【私が駆け出しだったころ】若手時代の苦労と失敗、学んだこと

2023/04/17 06:29 更新有料会員限定


 繊研新聞・電子版は隔週の金曜日に、ファッションビジネス業界で働く新入社員や内定者に向けた業界基礎講座「FB(ファッションビジネス)プロフェッショナルへの道」を掲載しています。データやランキングでみる業界構造や、川上・川中・川下の商流ごとにどのようなビジネスを行っているのかをわかりやすく解説。業界の大先輩に若手時代の苦労や失敗、学んだこと語っていただくコーナー「私が駆け出しだったころ」も好評です。今回は、2月~4月に掲載した5人を紹介します。


TSIホールディングス社長 下地毅さん 自分の考え、もっと発信を

下地毅さん

 学校を出て企画職として最初に入社したのはラングラー・ジャパン。半年くらい経ったころでしょうか、「パンツ2本を好きにデザインしてみろ」と言われ、サンプル作成の仕様書を書いたのですが、85センチの股下を65センチとしてしまいました。しかも、どう間違えたのか、そのまま本生産に入り1500本が上がってしまいました。

 先輩にはえらく怒られましたが、なぜか顔は笑っていました。当時は今ほど細かくなく、自分が大丈夫かと心配したほど。アパレルを大量生産し、それがさばけてもうかっていた時代。若い社員の失敗は、大きな商いのちょっとしたコスト増感覚だったんでしょうね。今では考えられませんが、おおらかな時代でした。

大量生産と小ロットの両極

 1年経たずして子会社への異動を希望してかない、「バスコ」というブランドのアシスタントデザイナーになりました。最初の会社とは真逆で、生地1枚たりとも無駄にするなという所。自分たちで裁断し、生地ロスが出ないように工夫しました。小さい会社だったので色々なことを任され、物作りの一つひとつの重要性を学ぶことが出来ました。大量生産と小ロットの両極を経験できたのは良かった。面白かったのは、仕入れの生地です。例えば同じチノでも生産性やロット、販売先で小売価格が変わってくることです。

 最初の2社は、基本は日本生産だったのですが、90年に上野商会に入ってからは海外生産を経験することが出来ました。韓国ではレザー商品をたくさん作っていましたしね。その後は、どんどん中国に移っていきます。

 量を作るわけですが、日本の精緻(せいち)なパターン技術と当時の海外でのラフな作り方をうまく融合させて、チープに見えない製品作りに取り組み、四苦八苦したのを思い出します。それでもよく売れていたので周りにはイケイケに映っていたかもしれません。上の言うことも聞いていませんでしたから。

市場知るのは若者社員

 今の若者に、「自分みたいにしなさい」とは言えません。時代背景が全然違いますから。失敗しても許されるおおらかさは今はない。それでも、振り返ると、若い人が一番感覚が鋭いし、市場も分かっている。今も昔も変わりません。だから、作る経験を重ねて、自分の考えをもっと発信すればいい。作り方を知っている先輩社員は感性にまで口を出してきますから簡単ではないですが、若者だけの特権です。もっともっと物作りにこだわって、もだえてもいい。今の市場に要求されるのは、そんな商品ですから。自分も経営者として応援したいと思っています。

(繊研新聞本紙23年3月24日付)

「アヴァケーション」デザイナー 吹上肖さん お金を払う価値を実感したセレクトショップの販売

吹上肖さん

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