大熊・会津若松 巣鴨コレクション 尽きない不安、ショーが心癒やす

2014/01/01 05:00 更新


 福島の会津若松市はいわき市と並んで東京電力福島第1原子力発電所の立地する大熊町の避難場所になっている。原発事故で町民は震災翌日の避難指示を受け「すぐ帰られるだろう」と着の身着のままでバスに乗り込んだ。あの日から2年と9カ月余り、帰還のメドも立たず、多くの町民が今も仮設住宅で暮らしている。

避難所を転々と

 「事故で36年経営したスナックと自宅を置いて避難所を転々としながら震災4カ月目に夫の入院する会津若松市にたどり着いた」と話すのは大熊町商工会女性部長の山本千代子さん。大熊町商工会の会員は震災前には約300人、うち43人の女性部員が活躍していた。

 町民は分散避難を余儀なくされたが年に一度の大イベント「大熊町ふるさとまつり」は商工会が主導して、会津といわきで10月と11月に震災の年から催してきた。まつりに合わせて会津では仮設住宅の一角に日用品の販売と交流の場の常設店「おみせやさん」も開店。大熊町で衣料品専門店「やまだや」を経営していた中里のり子さんは「大熊町で朽ちていく自宅や店内を見る度にやりきれない気持ちになる」が、その辛い思いを封印し、おみせ屋さんでは笑顔で客を出迎える。

 「いつ戻られるのか、いつまで働けるのかと、不安は尽きない」と山本さん。気丈に振る舞う女性部員を元気づけたのが東京・巣鴨の商店街を舞台に一昨年から行われているファッションイベント「ガモコレ/巣鴨ガモコレクション」だ。ガモコレを知った会津若松在住の重巣敦子さんがプロデューサーの小堀義光さんに来演を打診したのをきっかけに、会津若松市での開催が決まった。

家族ぐるみで

 会津の神明通り商店街が創立50周年の一環で主催をし、会津若松市と大熊町との併催で行われたガモコレは巣鴨を離れた初のショーとなった。”綺麗な洋服がない””化粧はどうするの”そんな不安は「商店街の専門店が衣装を提供し、元パリコレデザイナーがメイクを助けてくれると聞いて払拭した」。

 モデルの募集は難航したが知人友人に声をかけ、女性部自らも家族ぐるみで参加、大熊町から12人が集まった。”こんな時期にショーなんて””補助金をもらう立場でぜいたくは敵”などの非難もある中、リハーサルの試着中に辛い避難生活を振り返って涙ぐむ人もいたが、70歳の参加者が「化粧をするとやっぱり元気が出るよねと皆の背中を押してくれた」。

 本番では150人の観客を前に総勢21人のモデルがランウエーを歩いた。「恥ずかしさや避難していることも忘れて思う存分楽しんだ」。ファッションの力が避難する人の心を癒やした。今年、ガモコレは仙台での大規模開催も計画している。(2014年01月01日付け本紙)

ガモコレ 会津若松

写真=昨年の7月に会津稽古場で開かれた「ガモコレ・イン会津若松+大熊」のフィナーレ

大熊町 女性部

写真=「おみせ屋さん」で働く大熊町商工会のスタッフ
(写真右から2番目が山本さん、3番目が中里さん)



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