長野県岡谷市にある「岡谷蚕糸博物館(シルクファクトおかや)」を初めて訪れた。岡谷市は明治時代から昭和初期にかけて生糸の町として大きく発展したが、その歴史については、祖母から聞いた話や小学校の授業で触れた程度で、詳しく知る機会はほとんどなかった。
岡谷蚕糸博物館は、岡谷の製糸業(蚕糸業)の歴史と文化を伝える施設として1964年に開館。2022年8月には、旧農林省蚕糸試験場岡谷製糸試験所(現・国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構)の跡地へ移転した。研究所の建物を改修し、現在も稼働している唯一の工場・宮坂製糸所を併設した「シルクファクトおかや」として生まれ変わったが、そこに至るまでの道のりは決して平坦ではなかったと、髙林千幸館長は語る。
ドイツでは歴史的建築をできる限り残し、現代的にリノベーションして新たな用途へ転用しながら歴史を継承していく手法が一般的だが、日本の国の建物では前例がないと許可が下りにくいという。近年、日本でも古い建物のリノベーションやコンバージョンは広がりつつあるものの、全国的に定着しているとは言い難い。

「岡谷蚕糸博物館(シルクファクトおかや)」には、製糸機械、文書類、製糸経営に関する史料など約3万点が収蔵されており、その一部は長野県有形民俗文化財、近代化産業遺産に指定され、8点の繰糸機は機械遺産にも認定されている。資料展示にとどまらず、蚕の成長や現在も稼働している工場の見学、様々なワークショップを開催しており、国内外から30万人を超える来館者が訪れている。
長野県は江戸時代から日本有数の養蚕地帯であり、岡谷市は天竜川や諏訪湖周辺の良質で豊富な水、冷涼で湿度の安定した気候にも恵まれていた。繭を煮て糸を引く工程では大量の水と温度管理が不可欠なため、この環境は製糸業にとって非常に有利だったという。さらに、明治時代に入ると生糸の需要は急増し、日本最大の輸出品となり、近代化政策、輸出需要の拡大、交通網の発展も重なり、岡谷市はやがて国内からは「糸都(しと)岡谷」海外からは「SILK OKAYA」と呼ばれるまでに成長した。
岡谷市では、イタリアやフランスから導入した洋式製糸機械をもとに改良を重ね、独自の諏訪式繰糸機を開発。繭を生産する農村から、糸を生み出す町へと発展していった。諏訪式繰糸機には、イタリア式の「より掛け方式(複数の繭糸を1本に合わせるケンネル式)」と、フランス式の「煮繭と繰糸を1人で行う煮繰兼業」「小枠に巻き取った糸を大枠に揚げ返す再繰式」が取り入れられている。繰糸機は木製で、繰糸鍋には陶器が使われていた。


最盛期には約200軒の製糸工場が立ち並び、岡谷市(旧・平野村)だけでなく、山梨県、岐阜県、新潟県など各地から集まった若い女性たちが主に工女として働いていた。工女は1年契約で寮生活が基本だったが、寝食が保証されていただけでなく、休日には裁縫や家事、修身、国語を学ぶ機会があり、毎日入浴もできたという。さらに、工女の健康維持のため、製糸家たちの出資によって病院や娯楽施設も整備されていた。
近代化が進んでいたとはいえ、当時としてはかなり恵まれた待遇であり、生糸がいかに重要な産業だったかがうかがえる。一方で、繰糸は高度な技術を要する作業で、適性による差も大きく、仕事に向かずに辞めてしまう工女も少なくなかったそうだ。

蚕が作った繭から糸を紡ぐ工程は、大きく次のように分けられる。
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煮繭(しゃけん)
繭糸を覆う粘着性のある成分「セリシン」を柔らかくするため、繭を煮て糸を引きやすくする工程。 -
索緒(さくちょ)
煮た繭を実子ぼうきで撫で、糸口を見つけ出す作業。 -
抄緒(しょうちょ)
糸口を引き出し、1つの繭から最後まで繰れる1本の糸とする作業。 -
集緒(しゅうちょ)
1つの繭から取れる1200〜1500mの細い糸を数本集め、1本にまとめること。 -
より掛け
セリシンの粘着性を利用し、集めた繭糸同士をしっかり接着させる作業。 -
接緒(せっちょ)
糸が切れたり繰り終わった際に新しい繭を補給し、糸の太さを均一に保つ工程。繰糸の中でも最も重要かつ難しい作業とされている。
文章で追うだけでも過酷さが伝わる工程だが、もし自分がその時代に生きていたら、果たして製糸工場で工女として働けただろうかと考えさせられる。
岡谷の生糸は主にアメリカへ輸出されていたが、戦後にナイロンなどの化学繊維が普及すると、高価で扱いの難しい絹の需要は次第に減少していった。一方で、製糸業で培われた技術は精密機械や時計、電子部品産業へと応用され、全盛期には200を超えていた製糸工場も現在では、岡谷蚕糸博物館に併設されている「宮坂製糸所」1軒を残すのみとなった。明治時代から操業を続ける宮坂製糸所は、単なる工場にとどまらず、実際の製糸工程を見学できる、日本の蚕糸業を今に伝える生きた文化財だ。
生糸にはさまざまな種類があり、太さも細かく分類されている。1つの繭から取れる糸は約2〜3デニールと非常に細く、そのままでは使用できないため、複数本を束ねて用途に応じた太さに調整される。例えば、薄手のストールには14デニール、着物地には21、27、31デニール等が用いられる。
機械化が進んだ現代においても、手作業でしか成り立たない重要な工程が残されているからこそ、生糸ならではの美しさや繊細さが守られているのだと感じた。職人技術や伝統工芸の大切さが見直され、海外からも称賛されている今、岡谷の生糸の歴史も多くの人に知って欲しいと感じた。
■岡谷蚕糸博物館(シルクファクトおかや)
住所:長野県岡谷市郷田1-4-8
開館時間:AM9:00~PM5:00
(※宮坂製糸所の工場稼働時間はAM9:00〜PM4:00)
休館日:毎週水曜日

長野県生まれ。文化服装学院ファッションビジネス科卒業。
セレクトショップのプレス、ブランドディレクターなどを経たのち、フリーランスとしてPR事業をスタートさせる。ファッションと音楽の二本を柱に独自のスタイルで実績を積みながら、ライターとしても執筆活動を開始する。ヨーロッパのフェスやローカルカルチャーの取材を行うなど海外へと活動の幅を広げ、2014年には東京からベルリンへと拠点を移す。現在、多くの媒体にて連載を持ち、ベルリンをはじめとするヨーロッパ各地の現地情報を伝えている。主な媒体に、Qetic、VOGUE、men’sFUDGE、繊研新聞、WWD Beautyなどがある。
