ファッション業界にとって、まさに「巨星墜つ」である。シャネル、フェンディ、クロエなど数々のラグジュアリーブランドのディレクションを手がけてきたカール・ラガーフェルドが亡くなった。
同時期に国際ウール事務局のコンテストで見いだされたイヴ・サンローランはすでに他界している。それだけに、彼の死を一つの時代が終わったととらえるファッション業界人は多い。
ファッションデザイナーには二つの異なる才能を持ったクリエイターがいる。一つは自らのブランドを軸に、新しいオリジナルの世界を描いて時代に勝負を挑む者。もう一つは過去のアーカイブを元にしながら、今につながる要素を抽出し新しい解釈を加えて時代に提起する者である。
ファッションデザイナーとしてどちらが優れているといった問題ではなく、それは異なる二つの才能と言っていい。そしてラガーフェルドの場合、自らのブランドもあるが、圧倒的に後者に属するデザイナーといえる。しかも相当高いレベルでそれができるデザイナーであるからこそ、数々のブランドを任されてきた。
かつての彼のブランド「ラガーフェルド・ギャラリー」と、「シャネル」のクリエイションの対比を感じるシーズンがあった。自らのブランドの重く沈んだ色使いのダークなムードに反して、シャネルのコレクションは明るく弾んだキャッチーなコレクション。それが同じシーズンに登場した。時代のとらえ方と表現手法が、同じデザイナーにもかかわらずこんなに違うのかと驚いた。
そして難解なラガーフェルド・ギャラリーに対して、シャネルがなんとキャッチーだったことか。時に自らの世界を色濃く投影する自分のブランドと、歴史やアーカイブを背景にやや俯瞰(ふかん)して時代との焦点を探るデザインの違いだろうか。
そして、シャネルというオートクチュールメゾンの優れた手仕事の技とラガーフェルドのデザインのマッチングが優れていたということなのだろう。最近では18年春夏にラグジュアリーブランドにもかかわらず、PVCのアイテムをずらりと揃えてトレンドをリードすることがあった。そんな時代をとらえる才能は突出していた。
ラガーフェルドのデザイン手法が、現代のラグジュアリーブランドのクリエイション面の雛形となったのは間違いない。今や、あらゆるラグジュアリーブランドが才能あるデザイナーをディレクターに据えて、クリエイションとビジネスを回している。
しかし、彼ほど自らの色を殺して、純粋にそのブランドと時代のマリアージュに没頭するデザインができた人はいない。エディ・スリマンにしても、ニコラ・ジェスキエールにしても、ブランドの伝統よりも自らの世界を描きたいという業(ごう)のようなものが勝ってしまうからだ。
そういう意味で、カール・ラガーフェルドは二つのタイプに分かれるファッションデザイナーの後者に属するトップの中のトップといえる。故人の業績を偲んで、心から哀悼の意を表します。
(小笠原拓郎編集委員、写真=大原広和)