【理想の店を目指して シンゾーン㊥】店舗拡大とオリジナルで強み

2021/05/02 06:27 更新


 満を持してオープンした表参道店だったが、小売店の運営に関する経験もない染谷真太郎にとって、しばらくは「何をやってもうまくいかない時期」が続いた。

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驚きとふれあいを

 そんな中でも続けたことの一つが、父で社長の染谷裕之の「お客様にうれしい驚きを提供したい」という言葉から生まれたサンキューDMだ。購入するしないにかかわらず来店した客には台帳に記入してもらい、カルテのようなものを作って、スタッフ間で共有できるようにした。客が来店したその日に来店を感謝する葉書を書いて、閉店後の帰り道にポストに投函する。「リピーターが増える一つのきっかけになった」というこの取り組みは今でも継続している。「ふれあい広場を作りたい」というアイデアも出た。買い物をせず、スタッフと話すだけでも人と人とのふれあいから「行ってよかった」と感じてもらう。英国留学中に「ヤスミンチョウ」で飲み物をふるまってもらい、衝撃を受けた体験を生かし、自店でも紅茶やコーヒーなど飲み物を提供するサービスを取り入れた。

 この時期は、ヒット商品が生まれたわけでもなく、必死に頑張り続けた日々だった。徹底していたのは、来店してくれても似合う物がなかったら売らない。そして「今日買ってくれたのは靴下でも、次はコートかもしれない。何を買っていただいたときも同じように接客しなければいけない」ということだ。

 実績も上がらないのに、理想は高く掲げた商売を「おままごとだ」と言われたこともあった。自分の提案するものが理解できない世の中が悪いと周りのせいにすることもあった。だが、批判の声は「今思えば自分を奮起させてくれた」。試行錯誤の中で、店は自分の責任で育てていかなくてはいけないという自覚もしだいに芽生えていった。

 卸先の縮小で「バレンシアガ」の販売ができなくなったことが一つの転機になった。店を始めたときからこのブランドへの思い入れが強かったため、いっそ「もうやめようか」との考えも一瞬頭をよぎった。だが、気持ちを切り替え、販売する商品の価格帯を見直すことにした。オープン前後は、ハイブランドを自分の店独自のスタイリングで売ることにこだわっていたが、「大切なのはシンゾーンが提案するスタイルが支持されること」だと考えた。

 この時期から手に取りやすく、価格もミドルレンジの仕入れ商品を増やした。同時に「あまり知られていないブランドでも、自分たちが提案することでそのブランドの役に立とう」と認知度がそれほど高くないブランドも積極的に扱うようになった。

 オープンして4年が経とうとするころ、ようやく黒字化し日割り予算を達成できるようになった。店の認知も広がって、オリジナル商品の卸売りも軌道に乗った。当時のオリジナルは上品なリアルクローズの「マイ・ダルタニアン」、デニムを軸に品のあるスタンダードアイテムで構成する「ミラーオブシンゾーン」だったが、それらを大手や地方の個店専門店の約20件に卸すようになっていた。

店は自分のものでない

 07年の4月に銀座のベルビア館に直営店、8月には伊勢丹新宿本店に常設の売り場を持った。3店舗になった翌年に北海道・札幌に店を出した。地方の出店候補地は他にもあったが、当時の札幌の販売代行会社が販売員に取ったアンケートでシンゾーンの名前が上がり、声がかかった。せっかくならと出店を決めた。シンゾーンの認知は最北の地でもある程度広がっており、目指すホスピタリティーやサービスの意味をスタッフもすぐに理解してくれ、最初の店よりすんなりと軌道に乗った。

13年ごろの札幌店。現在は場所を移転している

 都内でも丸の内やルミネ新宿への出店が続いた。食器やスキンケアなどのライフスタイルグッズも店で売るようになり、それまでの店舗では手狭になったことから、表参道店は倍の面積の場所に移転した。売り場が広くなれば、その分売り上げも伸びると考えていた。しかし、思惑ほどにには売れず、増床で家賃も上がり、必要な人員も増えるなどコストがかさみ利益は出なかった。

 期待を持って拡張した旗艦店だったが、15年10月に店を閉めた。「究極の選択だったが、これを機に立ち直す自信は不思議とあった。スタッフが落ち込まないように心を砕きつつ、最後の1週間は店に立った。お客様に『憩いの場がなくなるのは困る』と言われて、店は自分のものじゃないんだと気づいた」。15年4月に大阪・梅田のルクアイーレにも出店していたが、これも売り上げが伸びず、毎月の赤字を繰り返し1年3カ月で退店することになった。

オリジナルで〝らしさ〟

 15年の春にオリジナルを統合しブランド名を「ザ・シンゾーン」と改め、シンゾーンらしさや原点に立ち戻ろうとデニムアイテムに特化していくことを決めていた。02年ごろから岡山に行ってデニム作りを学んでいて、表参道店を閉めるときに「強みをボトムにして、それを軸にやっていこう」と改めて考えた。セレクトショップが同質化していた中で、世の中で売れているからと企画していた商品もあったが「売れるけど作らない」という決断が状況を変えた。物作りを妥協せず、品質の良いシンゾーンらしい物がきちんと伝わるようになっていった。カットオフのストレートジーンズやベイカーパンツなどじわじわとオリジナルのボトムに火がついた。

 16年に本社のショールームで金曜と土曜のみオープンするザ・ウィークエンダー・バイ・シンゾーンを始めた。17年にはシンゾーンで大事にしてきた古着を別の形でやろうと、プレラブドを青山にオープンした。

17年5月ごろまで続けていた、ザ・ウィークエンダー・バイ・シンゾーン

■シンゾーン

 01年3月、渋谷区神宮前に表参道店(1号店)をオープン。01年にオリジナル「マイ・ダルタニアン」、04年に「ミラーオブシンゾーン」をスタート。07年、東京・銀座ベルビア館(10年閉店)と伊勢丹新宿本店に出店(11年閉店)。08年、札幌店オープン。09年、表参道店を移転。15年春夏からオリジナルを統合し「ザ・シンゾーン」に改名。表参道店は15年10月に閉店、19年11月に移転再オープン。現在、シンゾーンは4店。16年、本社ショールームでザ・ウィークエンダー・バイ・シンゾーンをスタート。17年、ビンテージショップ、プレラブドをオープン。20年、アーカイブショップのミドリコーヒをオープンした。

(繊研新聞本紙21年3月1日付)



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