【顧客第一主義を継ぐ150年 松屋㊦】「デザインは気遣い」を全ての社員に

2020/09/14 06:27 更新


銀座のランドマークとなった松屋銀座本店

自主独立で松屋らしさ

 1989年12月に山中鏆は社長を退いて会長に就任、新社長に古屋勝彦(現名誉会長)が就いた。創業家の社長就任は約10年ぶりのことだった。70年代後半から80年代に山中の傍らで、帝王学や経営のノウハウを習得し、21世紀の百貨店に向けたリーダーシップを発揮する。

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 91年のバブル崩壊後、百貨店はそれまでの拡大路線のツケを負うことになる。松屋はこの間、一貫した堅実経営を貫いた。多店舗化や多角化経営に突き進むのでなく、本来の百貨店業務に徹したことで、バブル崩壊で被(こうむ)った痛手は同業他社に比べて小さかった。

 2001年、銀座店は12年ぶりとなる大リニューアルを実施する。コーポレートカラーの刷新、海外ラグジュアリーブランドの導入など収益基盤の確立に向けた一大事業に着手する。CI戦略を任された日本デザインセンターの原研哉はコーポレートカラーを青から白に転換し、建物全体を白い外装で覆う「白い松屋」を提案。包装紙や手付袋などを含めて白で統一し、シンプルで高級感あるデザインを採用した。06年に完成した白い外装は銀座の街のランドマークとなった。

 MD改革では海外ブランドの導入を積極化した。取締役MD統括部長の秋田正紀(現社長)は交渉過程でブランド側が「銀座に対して我々の想像を超える評価をしていた。長い目でブランドの価値を育てていく考え方を互いに共有できた」と話している。契約が次々と成立し、「ルイ・ヴィトン」「フェンディ」「ブルガリ」「クリスチャン・ディオール」「セリーヌ」といったラグジュアリーブランドが1階に勢揃いした。一方で、雑貨の「エッセンス・プラス」、婦人服の「リタズダイアリー」など八つの自主編集売り場が新規オープンした。銀座店のリニューアルが先駆けとなり、銀座はプレステージブランドが集積するショッピングエリアとして、広く海外にも知られるようになった。

 リーマンショックを前後して、百貨店の在り方が大きく様変わりする。07年9月にJ・フロントリテイリング、10月にエイチ・ツー・オーリテイリング、08年4月に三越伊勢丹ホールディングスが相次いで発足し、百貨店の再編が一気に進んだ。

 07年5月に社長就任した秋田は松屋の自主独立路線を宣言する。秋田は「銀座に立地するという最大の財産を生かすには規模でない。鶏口牛後の気概で個性を磨く」と規模が小さくても松屋らしさを追求する道を選んだ。07年に会長となった古屋が銀座通連合会と全銀座会の会長に就いたこともあり、松屋が銀座とともに歩む方向性はますます鮮明になった。10年に掲げた「GINZAスペシャリティストア」として結実する。

顧客第一主義と合致

 銀座との地域連携を象徴する取り組みの一つが銀座ファッションウィークだ。11年3月の東日本大震災で銀座の街も人通りが絶えて活気を失った中で、松屋はいち早く復興支援のチャリティーイベントを立ち上げるとともに、ライバルの三越銀座店と連携して銀座ファッションウィークを実施した。その仕掛け人は常務執行役員MD戦略室長の太田伸之だった。

 太田は米国でのファッション記者を経て、東京コレクションを立ち上げた実績があり、パリやニューヨークのようなファッションウィークで銀座、日本を元気にしようと企画した。さらに翌年3月には銀座通りに100メートルのランウェーを設けて、屋外ファッションショーを開いた。様々な規制の壁を乗り越えた画期的なイベントとなった。

 19年度からの中期計画で「デザインの松屋」を掲げて、独自性をさらに磨き上げていく。今後の松屋が進むべき方向性をデザインにしたきっかけとなったのは、日本デザインコミッティーのメンバーでグラフィックデザイナーの佐藤卓が秋田に語った「デザインという言葉を堂々と使える百貨店は松屋だけ」という一言だった。

19年11月の創業記念日に顧客を出迎える

 松屋とデザインの関わりは日本デザインコミッティーとの歩みに集約される。1953年に当時の名だたるデザイナー、評論家、芸術家、写真家によって組織された。その拠点となったのが現在も銀座店7階にある売り場「デザインコレクション」だ。55年にスタートしたデザインのセレクトショップで、優れたデザインを啓蒙(けいもう)する活動から始まり、広い範囲で生活とデザインを結びつけてきた。

日本デザインコミッティーの創立メンバーが売り場の商品選定を行う(1955年)

 さらに佐藤の「デザインとは気遣いである」という言葉で、顧客第一主義と松屋の個性であるデザインが合致した。デザインの商品という限定的な概念から脱し、接客をはじめとする百貨店の全ての業務が対象になった。顧客のニーズに合わせて使いやすく、心地よく過ごしてもらえるように常に考えることであり、それは販売、仕入れの営業現場だけでなく、後方部門にも通じる。全ての従業員が「デザイン=気遣い」という考え方を通して、顧客が何を求めているかを読み取る能力を高めることで、企業風土の向上につなげる。

 新中期計画の一環として銀座と浅草のストアコンセプトを再設定した。銀座店は「GINZA GOOD ANSWERS」、浅草店は「MY TOWN,MY STORE」。次のステージに向けた新たな一歩を踏み出した。

(敬称略:繊研新聞本紙20年2月3日付)



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