どうしてアートを着るのかな(浅沼小優)

2014/04/01 16:08 更新


■アートなファッションぞくぞく

2014年春はモダンアートを思わせるモチーフでファッションがにぎわっています。ハンドペイント風から抽象画のようなものまで多種多様です。ここ数シーズン、クラフト感のあるデザインに注目が集まり、手仕事の跡をわざと残すといったディテールを強調したアイテムが登場しています。この春のアートなファッションは、クラフトトレンドの延長かもしれません。

というのは、クラフトと芸術はある程度重なる部分があるからです。職人技を駆使した美しいクラフトは、のちの時代に芸術品と言い換えられて美術館などに収蔵されてきました。クラフトトレンドが進化して、ついに手仕事の最高峰ともいえる「芸術」をファッションに取り込む動きにつながったとしても不思議ではありません。

ファッションのモチーフとしてのアート、特に現代美術との結びつきは1965年のイヴ・サンローランによるモンドリアンドレスが有名ですが、すでに1930年代にスキャパレリがダリを引用しています。いずれにしても、ファッションにとってアートが特段新しいモチーフという訳ではありません。でも、今回のアートなコレクションにはこれまでとは違った意味合いが含まれているように思えるのです。

■コミュニケーションを誘う

ひとつは、コミュニケーションへの関心です。有名なバードウィステルの研究によれば、二者間の対話で交わされるメッセージの65%が言語外からのものだといわれています。ファッションもこの65%に深くかかわっています。対話時に限らず、服は自分にかわってつねに周囲に話しかけているのです。「わたしに近づかないで」といったり、反対に「わたしに話しかけて」と誘うこともあるでしょう。アートなファッションは断然後者。会話をうながします。いわゆるカンバセーションピースの役割を担っているわけです。

カンバセーションピース的なファッションといえば、2010年春夏、ミュウミュウのコレクションを覚えていますか?つばめやネコといった身近なものをつかったリピート柄は、カンバセーショナルプリントとかグラフィックと呼ばれていました。「カンバセーショナル」がキーワードとして一気に花開いたのはこの時でした。

実は、プラダも2008年春夏にイラストレーション、2009年春夏に魚、2012年に車などのカンバセーショナルモチーフを使っています。コミュニケーションの欠落感がしだいに大きくなるタイミングと合致したのかもしれません。もともと服には他者とのコミュニケーション機能があるのですが、このカンバセーショナルというキーワードは、服のもつそうした役割を可視化させるきっかけになったのではないでしょうか。

■アートはコミュニケーション上手

アートには、グラフィカルなモチーフ以上にカンバセーションピースとしての効果が期待できそうです。先日、台湾に行ったのですが、そこでアート、とくにモダンアートのコミュニケーション力を実感しました。高雄という島南の海辺の町がありますが、港の倉庫街が駁二藝術特区とよばれ、アートの特別区にもなっていました。

高雄はもともと貿易港として栄えた台湾随一の港湾都市です。その特徴をいかして、台湾製糖と書かれた古びた倉庫やコンテナ、昔物資を運ぶためにつかわれていたホームや線路も活用したプロムナード空間をつくり、家族やカップル、友達同士で散歩しながら作品を発見したり、触ったり、ときにはアスレチックゲームに参加するような感覚で「登れる」作品もありました。

たくさんの人々が、構えることもなくのんびりとアート体験を共有していました。アウトドアの展示ということもあって、だまって眺めているひとは皆無です。連れ立った人と笑ったり批評し合ったり、知らない人同士でも同じ作品を見て視線を交わしたり、おしゃべりに熱中していました。モダンアートがある場所というのは、日常の時間軸をすこしだけずらすような効果があるのでしょうか。意識しなくても気持ちがひろがるようです。

台北では、故宮博物院で乾隆帝の特別展をみることができました。由緒ただしい施設ですから、当代随一の美術工芸品や乾隆帝の解説がパネルに表示される、という典型的な場所を想像していたのですが、この企画展にはいろいろな仕掛けが施されていました。

展示室の入り口にはアニメーションで描かれた乾隆帝がいます。きょろきょろとこちらを覗き込むような仕草で、目が合うような気すらしました。当時の工芸品のシルエットやディテールにインスパイアされた現代の服がディスプレイされていたり、絵画の中にいる人物の顔が、事前に撮影された自分の顔に変わってスクリーンに映しだされたりもします。

体験型が多いせいか、子どもがたくさん来場していました。まるでアミューズメントパークのようです。ふつうなら美術館でおしゃべりなどできませんが、むしろ声をあげながら観賞することをうながすような不思議な状況。高雄でも台北でも、モダンアートによる異空間が引き出すコミュニケーション力、おおげさにいえば美術の効用についてあらためて考えさせられました。

■ソフトパワーとしてのアートとファッション

乾隆帝展は、アートの別の側面、ソフトパワーとしての威力も垣間見せてくれました。皇帝のひととなりに焦点をあてる企画だったのですが、どうも、乾隆帝というひとはほとんど鑑定士級の審美眼の持ち主(あるいは分類の達人)だったらしく、いまでいうランキングマニアだったようです。

乾隆帝は、手元に集まる書や絵画といった国の至宝を、「たいへんすばらしい=上等」 と 「まあまあ=次等」 にわけ、さらに上等を4つのランク 「神」 「妙」 「能」 「逸」に分類しました。展示物のなかには、作品の上に「神」とか「妙」などと直接書き込まれたものもあり、乾隆帝自らが承認媒体としてお墨付きを与えていた当時の様子がヴィヴィッドに伝わってきます。

アートという感覚的なもの、コミュニケーションを誘う媒体をとおして、彼独自のルールを全体に浸透させていったのです。皇帝はいまもなお人々からとても愛されているそうですが、乾隆帝の人気の背景にはある種のソフトパワーの巧みなコントロールがあったのではないか。ランク付けというアプローチが、人の心をある一定方向に自ら進んで向かわせるプラットフォームとなって機能したのではないかと感じました。

ファッションの世界もまた分類が巧みです。さらにいえば、分類こそがファッションなのかもしれません。ハイエンド、アクセシブル/アフォーダブル、ミッドマーケット、バリュー/マスといった階層は、乾隆帝のようなひとりの絶対者によるものではありませんが、消費者-メディア-ブランドが暗黙のうちに合意したカテゴリーへの分類行為だといえます。

ブランドは他のブランドとの関係性の中で、特定の位置づけを得ることで、人々のあこがれを引き寄せる力の度合いもランク付けされ、価格もそれとほぼ比例して設定されています。このような仕組みがあるからこそ、消費者にある特定のランクの商品を自ら進んで買いたいと思わせ、同時に自分を社会構造全体の中で無意識のうちに配置させてしまう。これもまた、一種のソフトパワーではないでしょうか。序列のシステムはそこへの所属と反発の気持ちをかきたて、わたしたちのこころを一時消費によって安心させるのです。

■分けられたくない、でも分けたい、が消費の原動力

さきほども書きましたがファッションはおしゃべりです。話しかけないで、というサインも含めて周囲にコンスタントに訴えつづけています。わたしたちは分類されることがいやなはずなのに、ファッションなどのシステムを通じて自らを分類しておかずにはいられない心性を持っています。

「わたしって○○なひとなんです」、という自分を対象化したようなフレーズがありますが、分類がつきまとうこのシステムのいやらしさを十分知りながら、でも、どうにもならないこともよくわかっている、そういう存在なのです。

消費は残酷です。わたしたちはものを買おうとするたびに、無意識であってもこの分類の間をさまよいます。夕食にちょっといいお肉を買って、なんていうとき、一瞬わたしたちの頭に一体どんな階層の人生がよぎっているのでしょう。自分が足を踏み入れたい場所といま自分のいる場所はかならずしも一致していません。この違いはフラストレーションになることも多いのですが、だからこそ消費の原動力にもなっている、というのが現実です。

■モダンアートはわたしたちの代弁者

アートには、この分けられたくない、分けたいという矛盾した気持ちに寄り添ってくれるという面もあります。ちょっとわかりにくいかもしれませんが、それはアートをめぐる唯一性の問題が、フラストレーションの中で生きるわたしたちの一般的状況とつながっているからなのです。

すぐれた芸術作品は同じ作者のものであっても二つと同じものはありません。すくなくとも近代以前はそうでした。工業生産品のような規格がないし、写真技術もなかったからです。序列や型にはめられること、分類されることにすくなからず抵抗を感じて生きているわたしたちは、芸術作品に交換しえない唯一性を発見し、そこに安心を見いだしてきたのではないでしょうか。

ところが、モダンアートはアート本来のこの唯一性に一石を投じました。デュシャンやウォーホルをもちだすまでもなく、クラフトと芸術品の溝どころか、消費材と芸術品の溝をも飛び越えてしまおうとするモダンアートの方向性は、二つと同じものがない、というそれまであった芸術作品の存在意義に、大きな疑問符をつけてしまったからです。唯一性なんてほんとうにあるの?といわんばかりに。

このモダンアートの問いかけは、わたしたちが常にこころのどこかで抱いている不安、わたしたちはユニークでありたいの?それとも、規格化されたいの?そこに抵抗すべきなの?抵抗できるの?といったアンビバレントな心境にぴったりと重なるのです。

モダンアートがわたしたちの気持ちを代弁してくれている様子は、いまや大量生産品の控えめなデザイン性にまでアートを感じてしまうという、デヴィッド・ブランドン・ジーティングの発想に典型的に示されているように思います。

この春はアートを着て、ファッションのもつ底深さに思いを馳せてみたらいかがでしょうか。




短期的なトレンドにすこし距離をおきながら、社会の関心がどこに向かっているのか考えてみるブログです。 あさぬま・こゆう クリエイティブ業界のトレンド予測情報を提供するWGSN Limited (本社英国ロンドン) 日本支局に在籍し、日本国内の契約企業に消費者動向を発信。社会デザイン学会、モード?ファッション研究会所属。消費論、欲望論などを研究する。

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