最近、〝コンテンツ(中身)〟という言葉をよく見聞きする。そもそもはインターネットなど情報サービスで提供される文書や映像、ゲームソフトなどを指していたが、今はありとあらゆるモノやコトがコンテンツと呼ばれるようになった。
『人がうごくコンテンツのつくり方』(高瀬敦也著)によれば、出版社における「本」、テレビ局の「番組」、メーカーで「製品」と呼ばれていたものが、総じてコンテンツに置き替えられるようになっているという。「つくったモノを様々なメディアでマルチユースするのが当たり前」になり、便利な言葉として定着してきたらしい。
ゲームソフトの映画化やキャラクターグッズの商品化など〝スピンオフ〟企画の広がりがマルチユースの一例だろう。銭湯や喫茶店、書店など減少の目立つ業態にあって、スーパー銭湯や「スターバックス」「蔦屋書店」が増えてきたのは、利用目的とともにコンテンツを変えたからではないか。
音楽、本、服…。どんな業界でも、売れていない物がある一方で、売れている物が必ずある。その違いは、ブランド名や題名に込められたコンテンツの差ではないか。先の著者はコンテンツを作る時の「究極の目的は『伝承』」と考えている。伝えたいコンテンツのないブランドには共感しないだろうし、記憶にも残らない。