沖縄のレキオ ファッションの源流は農業 琉球藍や苧麻育て、畑からアパレルへ

2020/12/12 06:28 更新


 「綿もシルクも源流は農業。琉球藍を育てているのも同じ。ここから始めないと」。沖縄のアパレルメーカー、レキオ(宜野湾市)の嘉数義成社長は、希少になりつつある琉球藍を6年前から自ら育て、最近では苧麻(ちょま)も試験生産し、染色や製品の素材として活用している。ローカルでしか出来ないことを突き詰めることが、世界に通じるはず、との思いがあるためで、「これからも沖縄にこだわっていきたい」と話す。

(永松浩介)

 嘉数社長は、嘉手納基地がある沖縄市出身で現在36歳。ファッションの原体験は米軍基地の払い下げの軍モノだ。身長184センチと高く、足も30センチ弱あり、「普通に着られるものがなかった」。多感な高校生のころはネット販売が芽吹いた時期だったが一般的ではなかったため、着るものには苦労したという。

 県内のデザイン系の専門学校を卒業し、5、6年ほどフリーで洋服作りをしていた。「ずっと拠点は沖縄。出る理由があまり見つからなかったから」。その後、09年にレキオを立ち上げ、同時にショップも宜野湾市内に設けた。当時は自分の服と海外などからの仕入れ品で構成していたという。レキオは外国人が発する「琉球」の音から取った。

台湾、韓国にも

 リゾートファッションの「レキオ」と、かばん・小物メインの「メイド・イン・オキュパイド・ジャパン」を販売する。当初から「沖縄でしかできないこと」を念頭に置いた。前者は亜熱帯気候に合わせたファッションだし、後者の素材は米軍の演習用テントの払い下げだ。今のライフスタイルにそぐうようにはしているが、生まれ故郷へのこだわりがベースにある。卸先も沖縄のホテルや台湾、韓国など、沖縄を中心に据えた周辺が多い。起業当初は東京の展示会なども出て着実にビジネスを維持してきた。

 今年は、沖縄にも襲いかかった新型コロナウイルスの感染拡大で、自社ブランドは打撃を被った。しかし、7月に開業した高級リゾートホテル「星のや沖縄」の制服全般の生産を受注しており持ちこたえているという。

「占領下の日本製」という意味の「メイド・イン・オキュパイド・ジャパン」のバッグ。沖縄の現状を皮肉ったという

一気通貫で解決

 6年前からは琉球藍を育てている。これまで琉球藍で自社製品を染めてもらったりはしていたが、原料も少なく染め手も高齢化が進み、受けてもらえないことも多かった。そのため、自ら手掛けることにしたという。「畑から一気通貫でやらないと解決しないなって」

琉球藍

 農業は未経験だったが、耕作地探しから始め、県北部の東村で畑作業をしている。琉球藍の染色は口伝も多く資料もないため、琉球大学と共同で研究しながら改良を重ねる。製品を安定させ、量を確保しないと流通に乗せられないからだ。現地までは本社から1時間半ほどかかるため、今は平日の2、3日は行きっぱなしが多く、本業は電話やオンラインでスタッフとやり取りしているという。

 小さいながら染色場もあり、自社ブランドだけでなく、県外他社からも受注している。嘉数社長がデザインと染色を担う東京のブランド「アイナリー」をはじめ、他に有名デニムブランドの仕事もしている。「自分なりに製造工程で工夫して最初よりは良くなってきている」と嘉数社長。

琉球藍は黒の色素が強く、濃色に持っていけるのが特徴

 今年も11月後半から種付けが始まり、来年7月以降に原料ができる。製品として登場するのは22年の春夏物と長い道のりだが、「当面は琉球藍に力を注いでいきたい」と嘉数社長。アパレルで稼いだお金は全て畑と研究に溶けると苦笑いするが、「自分が死んでも仕組みとして残り、世界に発信できる量が確保できるまでの生産基盤を作れれば」と話している。

嘉数社長
(繊研新聞本紙20年11月4日付)



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