靴下の三笠・奈良工場 苦労重ね、国産が大きな武器に 

2020/02/23 06:28 更新


【ものづくり最前線】国産ルネサンス 靴下の三笠・奈良工場 苦労重ね、今、国産が大きな武器に 西日本物流センターや新工場も視野

 靴下メーカーの三笠は1962年に横浜で創業。量販店、生協などに靴下を販売、2000年代は中国製靴下の開発輸入などで業容を拡大した。2010年、企業の将来像を考えるなかで、卸からメーカーへの転換を決意する。最終的に工場を新設したのが奈良県葛城市。長く縮小均衡が続いていた奈良の靴下産地で、珍しい新工場の建設だった。現在の奈良工場は、新鋭編み機中心に約40台弱まで設備が増えている。 

震災直後の工場建設

 創業以来の歩みは、決して順風満帆だったわけではない。販売先の変遷、主力提携工場だった中国企業との間で起こったビジネストラブルなど、何度か大きなターニングポイントを乗り越えてきた。

 奈良工場を軌道に乗せる過程でも苦労が続く。工場建設を始めた直後に、東日本大震災が発生し、資材や大工の手配などに多大なエネルギーを使った。何とか稼働にこぎつけたが、実際の製造現場の知識に乏しいなかの工場運営は多難だった。

 最初に導入した編み機は相応に投資したが、古さゆえに実稼働まで時間を要す。旧知の靴下工場の社長が見学に来た時、「この編み機、幾らで買われたんですか? お金払わないと持っていってくれないぐらい古い機械ですよ…」。編み機の古さに加え、ベテラン職人たちのチームワークもうまくいかなかった。それでも、甘利茂伸社長は、自らの責任と受け止めながら、対応策を前向きに考えていった。

 人材確保が年々厳しさを増していた頃である。高齢の職人的な技術者しか扱えない古い編み機では将来は見えにくいと判断し、島精機製作所の「ホールガーメント」(WG)およびデザインシステム、永田精機の新しい編み機などに切り替えを進めていった。

ホールガーメントも大きな武器に

 その最中には、永田精機が編み機事業からの撤退を発表するという思わぬ出来事も生じた。永田は既に日本で唯一の靴下向け丸編み機メーカーだったため、「今後のメンテナンスなどを含め、これは大きなショックだった」と甘利社長は振り返る。

 その後、丸編み靴下機は順次、イタリア・ロナティの新鋭機に切り替えていくことになる。自動リンキング装置付きの新型機「SbyS」は、生産効率のアップにも大きな効果を発揮した。

 現在の設備は永田精機が15台、島精機のWG2台および5本指靴下編み機6台、ロナティのシングル10台およびダブル3台の合計36台となった。さらに3月には島精機の5本指向けが6台加わる予定で、合計42台体制になる予定だ。製造現場のスタッフも「靴下ソムリエ」資格を持つ田垣内(たがいと)健さんが48歳の最年長で、40代2人に20代1人と若返りを図った。

新鋭の靴下丸編み機が並ぶ奈良工場

増収基調を継続

 苦労はしたが、メーカー機能を確立した意義は大きく、既存、新規ともに販売が増えていく。特に生協ルートをはじめ、比較的年齢層の高い顧客が多い販売先には、やはりメイド・イン・ジャパンへの評価が高かった。商品も、シルク使いなど高品質な素材にこだわった5本指靴下などが好調に推移する。

 業界全般が厳しい状況のなか、19年12月期は約5%の増収を確保している。消費増税の影響などで10月は心配したが、11、12月と盛り返した。4期連続の2ケタ増収とはならなったものの、成長が続いている。

 「商品開発の可能性はまだまだある」と田垣内さん。設備の新しさはもちろんだが、「それ以上に、技術者の意識の高さが大きな武器になってきていることを実感している」。得意先、消費者からの声を受けた本社サイドの企画・営業から、様々な要望が来る。ただ、それを言われたままに生産するだけでは無く、素材や編み方などを変えたら、「もっと面白い靴下、靴下以外のこんな商品ができる」という工場からの逆提案が増えてきた。

 今、力を入れている開発商品の一つが、1年以上前から取り組んできたダブルシリンダーを活用した紳士靴下。紳士物はほとんど実績が無いだけに、今後の大きな柱として期待が高まる。秋頃に新商品を発表する予定だ。紳士靴下以外でも、次世代に向けた商品開発が今も続く。

裏シルクをはじめ素材にこだわった5本指靴下が好調

人材採用面でも貢献

 国産の比率は現在30%。ただ、外注が20%、自社はまだ10%にとどまっている。自社工場は、とにかく生産に追われる状況が続き、奈良工場のスペース自体も限界となってきた。

 これに対応して、次世代に向けた新たな投資に動き始めた。奈良工場と同じ葛城市には西日本営業所があり、既にその隣地を購入済み。現在は横浜物流センターで全国のデリバリーを行っているが、西日本の販売先も増えてきたことから、近い将来には、この隣地を西日本エリアの物流センターとする考えだ。

 一方、新たな工場建設も検討に入っている。奈良工場から700~800メートル離れた場所に約1320平方メートルの好物件をほぼ確保。現工場が約990平方メートルなので、かなり広い土地であり、場所も道路沿いの目立つところにある。地目変更などの手続きに1年ほど掛かるため、具体化はもう少し先の話になるが、現時点では丸編み系と横編み系の設備を分けるなどの構想を持っている。

 前向きな企業姿勢を好感してか、一昨年の横浜本社の営業職募集には、2人の採用枠に対し100倍近い応募があった。何よりもうれしい話題である。

甘利社長

《チェックポイント》工場発信の逆提案

 メーカー機能を持つことを決心した時、中国や東南アジアなども幅広く回った。既に中国は人件費などの上昇でコストアップが叫ばれていた時期。長く中国ビジネスに関わってきた体感から、東南アジアもいずれは同様のコストアップが必至と考えた。最終的に奈良に工場を置いたことが今日までの成長の大きな要因だ。

 後発だったゆえに、新しい設備導入もしやすかった面もある。奈良の靴下産地はOEM(相手先ブランドによる生産)が主だったため、どうしても生産現場は受け身になりがち。生産スタッフの「工場発信で様々な逆提案をしていく」という言葉が印象的だった。

 現在は物流部門の人員も生産現場に入るなど、人的交流も積極化している。

《記者メモ》さらに気を引き締めながら

  甘利社長の父は、政治家の運転手もしていたというユニークな経歴を持つ。奥さんが奈良の靴下工場の娘だった関係で靴下に関わることに。甘利社長は奈良の靴下工場での修行を経て、82年に三笠に入社、以来三十数年間、靴下業界の変遷を見てきた。どちらかと言うと雄弁な方では無いが、生産・販売に関わらず、現場に足を運んで自分の目で確かめようとする姿勢が印象的だ。国内外の情報を頻繁に発信するホームページ上の社長ブログは一見の価値がある。事業は堅調になってきたが、上海の現地法人の方向性、近く再構築する予定のEC関連事業など、「まだまだやるべき課題は多い」と気を引き締めている。

(山田太志)

(繊研新聞本紙20年1月29日付)

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