日本繊維産業連盟(繊産連)は昨年、ILO(国際労働機関)駐日事務所と共同で「繊維産業における責任ある企業行動ガイドライン」(企業行動ガイドライン)を策定した。そこでは、国際的にも注目される「責任ある企業行動」(レスポンシブル・ビジネス・コンダクト=RBC)の重要性を提起している。RBCの中でも、昨今注目が高まる人権問題、特に労働問題に焦点を当てているのが特徴だ。労働問題に取り組む意義や必要性を整理するとともに、RBCを実現するための手法である人権に関するデューデリジェンス(人権侵害を特定・評価し、防止・低減策を行い、検証した上で、その内容を説明・情報開示すること、人権DD)について、その手続きも含めて解説している。日本繊維産業連盟の富吉賢一副会長と日本アパレル・ファッション産業協会の松尾憲久理事長に、日本の繊維・ファッション産業における人権DDの現状と課題について語ってもらった。
中小企業の理解促進を狙って
Q 「企業行動ガイドライン」の要諦は。
富吉 今回のガイドラインの最大のポイントは、中小企業に人権DDの焦点を当てたことにあります。その発想の根底にあるのが外国人技能実習制度の問題です。批判事案が多い繊維産業において、これまでも官民を挙げて改善を図ってきましたが、今回のガイドラインを活用することでさらに改善していこうとするものです。ガイドラインでは、「人権についての施策で何をすればいいのか」と考えている中小企業に向け、その理解を促進するための〝入り口〟として、多岐にわたる項目のチェックリストを作りました。そのリストに沿って自社の労働環境の問題点を確認し、改善に向けて整備することで、国際規範にのっとった取り組みを進めることができると考えています。
また、人権DDはサプライチェーン管理の手法であることは厳然たる事実であり、当然ながらサプライチェーン管理サイドにも使えるようなガイドラインの構成となっています。
松尾 繊産連が策定したガイドラインは我々にとって教科書みたいなものです。しかし、これを読んでもすぐに理解するのは難しいかもしれません。ましてや、各アパレルメーカーの外部委託先の工場にまで説明することは、なかなか難しいことです。日本アパレル・ファッション産業協会としては、アパレルとその委託先企業が共にガイドラインを理解し、実践できるように〝良き翻訳者〟としてサポートしていきたいです。
労働法規重視へ改善進む
Q 人権DDにおける日本のアパレル産業の現状は。
富吉 ゆっくり改善していっている状況だと思います。繊維産業連盟に加盟している〝インサイダー〟の企業についてはかなり意識が高まりました。官民挙げての取り組みを始める前には、「企業が生き残るためには法に触れることもやむなし」とする声も一部であり、コンプライアンスの面で良くない状況もありました。しかし、今では法律順守は業界において完全なコンセンサスとなっています。
労働者の人権問題に詳しい弁護士に聞くと、「技能実習生に対して違反を行っている企業は、日本人従業員に対しても労働基準法違反を行っている」と言っています。技能実習生問題で改善が図られているということは、労働コンプライアンス上、労働法規を重視するという視点で、業界全体の改善が進んでいるとみています。しかしながら、依然としてアウトサイダーにおける違反事例はあります。
サプライチェーン管理を通じて、いかにして繊産連などの団体に加盟していないアウトサイダー企業に、人権DDの意識を広げていくかが大きな課題です。これは繊産連だけでは手が出ないので、政府、自治体などとの協力が欠かせません。
松尾 直近では、円安問題やコロナ明けの市況の回復、アパレルにおける在庫処分が進んだことで、生産現場が急に逼迫(ひっぱく)してきました。工場側は取り組み先を選択しやすい状況にあります。また、市場全体として物価高を受け入れる環境にあります。
これらを背景に、技能実習生を含めた賃上げが行いやすい状況です。一方で、コロナ下に多くの技能実習生が帰国しました。ピーク時1万7000人の状況から、現在は1万3000人程度に減少しています。この人員減を補充しなければ、市場の需要回復に追いつきません。こうした環境下でインサイダー企業を広げ、人権DD改革を進展させていきたいです。
ESG対応が生き残りのカギ
Q ガイドラインの実効性を高めるための要点は。
富吉 日本では難易度がかなり高いです。ガイドラインは〝ソフト・ロー〟の領域であり、法的な義務がない中で自主的に行動するものになっています。一方、EU(欧州連合)では人権DDを義務化する指令案が出ており、法制化、つまり、〝ハード・ロー〟に向けた議論をしています。
世の中の流れは、ソフト・ローからハード・ローへと進んでいます。ですから「日本はいまだ法的義務がないから対応しなくていい」ということにはなりません。特に消費者やNGO(非政府組織)を含むマルチステークホルダーなど企業経営に関与している人々の目が、ESG(環境・社会・ガバナンス)に向いています。これらステークホルダーの支持を得られなければ経営は成り立ちません。
ESGについては金融業界が高い関心を持っており、日本においてもこれへの対応を怠ると、資金面で厳しくなります。ESG施策をしっかり取り組んでいない企業は「リスクが高い企業」と判断され、融資のハードルが高くなります。将来に向けた施策に今から着手しなければ、企業は生き残れなくなることは目に見えています。
松尾 外国人技能実習生を受け入れている生産現場では、実習生の雇用は最低賃金にプラスして管理費用が必要になっています。中小企業が海外から人を受け入れ、日本で縫製業や染色整理などができるほど、アパレルが高い給料を出せるのかという課題がある。問題をクリアするには〝日本製〟というものに対する評価を相当上げていくことが必要です。我々アパレル業者の努力の本気度が、経済産業省からも問われています。
技能実習生の〝技能〟とは何かという課題もあります。繊維業界の生産現場は分業化されています。しかし、現状の技能実習生制度は、これらの工程の全てを出来ることが前提の制度です。大規模工場であれば作業をローテーションすれば問題ありません。今の日本の平均的な工場の従業員は10人程度。小規模工場での作業ローテーションは難しいです。
一方、特定技能にすれば良いのかといえば、縫製業などは技術習得に一定の期間が必要で、最初の1~2年間で十分な技能を習得することはできません。縫製業において高度な技術を得るには最低5年は掛かる。未熟な技術段階において、特定技能として自由な職業選択を得ることになると業界として困ることにもなります。
日本国内には、川中段階の繊維製造業者は約7万人で1万1000社があると言われています。平均7~8人ほどの会社のなかで、人権DDなど現在の情勢に対応でき得るものを理解し経営していくのはかなり難しい。繊維産業の生産現場の領域でインサイダー企業が拡大する仕組みや努力が必要です。1万社の小規模企業がばらばらになっている状況では、労働環境の面で外部委託する工場の〝先の先が分からない〟状況であり、我々も全体の状況把握に向けては工夫が必要になっています。
トレーサビリティーの確保
Q 業界全体の状況を把握する課題がある。
富吉 ここでのポイントはトレーサビリティー(履歴管理)です。人権問題だけでなく、サステイナビリティー全般に言えることです。経済産業省で繊維産業の資源循環の検討会を行っていますが、その議論と完全につながっている。検討会ではリサイクルに関して、「混ぜるとゴミ、分けると資源」と言われています。少なくとも製造工程から考えなければならない事案です。人権も同様のことが言えます。どこの工場で何をやっているか分からないとDDのやりようがありません。
DDを成り立たせるためのキーポイントは、サプライチェーン管理の視点で、トレーサビリティーを確立することです。今後、消費者はトレースできない商品は購買しなくなるでしょう。原料から最終製品までのトレーサビリティーを明確にし、チェックされることに耐えられる企業でなければ、サプライチェーンからはじかれることになります。
欧州ではトレーサビリティーは大きな議論になっています。デジタルプロダクトパスポートはまさにその領域です。それをいかに制度化するかで議論が盛り上がっており、日本でも必ず同じ議論が起こってくるでしょう。
魅力的な産業になるため
Q 政府の技能実習制度見直しによる影響は。
富吉 基本的に今までと変わりません。今度の制度改正は、現状の実態に合わせたものです。未熟練労働者を鍛え、熟練労働者として日本で働くことを前提としています。これは技能実習と特定技能の制度を組み合わせた姿であり、これを正面から認めることになります。そうなるとこれまでの技能実習制度とは根本的に考え方が変わるので、「実習制度は廃止する」ということになります。制度改正に向けては現状の制度の問題点を改善する必要が出てきます。
例えば縫製業でも職種が細く、いくつかに分かれています。婦人・子供服と紳士服が別業種になっているために、生産の繁閑に適応した柔軟な働き方ができないなどが起こっています。人材育成制度と特定技能制度の組み合わせの方向性で変えようとしているなかで、制度的な〝穴〟が多くあり、今後の検討課題となっています。
具体的な制度設計はこれからですが、今後も経済産業省と連携しながら、働きかけていきたいと考えています。
松尾 先程、富吉さんは「技能実習制度の法令違反をしている企業は、労基法違反をしている」とおっしゃった。確かに、日本人労働者を引き付ける企業としての魅力に自信を持っている経営者は、今度の法令改正には前向きです。特定技能制度によって、業種転換の自由が与えられても働きたいと思える企業としての存在価値を持たなければなりません。しかし、根本的に人材不足で、労基法ギリギリのところで事業を回さなければならないところに追い込まれている日本の零細業者がたくさんあるのも現実です。
先日、深い付き合いをしているイタリアのアパレル工場の社長と話をしていたら、「あるイタリア企業が自国の零細工場を相次いでM&A(企業の合併・買収)し、メイド・イン・イタリーとしてトレーサビリティーを保証できる物作りのグループを作り上げた。業績的にも非常に成功している」との事例を聞きました。その企業は、生産現場を集積するのではなく、各地に点在するままで構成し、資本提携や外注形態ではなく、DDの観点からサプライチェーンを構成しています。このようなリーダーシップを発揮する企業や人が日本でも出てくると面白いですね。
メイド・イン・ジャパンを生かし、世界に通用するクリエイションを打ち出す日本のメゾンブランドや、メイド・イン・ジャパンを世界に訴求できる人を育成しながら、彼ら・彼女らが求める基準を国内で生産する仕組みを構築していきたいと思っています。
「J∞QUALITY」(Jクオリティー)認証も活用します。魅力ある日本のファッション産業を構築することで、持続可能な産業へと発展していきたいです。
(繊研新聞本紙23年6月15日付)