ジオフォニー
バイオフォニー
日常生活では耳にしない、美しい響きを持った言葉たち。
「サウンドスケープ」は、R・マリー・シェーファーが20世紀後半、ある瞬間にわたしたちの耳に届くすべての音を意味 する用語として提唱した。
サウンドスケープは3つの基本音源から構成される。
「ジオフォニー」は、風や水、大地の動き、雨といった非生物が発する自然の音のこと。「バイオフォニー」は、音楽家であり音響生態学者の米国人バーニー・クラウスが生んだ言葉だ。
「生命」を意味する「バイオ」と、「音」を意味する「フォーン」で生命の音を意味する。そしてもうひとつ。「アンソロフォニー」。これは人間が出す音。
バーニー・クラウス Ile de Saint Vincent, Floride, 2001 Photo : Tim Chapman
バーニー・クラウス(1938〜)は、変わった職歴を持つ。
60~70年代にかけて音楽家兼音響技師として、ザ・ドアーズやヴァン・モリソンと仕事をし、ポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』、コッポラ監督の『地獄の黙示録』のサウンドトラックの制作にも携わる。
が、ハリウッドのやり方にうんざりしてしまい(『地獄の黙示録』制作期間中、解雇と再雇用繰り返した。これだけではないと思うが)、40才でこの業界に別れを告げ大学院へ進学。海洋生態学の分野でインターンシップを経て、クリエイティヴアートの博士号を取得した。
彼はこの50年間に約1万5000を越える種の声を録音し、5000時間に及ぶ自然環境の音を収集している。
クラウスの著書『野生のオーケストラが聴こえる/サウンドスケープ生態学と音楽の起源』(みすず書房刊)は、わたしたちにすばらしい読書体験を与えてくれる。
この音響生態学者はゴリラに投げられたり、ジャガーに襲われそうになったり、原住民と暮らしたり、わたしたちの想像を絶する(強い精神を伴う恐るべく体力的な)活動から収集した膨大な音を科学的に分析し、音響学、音楽史、民族学、宗教の広い視点を交え、音風景の構造や音楽の起源を探り、本書の終わりには人間と自然の音の関係を根本から構築し直すという目標へと視線を向ける。
面白い逸話も散りばめられている。動物界で最も大きな音をだすのは体調3センチのテッポウエビで、スピーカーなしでグレイトフル・デッドより5倍の爆音をだす、とか、アントニオ・カルロス・ジョビンは鳥の鳴きマネの達人とか。
この本の電子書籍版なら、雪の音、ハリアリの音、人間に家族を殺され自身も傷ついたビーバーの嘆き悲しむ声、テナガザルのデュエットなど聴きながら、文字を追うことができる。ページをめくるごとに、自分の中の何かが呼び覚まされていくような1冊だ。
■ザ グレイト アニマル オーケストラ
キュレーター/エルヴェ・シャンデス同財団ゼネラルディレクター
カルティエ現代美術財団で、このバーニー・クラウスの活動から着想を得た展覧会『ザ グレイト アニマル オーケストラ』が開催されている。
クラウスの録音コレクションにある生息環境の約50%は危機に瀕しているという。その音が消えてしまう前に、人間の存在しない生き生きとした世界から聞こえる声にわたしたちが耳を傾けること。それが彼の願いだ。
この展覧会では世界中のアーティストの作品を集め、今危機に瀕している動物の王国について聴覚的に、そして視覚的に美的瞑想が体験できる。難しく考えないでいい。見ようとする、聞こうとするだけでいいのだから。
■オーケストラの舞台セット
メキシコの建築家ガブリエラ・カリージョとマウリシオ・ロチャが、ジャン・ヌーヴェルが設計した同財団をテラコッタのブロックで囲む舞台セットを制作。シンフォニーオーケストラを比喩的に表現した。
グランドフロアの展示室 Photo Thomas Salva-Lumento
■展覧会第1部 グランドフロア
この展覧会のために中国人アーティスト、ツァイ・グオチャンが火薬を使用して制作した全幅18メートル、洞窟絵画のような野生動物たちの平和でありながら迫力を与えるイメージ。写真家宮崎学が、ロボットを使用した「カメラトラップ」で撮影した野生動物たちの写真。
” A Black Bear Plays with a Camera “, 2006 (c) Manabu Miyazaki
コンゴのピエール・ボド、JP、ミカ、モケが描いた、動物の音楽家たちの色彩に飛んだ絵画は、米コーネル鳥類研究所チームが撮影したお笑い芸人のようで、そしてもうたまらなくキュートなニューギニアの極楽鳥と会話し、杉本博司によるアラスカ狼の静謐なジオラマがそれを監視する。
■展覧会第2部 地下
地下展示室 The Great Animal Orchestra Courtesy of United Visual Artists
人間が不在の野生の生命に満ちた世界を先端テクノロジーを駆使した2つのインスタレーションで体験。
ザ グレイト アニマル オーケストラ
バーニー・クラウス サウンド
ユナイテッド・ヴィジュアル・アーティスト インスタレーション
クラウスは収集した膨大な数の録音を分析し、野生動物たちサウンドスケープは音が重なることなく楽譜のようにそれぞれのパートで構成されていることを解き明かした。「対旋律と堅実なリズムがあって、まるで自然界のヨハン・セバスティアン・バッハである」と彼はサウンドスケープを例えている。
ここでは英ユナイテッド・ヴィジュアル・アーティストがクラウズが録音した7つのサウンドスケープを視覚化、クラウスが自作について語る仏写真家レイモン・ドパルドンとクロディーヌ・ヌガレによるムービーとともに編集された、とても美しいインスタレーションだ。
地下展示室 PLANKTON Photo Luc Boegly
地下展示室 Christian Sardet, Globigerinoides foraliniferan, Bay of Villefranche-sur-Mer, France 2016 0,5mm (c) Christian Sardet and The Macronauts / Plankton Chronicles
PLANKTON 漂流する生命の起源
クリスチャン・サルデ 写真・映像
高谷史郎 インスタレーション
坂本龍一 サウンド
生物学者で仏国立科学研究センター(CNRS)のディレクター、そしてタラ海洋プロジェクトの共同設立者であるクリスチャン・サルデが立ち上げたプロジェクト「プランクトン・クロニクル」で撮影した写真・映像をもとに、高谷史郎がインスタレーション、坂本龍一がサウンドを手がけたコラボレーション作品。
プランクトンの美しい写真がプレリュードのように並び、小さな映画館のように階段状に組まれた展示室へ導く。展示室の底に並ぶ9つのモニターに映し出されるプランクトンは、ストライプになり、そこからまた姿を現す。生命の起源は、サウンドに包まれながら、始まりも終わりもなく同じ運動を繰り返す。
■坂本龍一さんに聞く
カルティエ現代美術財団の屋上テラスで、坂本龍一さんがこのインスタレーションについて語ってくれた。
坂本龍一さん
PLANKTON は、素材が研究者のサルデさん、高谷さんがヴィジュアル、そして音楽、この3つの総合によるインスタレーションという形式の作品ですが、映画とも写真とも違う見方ができます。
どう見てどこから見てもいいし、1秒でも1時間いてもいい。そういう鑑賞ができます。ひとつの時間上のストーリーがあるものとは違う、インスタレーション独特の時間のあり方、作品のあり方がとても面白いと思います。
僕の場合で言うと、通常の音楽を創るよりも時間に縛られずに、はるかに自由な発想ができました。
プランクトンから生物や環境について考える人もいるでしょうが、ひとつの作品として自由に鑑賞してください。(展示室の中で)寝てもいいんですよ。僕もこれからあの中でボーっと寝ようと思ってます(笑)。
気がついたらまた同じようなのが続いている、というようなことを経験するのも面白いですよ。
作品を何度も見て聴いて、楽しみ方をみつけてください。
高谷さんとのインスタレーションはこれで4作目。お互いインスタレーションのアイディアが浮かぶとエクスチェンジしたり、小さな実験を試みたりしながら温め合っています。そういうアイディアがまだ3つ4つあるので、いつか実現させたいですね」。
階段の高さを変えて座ってみたり、床に寝転びながら居座ったり。プランクトンのように自分からだを動かしなが、様々な角度でこのインスタレーションに交わると、果てしなく新しい体験が生まれてくる。
Milan Music から” PLANKTON ” のCD(レーベル/Milan Music)もリリースされた(同財団のブックショップでも販売)。
CD PLANKTON
■ズググの墓
映画監督で写真家でもあるアニエス・ヴァルダが天国に逝った愛猫へ捧げたインスタレーション「ズググの墓」が、同財団のジャルダンに置かれいる。これは一緒に暮らした動物たちへの聖堂でもある。花や貝殻いっぱいのビデオに、思わずあたたかく涙する。
クラウスの作品のために立ち上げられたウェブサイト。
ここではクラウスのナレーションに導かれ、ジンバブエ、オンタリオ、カリフォルニア、ブラジル、太平洋の5つのサウンドスケープを体験できる。耳を澄ませ、聞き方を学び、動物たちと繋がろう。
カタログ
LE GRAND ORCHESTRE DES ANIMAUX / THE GREAT ANIMAL ORCHESTRA
カルティエ現代美術財団編 英仏語 ハードカバー 360ページ サウンドスケープのCD付き 45ユーロ
動物図鑑のように美しく、そして文献のような文献のようなカタログ。机上で、時を忘れて「野生のオーケストラ」を。
展覧会のカタログ
【インフォメーション】
LE GRAND ORCHESTRE DES ANIMAUX / THE GREAT ANIMAL ORCHESTRA
2017年1月8日まで
Fondation Cartier pour l’art contemporain
261, boulevard Raspail 75014 Paris
松井孝予
(今はなき)リクルート・フロムエー、雑誌Switchを経て渡仏。パリで学業に専念、2004年から繊研新聞社パリ通信員。ソムリエになった気分でフレンチ小料理に合うワインを選ぶのが日課。ジャックラッセルテリア(もちろん犬)の家族ライカ家と同居。