これ、なんだかわかります? そう、キッチンで使うザル。
英国内40校、さらには海外からの参加15校の大学の卒業作品やショーを一同に見せるグラデュエート・ファッション・ウィークの展示会場で、ふと目にとまったのがこれ。どこの家の台所にも1つはある取っ手がついたメタル製のザルに、素敵な刺しゅうがほどこされている。
このザルが飾られたていたのはRoyal School of Needlework(英国王立刺繍学校、RSN)のブース。他にも、様々なテクニックの刺しゅう作品が展示されていた。
でも、卒業生のものではない。1年生の作品だ。というのは、1872年に設立された由緒あるこの学校に大学にあたるBA(学士課程)コースができたのは1年前。ちょうど、最初の学生たちが1年目を終えたばかりなのである。
グラデュエート・ファッション・ウィークは卒業生を業界に紹介し、就職を支援するだけでなく、この業界で働きたい、学びたいという学生たちに大学を紹介する場でもある。そこでRSNのようなブースもゲスト出展している。
1年生による様々なステッチの作品が並ぶ展示ブース
そもそも、手刺しゅうの伝統技術を広く後世にも伝えることを目的に設立され、その目的は今なお変らないというこの学校には、これまでは「サティフィケート」と「ディプロマ」のコース、そして気軽に参加できる1日もしくは2日の「デイクラス」しかなかった。
「サティフィケート」は1週間に1、2日程度通い、4つの基本ステッチを習得して技術認定証がもらえる、いわゆるお稽古ごとのレベル。そして、「ディプロマ」は2年間さらに様々な技術を学び卒業証書がもらえる、専門学校のレベル。
そして、1年前に新設されたのが、大学にあたる3年間の学士コースである。
もう少し詳しく説明すると、英国の大学の組織は時代とともに様々な改訂や合併などが行なわれているが、近年、アートやファッション、メディアといったクリエーティブ系の高等教育機関の一部が、2つ大きなUNIVERCITYの傘下に入ることになった。
その1つがUniversity of the Arts London(ロンドン芸術大学、UAL)で、傘下のカレッジは、セントラル・セントマーティン、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション、キャンバウエル・カレッジ・オブ・アート、チェルシー・カレッジ・オブ・アート、ウィンブルドン・カレッジ・オブ・アート、ロンドン・カレッジ・オブ・コミュニケーションの6校。
つまり、セントマーチンを卒業しても、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッションを卒業しても「ロンドン芸術大学卒」ということになる。人によって経歴にカレッジ名を出したり、大学名を出したりするので、時々混乱するが、ま、そういうことである。
そして、もう1つがUniversity for the Creative Arts(UCA芸術大学)。傘下にはグラデュエート・ファッション・ウィークにも参加して業界で活躍する卒業生も多いUCAエプソンとUCAローチェスターをはじめとする6校が含まれている。
前置きが長くなったが、後者の6校目がこのRSNというわけだ。
展示ブースで丁寧に説明をしてくれた主任教員のシェレル・ウェルシュさんに、なぜ学位コースを設立したのかを聞いたところ、「ディプロマコースを卒業しても、なかなか就職先が見つからない。そこで学位コースを設立した。もう1つ理由は、UCA芸術大学に加わることで、インターナショナルにアピールできる」との答えが帰って来た。
この2つの大学は日本をはじめ様々な国に事務所があり、留学生の受け入れ体制も整っている。
学士コース長のアンジー・ウェイマンさん(左)と主任教員のシェリル・ウェルシュさん
さて、BA (Hons) Hand Embroidery for Fashion, Interiors, Textile Artというこのコースは、その名称にあるように、ファッション、インテリア、そしてアート作品のすべてにおける刺しゅうを学ぶもので、マス目を利用したキャンバスワークやウール糸を使ったジャコビアン刺しゅう、軍服などを飾るゴージャスなゴールドワークなど、様々なステッチはもちろん、手刺しゅうに関連した様々な技術を取得する。
記念すべき第1期生は13人で、そのうち12人が女性だそう。まだ広く募集をしていなかったこともあり全員英国人だが、9月にはじまる2期生からは留学生も受け入れ、現在日本人と韓国人を含む16〜18人の新入生を予定している。先生が1人1人に丁寧に教えるシステムとあって、20人までしか受け入れないらしい。
ちなみに、学士コース以外には日本人学生もいて、先日も日本のテレビ番組のクルーが、マサコさんという学生さんを紹介する映像を収録したそう。マーケティング担当者にどこの局のどの番組だか訪ねたのだが、「今、覚えていない。ごめんなさい」とのこと。
そして実は、ブリストルやグラスゴーなどの英国の他都市に加え、日本とアメリカに分校もある。日本分校は同学校の卒業生で正式な講師資格を持つ、二村恵美さんが開校している。
王立というのは、名前だけでなはない。なんと、この学校はハンプトンコート宮殿の一角にある。ロンドン南西部にあり、観光地にもなっている宮殿で伝統技術を学べるなんて、なんとも素敵な話である。
4年前のロイヤルウエディングで、キャサリン妃が着たウエディングドレスはサラ・バートンが手掛ける「アレキサンダー・マックイーン」のものだが、その仮縫いなどはハンプトンコート宮殿で行なわれたという。そして、そのドレスの刺しゅうを手掛けたのはRSNのスタッフだそうだ。
エリザベス女王の戴冠式のドレスなど歴史的なロイヤルドレスも皆そうで、この学校は王室御用達の紋章を有している。
そんな伝統的な一面だけでなく、デザイナーとのコラボレーションも行なっており、ロンドン・コレクションに参加している「ジャイルズ」の14年春夏コレクション、ロンドン・メンズコレクションに参加している「E・トウツ」と、パリ・コレクションに参加している「フセイン・チャラヤン」の14〜15年秋冬コレクションの刺しゅうも手掛けた。
うーん、学士コースは無理だが、デイクラスぐらいなら一度参加してみるのも楽しい経験になるかもしれない。通常は週末の開催だが、夏休みの時期などは平日クラスもある。
中央のジャケットは学士コース唯一の男子学生の作品
あっと気がつけば、ロンドン在住が人生の半分を超してしまった。もっとも、まだ知らなかった昔ながらの英国、突如登場した新しい英国との出会いに、驚きや共感、失望を繰り返す日々は20ウン年前の来英時と変らない。そんな新米気分の発見をランダムに紹介します。繊研新聞ロンドン通信員