シルク専門商社の丸八生糸(京都市)は今年、創業100年を迎えた。国内外の生糸や絹撚糸、絹織物、絹製品を扱い、和装分野のサプライチェーンを長く下支えしてきた。和装市場は70~80年代に最盛期を迎え、以降は縮小の一途をたどっている。塩尻社長が入社したころ、市場はすでにピークアウト。「漫然と経営していたら、ただ縮小するのみ」という厳しい事業環境のなか、「新たなシルクの価値創造」に挑み続けてきた。その積み重ねが次の100年に向かう基盤を築き、次世代へと着実に引き継がれようとしている。
世界で高まる需要
――事業概要は。
1924年に糸卸商の塩尻商店として創業し、西陣織の帯、きものの原料となる生糸、絹撚糸の販売を始めました。その後、販路を全国へ広げ、和装を中心とする幅広い用途で様々なシルク原料を提供してきました。
シルクは光沢や滑らかな手触りといった上質な風合いだけでなく、近年は吸湿性、保湿性、放湿性、紫外線吸収性といった機能性やたんぱく質も注目され、衣料品以外に化粧品や食品用途としても商品開発が進み、世界ではシルクの需要は膨らんでいます。これに対し、当社はこれまで培ってきたシルク原料のグローバルなサプライチェーンや情報網を強みに、新しい市場の開拓を進めています。
――入社当時の状況は。
入社したのは78年。きものの会社で2年ほど働いて家業に入りました。26歳だったと思いますが、当時社長だった父に「すぐ常務になれ」と言われました。入社したばかりで早すぎるだろうと抵抗しましたよ。それまで働いていた会社の社長に「(自分の代わりに)断ってもらえませんか?」と相談すると、「腹をくくってやりなさい」と叱られ、覚悟を決めました。
このころ生糸、絹撚糸、絹織物は輸入規制がありました。ですから、当社が主に扱っていたのは国内の生糸です。それを日本中の絹織物産地に出張販売していました。半分近くは西陣で、丹後にも出入りするようになり、その後は北陸まで足を延ばし、商圏を広げていきました。
――海外商品も扱っていた。
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