洋裁技術の向上と充実、将来を担う人材を育成する目的で、前身となる団体が1969年に設立され、55周年を迎えた日本ファッション教育振興協会。当初は日本の洋裁技術向上のため「洋裁技術検定試験」を実施し、89年までの20年間で約74万人が受験した。時代の流れに合わせ、91年11月から現在の名称に改め、ファッションビジネスや販売、パターンメイキングなど新たに四つの検定を開始した。30年間で検定の出願者数は約76万人に達し、多くの合格者が業界で活躍している。検定事業を軸に、創造力育成のためのファッション画コンクール、服飾教育功労者の顕彰、産業界と協力してシンポジウムの開催など、人材育成に貢献してきた同協会の歩みを振り返る。
全国一律の検定を
日本ファッション教育振興協会の前身、日本洋裁技術検定協会は、60年代に入って日本の目覚ましい経済発展とともに、洋裁界も著しく成長していた時期に創設された。第2次世界大戦後、「女性も手に職を」と、戦時中は全国に約50校だった洋裁学校が、1947年には400校、49年に2000校、55年には2700校に急増。まだ既製服が広くは普及していない時期で、衣服製造業の従業者数は15万人未満だったが、洋裁学校は学生数が50万人に達するなど盛況だった。
60年代から本格化する既製服化とファッションの広がりを背景に、その製品生産部門として国内で縫製業が成立、発展する。大阪、東京、愛知・岐阜の名岐地区などの大都市圏と、周辺地域などで縫製工場が拡大。産業界の変化を受け、洋裁教育も家庭裁縫に加え、アパレル産業化に対応する内容を教えるようになった。洋裁関係の教育界、産業界でさらなる発展を期し、技術検定事業創設の声が高まりつつあった。