先日、先輩記者が国内で綿花栽培がじわじわと広がってきたという記事をまとめていた。自分も綿花栽培に取り組んでいる人を取材する機会があった。きっかけは東日本大震災で大きな打撃を受けた福島県。両親の実家が福島県で、子供のころによく遊びに行っていた場所なので思い入れも強かった。
毎年、復興の歩みを取材するなか、昨年の3月に出会ったのが、福島県いわき市を中心に有機栽培した備中茶綿を使用した製品の企画・開発・販売をしている起点の酒井悠太代表。前身の団体時代から活動に参加し、試行錯誤しながら、10年近く地元での事業化に尽力してきた。「新たに生まれた綿花栽培という産業を発展させることで、次の若い世代に地域の可能性を示したい」との考えだ。
今年の3月には福島県での綿花栽培に挑むシャツ職人を取材した。東京・日本橋にビスポークシャツの直営店を構える南シャツの南佑太代表は2年前、「津波被害で塩害にあった南相馬市で農業を復活させたい」との思いから、現地で自前の畑を持ち綿花栽培を始めた。
収穫できる量はまだまだ多くはないが、復興への熱い思いが込められた製品は多くの人に伝わるはずだ。綿花という被災地にとって新しい地域資源の活用の広がりは、ファッションの力を再認識することにもつながっていくのだろう。