1939年9月7日は、小説家の泉鏡花が世を去った日です。1873年11月4日、金沢に誕生し、91年に尾崎紅葉の弟子になっています。そもそも紅葉の小説を読んで作家を目指すようになったという。
いかにも明治の文士らしく、きものを着て、筆の墨で文章をつづった人です。明治では、もっとも小説らしい小説を書いた人でもあります。映画「瀧の白糸」についても、それは言えるでしょう。鏡花ならではのフィクション性という意味で。劇などでも有名ですが、鏡花の『義血俠血』が原作なのです。この小説も金沢から物語がはじまります。鏡花は金沢を背景にした小説を多く書いています。
『義血俠血』の中に「股引に汚れたる白小倉の背広を着て…」と出てきます。「白小倉」とは白い小倉織の意味です。明治20年代にすでに小倉織の背広があったものと思われます。江戸時代、九州の小倉藩で織られた上質の木綿地を「小倉織」と呼んだのです。(服飾評論家・出石尚三)