「マメ」(黒河内真衣子)が飛躍の時を迎えている。
立ち上げから5年が経ち、15~16年秋冬の国内卸先は60~70店に広がった。15年春夏にはパリ展をスタートし、16年春夏からはニューヨークのショールーム、ザ・ニュースでの取り扱いが始まる。
“日本のマメ”から“世界のマメ”になっていく、今はそのタイミングだ。黒河内に、海外展の手応えやめざすブランドの形を聞いた。
"石ころを集めて、気付くと岩になる。そんな感じ"
――15~16年秋冬物に込めた思いは。
ベースにあるのは宮本輝の小説の「錦繍」です。それを読みながら旅した軌跡がテーマになっています。たまたまその小説に「山形のドッコ沼で再会する」というフレーズがあって、丁度自分も東北に興味があったので、じゃあ行ってみようとなったのが始まりでした。
その道中で、青森のこぎん刺しなどの日本の伝統的な技法に出合って、それを今の自分なりの解釈でどう洋服に落とし込もうかを考えていったシーズンです。東北に留まらず、青の色味で影響を受けた出雲の出西窯など、製作期間中に出合った様々なものから、色や生地などの着想源を集めていきました。
インスピレーションを集めるのは、石ころを少しずつ拾うような感じです。その時はつながらないけれど、小石を拾って記憶したり、メモしたりしていくと、「あ、岩だった」という感じ。大体いつも自分のアンテナにひっかかるものがあると、どこかでリンクしていきます。
小説の一説から、なんとなくそこへ行くべきと感じて探しに行くと何かに出合う。そういう感覚を今すごく大切にしてます。16年春夏に向けては、九州に行ってきました。九州で何となくアメリカに行くような手がかりを得て、アメリカにも行っています。
"海外では見た目の強さが不可欠。モノの強度を高めたい”
――16年春夏から、「サカイ」なども契約していたザ・ニュースでの取り扱いが始まる。
ザ・ニュースと組んで、今後はパリとニューヨークで展示会を行います。ザ・ニュースとは以前から交流があって、サンプルも何度か見ていただいていました。いつからマメを扱うべきか見極めていたと思うのですが、16年春夏は双方にとって丁度良いタイミングだったので、挑戦することになりました。
パリ展は、満を持して「よし、パリだ!」と行ったわけではありません。徐々に取り扱い店舗が増え、海外のお店からも問い合わせが来るようになってきました。東京での展示会だけでは海外バイヤーはなかなか来場できないから、じゃあパリで見せようかと自然とそうなったんです。
やってみて、手応えはすごく良かった。卸先も広がったし、バイヤーから直接意見を聞けたのも大きい。15年春夏の海外卸先は14店、秋冬はミラノのエクセルシオールなど数店が増えます。パリ展で手応えを感じているから、ザ・ニュースとの取り組みも前向きに感じています。
――15~16年秋冬物は、これまでより迫力が増した印象を受けた。パリ展で何を得たのか。
海外のバイヤーは、ものに対してすごい速度でジャッジをしていきます。日本のバイヤーさんとはしっかり話ができるので、背景のストーリーなど、私たちの伝えたいことを理解してくださる方が多い。それはとてもありがたいことです。
海外にもそういうバイヤーさんはいますが、言葉の違いもあって、ストーリーよりもパッと見た時の強さで判断する人が多い。だから、ものとしての強度をもっと高めていかないといけないと感じています。
いいもの、気に入ったものは値段に関係なく評価してくれるとも感じました。まだそんなに売れているわけではないですが、手の込んだ刺繍のピースに興味を示してくれるバイヤーがたくさんいましたから。値段どうこうでなく、ブランドとして強いもの、このブランドだと分かるものを支持してくれる。
「サイズが小さい」とはよく言われたので、それは課題です。当初1サイズ展開だったものを今は3サイズにしていて、今後も増やしていく考えです。
"慣れるのが怖い。常に子どものような発想でいたい"
――立ち上げから5年。パーソナルな世界を丁寧に伝えるもの作りの芯の部分は、当初から変わっていない。
いま、スタッフは自分を入れて5人、外部は営業やプレスなど3社と組んでいます。ブランドを始めた時から、何年後にこうなっていくというビジネス計画を自分の中で立てて進めてきました。この5年で私自身成長していると思いますが、あんまり変わっていないかな。今は「変わらなきゃ、もっとしっかりしなきゃ」というよりも、より子どもに戻ろうとしています。
もの作りをしていると、大変なこと、経営者として判断しないといけないことが沢山ある。でも、それだけだと表現したいものが狭まってしまいます。常に子どものような発想で、物事を捉えられるようにしていたい。慣れてしまうことが一番怖いから、品質にしてももの作りへの考え方にしても、大変だけど常に初心を保つようにしていたいと思っています。
東京にいると実務的な忙しさがあって、机に座ったからといって絵が浮かんだり、想像が膨らんだりするものではありません。色んなものを遮断して、今は考える時間を意識的に取るようにしています。出張に行くのもそうですし、都内に居ても、事務所に詰めるのではなく何かを見ている。一人だけでやっている時はできなかったけど、今はスタッフが増えたからできるようになりました。
会社として、今がビジネスを大きくする時だと気張るのではなく、むしろその逆です。作ることに対して、自分達がより自由であれる方法を模索していいきたい。それができるのは人のおかげです。いい営業、いいプレス、いい海外のショールーム。そういう出会いがあるタイミングだから、彼らに力になってもらいながら、私はもの作りに集中しようと思っています。
"ブランドを続けるために、今だからこそ謙虚に、地道に"
――直営店出店や、ショー開催を期待する声もある。今後、ブランドとしてどんな形をめざすのか。
自分達の中では、お店やショーをやりたいという気持ちは今はありません。それよりも、もの作りの強度の面でトライしたいことがたくさんある。そのために少しずつスタッフも増やしてきました。ビジネス的なアクションは外部のチームに任せて、我々はどうやったらもっとマメらしい、いいものを作ることができるかに投資していきたい。
例えば、オリジナルで作成できる素材には限りがあるけれど、毎シーズン少しずつ増やしています。縫製の強化もそう。生産数が増えれば工場さんに負担になることもあるだろうから、製品がどういう環境で縫われているかを把握していくことも必要です。
もの作りって、良くしようと思っても、次の日に良くなるわけではありません。何かミスがあったとして、ハイ、直してと言えばすぐに改善するものではない。関わってくださる人数がとても多いし、私達が作りたいものがすごく難しくて、生産に時間のかかるものだから。
それをしっかり理解した上で、工場と私達の双方にとって、ウィンウィンな関係で伸びていけるようにと考えています。工場とやり取りすると、こんなことができるんだって毎回びっくりします。一つ一つのデザイン、技術の中に発見がある。それをどう料理してお客さまに提示するか、そこは私たちの努力次第で、世の中に出していく責任を感じています。
ブランドは続けることが大変です。5年後に10周年を迎えられるように、焦らず、ゆっくり様々なことをこなして、ブランドを育てていきたい。
「わーい、売れた」ではなく、今だからこそ謙虚に、地道にものを作ることに向き合わないといけない。色んな人にブランドが認知され始めていると感じるので、その人達の期待を裏切らないようにしないといけません。今はいい意味で焦っています。頑張らないと。