イタリアでは3月8日を「ミモザの日」と呼び、男性が女性たちへミモザの花を贈る。75年に国連が定めた「国際女性デー」のイタリア流の根付き方だ。20世紀初頭の米国で女性たちが参政権を求めた運動に由来するこの日に、現在の繊維・ファッションビジネス業界の女性を巡る問題について考えてみたい。
【関連記事】リッチーエブリデイ 国際女性デーに合わせ「カラー、パワー」キャンペーン
■変わらない課題
昔から変わらない課題の一つが、指導的立場の女性の少なさだ。働き手の半数以上が女性とされる業界だが、管理職に占める割合は全体の女性の多さに比例しない。19年1月の本紙の繊維・ファッションビジネス業界へのアンケートでは、有効回答のうち「課長以上の女性管理職の割合が政府目標の30%を超えている」企業は17%だった。当時の民間調査によると、全産業では10%に届いておらず、それよりは好成績に見える。しかし、アンケートでは「女性管理職がゼロまたは10%未満」の企業が67%で、全体では他産業並みの水準にとどまった。
2年前の調査だが、その後、大きな進展はないと見られる。昨年からはコロナ禍にあり、日本の労働環境は悪化した。この2月時点で女性の実質的失業者が100万人を超え、非正規労働者の多い女性に不況のしわ寄せが大きいことも顕在化した。
85年に通称・男女雇用機会均等法が制定され、99年には男女共同参画社会基本法も公布されるなど、男女が対等な立場で社会の様々な分野で利益を享受すべきという方向性は明示されてきた。繊維・ファッションビジネス業界も、採用から教育、登用などあらゆる場面で女性の進出が形になるよう取り組んだ。にもかかわらず、10年、20年後、採用した女性社員が一人も残っていない。そんな苦い経験が残る企業も多い。
扉は開いたのに、女性の管理職はそれほど増えなかった。理由の一つは、女性の社会進出が叫ばれた一方で、男性の家庭内進出は問われなかったことだ。このアンバランスの解消は、テレワークなど新しい働き方が進んだコロナ下で糸口が見え始めるという現象を生んだ。思考停止に陥りがちだった私たちに、コロナ禍は多くの気づきをもたらした。女性の問題が女性だけの問題のままなら、変化はない。
■転換点の役割
そんな中で、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の「性差(ジェンダー)の日本史」(20年10月6日~12月6日)が話題になった。この展示を見ると、7世紀末までは戸籍を含めて男女の区別はなく、あまたある小国の首長も30~50%が女性だった。古代から律令制、幕藩体制、明治維新と近代化が進む過程で、制度が改まるたびに、女性が表舞台から消えていった。男女の「区分」が「分離」へ、それが「排除」へと変わっていくという、この一つの史実の延長線上に今がある。
日本の女性を巡る問題は根深い。1400年以上前から構築されてきた社会制度の土台や集合意識は、30年程度で変えられるようなものではなかったのかもしれない。しかし今、これまでと全く異なる段階に入ったことも事実だ。発言を躊躇(ちゅうちょ)しない女性が増え、SNSによって世界規模で瞬く間に拡散する。日本の常識などおかまいなしに様々な国や宗教の人々の価値観に照らされながら。「女性がいる会議は長くなる」といった発言も、3年前ならここまで問題にならなかっただろう。
この転換点に、繊維・ファッションビジネス業界が果たせる役割は大きい。一人ひとりの生き方を彩り、より豊かな選択肢を提供することで発展する産業だからだ。個々人が自由に自身の可能性を広げ、それを認め合う土壌作りへ貢献することにデメリットはない。逆に、そうした取り組みに鈍感だったり、消極的だったりすれば、企業の中の女性も顧客の女性も離れていくだろう。沈黙の時代は終わり、固定観念を持たない人々が主役となる。男女平等への潜在欲求は大きいが、ゴールではない。本当に欲しいのは、その先にある自由である。これを阻むものは、できるだけ早く取り除く。その先頭に立つ産業を目指したい。