本でも。
売れると思う。すごくいいショーだった。
9月17日 9:30 パオロ・カルザナ
――このブランドはメンズ。ショーではなくプレゼンテーションでのデビューだったけれど、学生時代からさまざまな賞をとっていて、それなりの人たちが見に来ていた。
ナチュラルでオーガニックな服。着飾るというより、服本来の身体に身につけるものとして作っているように思う。凝った表面効果やレイヤードで複雑に見えるけれど、シャツ、ジャケット、コートといったアイテム。プレゼンでなく、ショーで見てみたい。
12:00 マーシャ・ポポヴァ
――ウクライナ人のデザイナー。会場に入るとレース場のような車の音が鳴り響いていた。
このコレクション、とても好きだった。今世界で起こっているさまざまな問題から逃避するために、高速で車を飛ばす女性というイメージのコレクション。その行為ってものすごくパワーがいる。油で汚れたような柄もあったりと、危険な美しさがある。イヤリングもレース場のような湾曲したメタルや信号機のような宝石が光っていたり、ジーンズのウエスト部分が外れているといったレースの危険さのようなものがデザインされていた。ドレスの後ろに信号機の留め金がついていたけれど、その留金とったら脱げてしまう。そんな際どいデザインにも危険な美しさを感じた。
――ウクライナのデザイナーというのでどんな服が出てくるか楽しみだったけれど、とてもモダンなコレクションだった。服としての完成度も高かった。
そう、伝統がどうのこうのではなく、今の気持ちをストレートに表現していた。
18:00 フェベン
――この人はバックグランドがすごい。エチオピアの両親の元、北朝鮮で生まれ、スウェーデンで育った。それも、難民キャンプにいたりしたらしい。
マーシャ・ポポヴァがテーマ性の強いショーだったのに対して、このショーはいろいろなものが混じっていて、正直あまり面白くなかった。エモーションを感じなかった。でも、そのバックグランドを聞くと、なんか納得できる。このショーを見て混乱した気分になったのは、彼女自身に1つのルーツがあるわけじゃないからなのかもしれない。
――確かに特徴がない。この人のデザインだとすぐにわかるような個性を感じられない。来シーズン何を見せるのか、少し様子を見てみたいといった感じかな。
9月20日 14:00 シネイド・オドワイヤー
――大柄の女性や車椅子の人がモデルで出てきた変わったショー。正直、モデルばかり印象に残って、服のことをよく覚えていない。デザイナー自身もプラスサイズなのかと思ったら、ほっそりとした女性だった。今、ほとんどの新人がセントラル・セントマーチン美術大学出身だけど、この人はロイヤル・カレッジ・オブ・アート。
ショーを見る前、女性の体の彫刻のようなものの写真がオンラインに上がっていて、それから想像したイメージとは違ったコレクションだった。プラスサイズモデルがネットのような服を着ていた。
――そう、紐を渡したネット状の服がいっぱいあった。それにしてもちょっとやそっとのプラスサイズモデルじゃなかった。並外れた大柄の女性がたくさん登場した。
最初どうなのかと思ったけど、結果的に好きなショーだった。痩せた人じゃない人もファッションを楽しめる。プラスサイズのモデルの服って、痩せた人が着ている服を大きな人も着れるというものがほとんどだけど、この人の服はそれとは違ってプラスサイズの人の体型を意識した上で彼女たちのための服を作っている。
――その見方は正しいと思う。今思い出したのだけれど、このショーで何よりも印象的だったのはバスト。巨大なバストのモデルのために、ダーツを入れて大きな胸が飛び出すような形のトップを作っていた。ジャケットもシャツも巨大な胸をそのまま立体的にすっぽり包んでいる。
ボディーコンシャスな服。オーバーサイズの人のボディーも美しいから見せたいという服。面白かった。
18:00 チェット・ロー
――最後に見た新人のショー。どうだった?
うーん、このブランドはどうかな。プレスリリースには中国の輪廻転生のようなことが書かれていたけれど、そうしたものがきちんと伝わってこなかった。
――コレクションのタイトルは神を崇拝するという意味の中国語「拜神」。このデザイナーは中国系アメリカ人だけれど、仏教徒として育ち、子供の頃毎週お寺に通っていたことなどを振り返ったそう。
中国で被られているような帽子を出したりしていたけれど、彼自身がちゃんとその世界を理解しているのかが疑問だった。とってつけたようにしか見えなかった。中国の文化をポストカードやインターネットで見て参考にしたような感じ。
――このデザイナーのニットの技術はすごい。絞りのように表面全体がツンツン尖ったような編み地が有名で、すぐに彼の服だとわかる。売り場で手に取って広げてみたけれど、ものすごく強く尖って編まれていたので形状記憶の技術でも使っているのかと思ったら、編みだけで形成しているそう。
それはそうだけど・・・・
――というわけで有力ブランド2つとデビューブランド6つを振り返ってみたけれど、何か他にこれは伝えたいと思うブランドある?
ノキ。すごく好きだった。このショー、なんか怖かった。
――このブランドはもう20年ぐらい前からあって、時々ショーをしているけれどいつもオフスケジュール。今回もそう。Y2Kの頃のリメイクブームのカリスマブランドだった。実は私も当時のワンピース持っていて、宝物の1つ。それにしても20年間変わらないなあ。
初めて見たけれど、いろんなテクスチャーやプリントが混ざっていて、モデルはスピーカー持って早歩きで登場して、とてもフリーダムを感じた。素材は古着だったりするけれど、それぞれの服にそれぞれのストーリーがあって、それを集めて着ている感じ。Tシャツは蚤の市で買って、靴は友達がくれたというような。ノキの服を着ている人は、服が主役じゃなくて自分の人生が主役で服がそれを映し出しているんだと思う。いろいろなことを体験した人が、いろいろなところで集めたものを自分自身のストーリーとして身につけている。そんな感じ。
――古着のTシャツを素材にしたノキの服って、誰でも同じようものを作れそうなんだけど作れない。他にはない彼の世界、強さがある。そういえば、ショーで見せる服はコレクションじゃなくアートワークって表現している。
リリースには、41点全部にルックの名前がついている。それぞれのルックというより人を表現するような。ルックがあってそれをモデルに着せていんじゃなくて、モデル1人1人にルックを作り上げているんじゃないかな。
――チョポヴァ・ロウェナや シネイド・オドワイヤーもそうだけど、新作をプロのモデルに着せるのではなく、さまざまなタイプの人に合わせて服を作るというインディビジュアリティーが今、共感を生むのかもしれない。
【番外編】10月13日 20:00 ラフ・シモンズ
――9月のファッションウィーク中のショーを断念したアントワープ拠点のラフ・シモンズが、1ヶ月遅れでロンドンで初めてのショーを見せた。会場はテムズ河沿いの昔、新聞の印刷工場だったプリントワークス。インダストリアルなムードバリバリのイベントスペースで、これまでも何回かショーで訪れたことがある。1000人の来場者にお酒をサーブしていた長いバーカウンターが、そのままランウエイになる、全員立ち見のショーだった。
今、ここはクラブになっている。ラフのショーは今シーズンすごく楽しみにしていたので、中止になった時はとても残念だった。だからこうして見ることができて嬉しい。
――今シーズンは90年代ロンドンのレイブシーンがイメージ。当時のアンダーグランドカルチャーを振り返り、ミニマルなスタイルに落とし込んだ。
赤ちゃんが着るロンパースのような服のインパクトが強かった。二の腕にガッチリつけられたジュエリーもクール。かっこよかった。でも、同じようにアンダーグランドな世界を見せた6月のマーティン・ローズのショーと比べるとちょっと弱いかな。今シーズンのチョポヴァ・ロウェナと比べてもそう。
――同感。なぜかというと、インディビジュアリティーの話の繰り返しになるけれど、要はモデルだと思う。パンデミックが一段落して、フィジカルのショーが復活したけれど、いろいろなことが以前とは違う。その一番大きな違いはダイバーシティーで、多くのショーにプラスサイズモデルが登場し、男女の性差も薄らいだ。細くて美しい典型的なモデルではない人たちに服を着せることがフツーになったのだけれど、その究極がストリートキャスティング。マーティン・ローズやチョボパ・ロウェナは、ただものでないクセのある人たちがモデルになっていた。
確かに、ラフのショーは会場や演出はアンダーグラウンドな世界が再現されていたけれど、モデルにインパクトがなかった。
――個性的な人に着せるショーは、その後で原稿を書く時に写真を選ぶのが難しい。やはり、プロのモデルが着た写真は服が主役で、どの写真を見ても服が美しく写っているけれど、ストリートキャスティングの場合はそうはいかない。でも、実際に見ている時は断然迫力があって、ショーの熱量が違う。ストリートキャスティングは今に始まったことじゃない。90年代のゴルチエやヨウジヤマモトのメンズをはじめ、過去にもたくさんあった。パンデミック中のデジタル一辺倒の時期を経て、リアルショーの復活と共にその価値を再認識することになったということかな。ショーはやはり体験しないと。今シーズンもたくさん見ることができてよかったね。
あっと気がつけば、ロンドン在住が人生の半分を超してしまった。もっとも、まだ知らなかった昔ながらの英国、突如登場した新しい英国との出会いに、驚きや共感、失望を繰り返す日々は30ウン年前の来英時と変らない。そんな新米気分の発見をランダムに紹介します。繊研新聞ロンドン通信員