日本のシルクは、明治時代から昭和前半の経済復興期にかけて日本の輸出をけん引した花形産業の一つ。往時は世界一の輸出量を誇った。日本各地に点在する近代遺産を見るにつれ、絹糸が日本の近代化に貢献したことを思う。製糸の本場は長野県の諏訪湖周辺。中でも岡谷市には300を超える製糸工場があった。
時は移り、今や市内に唯一残るのが宮坂製糸所である。社員は10人余り、年産量は1トンという小さな工場だが、ユニークなのはその立地。シルクの歴史を伝える岡谷蚕糸博物館内にある。博物館の展示の最後に、動態展示エリアとして同社の実際の生産ラインを見学できるように設計されている。出口には、シルク製品のファクトリーショップもある。
日本各地の繊維産地、縫製工場は改めて自立化に向けた自社ブランド強化に力を入れている。ただ、「近所の人でさえ、うちが何を作っている工場なのか知らない」という声も少なくない。自社ブランドやEC販売を強化していく前に、地元での情報発信を怠ってきたという反省だ。
かつて製糸業は、相場が乱高下する経営の難しさから、「生死業」と揶揄(やゆ)されたと聞く。先行きが見えない中、国内工場もこれから文字通り生死をかけた戦いが続く。生産現場と地域の消費者を近づける試みは、一つの大きなキーワードになる。