京都市西北部にある高雄山・神護寺は、紅葉の名所として名高い。最澄や空海も籍を置いたことがある奈良時代からの古刹(こさつ)である。交通の便が良くないこともあって、オフシーズンは訪れる人が少ないが、それでも神護寺だけを目的に来日したというアメリカ人の若い女性の姿も。厄落としに効くという名物「かわらけ投げ」を楽しんでいた。
長い歴史のなか、数々の苦難を乗り超えてきた寺である。幾度かの火災のほか、鳥羽法皇の怒りに触れた時は、壊滅的な状況になった。近代以降も明治維新後の仏教排斥運動で荒廃し、訪れる人がほとんど無い時期があったと聞く。
1930年代、多額の寄付を行い、神護寺の金堂を再建したのが山口玄洞という実業家。広島県尾道市の出身で、大阪・船場で洋反物を扱って大きな財を成した。大阪の織物組合、大手紡績の役員などを歴任。晩年は仏教に帰依し、京都に在住して様々な文化財の復興に大きく貢献した。
現在は同氏の流れをくむ繊維企業は存在しない。ただ、船場の備後町にあるシキボウ本社の斜め向かいに、かつて山口家が所有したビルがあり、今も山口玄ビルという名が残っている。時代が変わり、繊維産業は大きな収益を期待できる業界ではなくなった。ただ、得た収益を社会に還元するということの価値はいつの時代も変わらない。