パリで今見るべきアート(松井孝予)

2017/01/11 17:17 更新


Exhibition 1

近代美術のアイコン シチューキン・コレクション

「このコレクションを見たら、世界が変わるでしょう」と発言したのは、ロシア人セルゲイ・シチューキン(1854ー1936)の孫、アンドレ=マルク・ドゥロック・フーコー氏だ。この格言(と勝手に格付けしてしまうが)の「このコレクション」とは? フォンダシオン・ルイ・ヴィトン(FLV)で開催中の展覧会「近代美術のアイコン シチューキン・コレクション」を指す。

モスクワの国立プーシキン美術館とサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館が所蔵するセルゲイ・シチューキンのコレクション、モネ、ドガ、ロートレック、ルノワール、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、マチス、ピカソをはじめとする巨匠たちの作品130点が1948年以来初めて、FLVに一堂に展示されている。

これまで誰もが果たせなかったプロジェクトがここでついに現実のものとなった。彼の孫は同展の会見で、何度も何度も「ミラクルを越えた展覧会」とエモーションを表し、コレクションが与える見る人に与える感動のスゴさを説いた。芸術の力はそういうものだ。 

モスクワの大実業家シチューキンのアートコレクション

芸術家には、彼らの才能を見抜くことができる影響力のある大物コレクショナー必要だ。マチスやピカソも例外ではない。最初から有名な絵描きなんていないのだから。

アートコレクターに大実業家が多いのは、はやり先を見抜く眼があり、例えば若手ブランドに投資するように、これから大きくなる才能を育てる心が必要とされるから、なのではないだろうか。

セルゲイ・シチューキンは、テキスタイル取引業のイワン・シチューキンを父にモスクワに生まれる。10人兄弟のうち一番出来がよく、1890年に父の事業を継ぎ、他にも数々の商売で成功を重ね、「モスクワの商業大臣」と呼ばれるようになる。

大実業家となった彼は、当時パリに住んでいた印象派のコレクターだった弟を訪ね、そこのサロンに出入りしていた画家たちと知り合いとなり1898年、初めてモネの絵画を購入した。

これがきっかけとなり、ドガ、ロートレック、モーリス・ドニ、ピサロ、ルノワールらの作品、1903~1914年にゴッホ、セザンヌ、ゴーギャン(16点)、マチス(47点)、ピカソ(50点)の作品を次々とコレクションに加えていった。

この収集には、1906年に息子が自殺、1907年に愛妻が病死という悲しい背景がある。この2つの肉親の死後、シチューキンはモスクワにコレクションを遺贈することに決め、シナイ半島のギリシア正教会の修道院に数ヶ月間身を寄せる。

そしてその帰りにパリに寄り、マティス、ピカソらの作品に出会い当時のアヴァンギャルディストたちの絵のコレクション。マティスには自宅(トルベツコイ宮殿)のサロンを飾る『ダンス』と『音楽』をコミットメントした。


 
Paul Gauguin Ahe oé feii ( Eh quoi, tu es jalouse ? ), été 1892 ⒸMoscou,Musée d’Etat des Beaux-Arts Poushikine


アヴァンギャルドなコレクター!

1908年、モンマルトルのル・バトー・ラヴォワール(芸術家たちが住んだ安アパート)。ここでシチューキンはマティスの紹介でピカソに会う。彼はピカソの『三人の女』を購入し、その5年後には、キュビスムに青の時代、赤の時代を加えピカソ50点を所有した。

その数からして、シチューキンをピカソマニアと判断してはいけない。彼はピカソの絵が好きじゃなかった。でもピカソは「天才」だと分かっていた。『三人の女』を理解するために、アフリカの19世紀の木彫作品を購入するほどだった。

「モロゾフのように多くのコレクターは自分の喜びのために作品を手に入れましたが、シチューキンは大衆に芸術を教えるためにコレクションをしたのです」と、この展覧会のキュレーターであるアンヌ・バルダサリ氏は話す。

自分の好みに反したコレクションが、シチューキンの自分自身との戦いの勝利でもあることをこの展覧会は示している。

1917年に起こったロシア10月革命で、シチューキンコレクションは没収され、一家はドイツ、そしてフランスに移り住んだ。1948年、スターリンの政令でこのコレクションはプーシキンとエルミタージュの2つの美術館に分割されてしまった。

Lil Buck とこの展覧会を見る

Lil Buck が『三人の女』の前でダンス!

インフォメーション

「近代美術のアイコン シチューキン・コレクション」

3月5日まで

フォンダシオン ルイ・ヴィトン

Fondation Louis Vuitton

火曜日休館

開館時間は曜日によって異なりますので、こちらでご確認ください。  


 
トルベツコイ宮殿のマチスのサロン(サロン・ローズ)1920年代初頭 ⒸMoscou,Musée d’Etat des Beaux-Arts Poushikine ⒸMusée d’Art Moderne Occidental, Moscou

 
展示室11 ピカソ Cellule Picasso Photo / Fondation Louis Vuitton Martin Argyrogle


Exhibition 2

PICASSO – GIACOMETTI ピカソとジャコメッティ

ピカソとジャコメッティ。20世紀を代表するこのふたりの芸術家の関係は?友情は?

ピカソ美術館とフォンダシオンジャコメッティが協業し、絵画、彫刻、デッサン、プライベートなアーカイヴから、このふたりの繋ぐものを探っていく企画展。ピカソとジャコメッティの作品が並んだのを見るだけで、何か感覚がゾクゾクっとするはず。

ピカソ美術館で2月5日まで。

 


 

 

Exhibition 3

Where are we going ? Chiharu Shiota

ル・ボン・マルシェが空気の海になる_

ベルリン在住のアーティスト、塩田千春のインスタレーションが、ボン・マルシェ本館で1月14日から開催されている。

空間に糸を張り巡らせた大規模な作品で見る者にこれまでにない感動を与える塩田千春。パリでは2015年にエスパスルイ・ヴィトンでの展覧会が話題となった。

今回ボン・マルシェでのインスタレーションのために、塩田千春は初めて白い糸で150隻の船を制作した。

「船の白い表面に、自然や雪、純潔さが見えた。まるで新しい出発のように」とアーティストは話す。

2015年に開催されたヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館に出展した『掌の鍵』が、ボン・マルシェでの展覧会のきっかけとなった。

塩田千春は偉大なるアーティスト。ヴェネチア・ビエンナーレの展示作品では人間性のある現在、未来を描き素晴らしかった。この展覧会はル・ボン・マルシェにとって、大きなアヴァンチュールを表し、お客さまたちがこのアーティストを発見し、特別な体験を味わい、彼女のマジックをお持ち帰りいただきたい

とボン・マルシェの会長兼CEOのパトリス・ワーグナー氏は、語った。2月18日まで。

 


ベルリンのスタジオで塩田千春さん ⒸSunhi Mang


スタジオでの制作風景 ⒸSunhi Mang

 
スタジオでの制作風景 ⒸSunhi Mang




松井孝予

(今はなき)リクルート・フロムエー、雑誌Switchを経て渡仏。パリで学業に専念、2004年から繊研新聞社パリ通信員。ソムリエになった気分でフレンチ小料理に合うワインを選ぶのが日課。ジャックラッセルテリア(もちろん犬)の家族ライカ家と同居。



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