ファッション教育の現場で、産学連携による実践的な教育プログラムが増えている。学校側は即戦力となるような学生を育て、就職率を上げたい。企業側は他産業との人材の奪い合いが激化する中で、優秀な人材を早期に確保したい。そうした両者の思いが交錯し、インターンシップを含むカリキュラムを各校が採用している。
そのような実践力ももちろん大切だが、自由なクリエーティビティーを育てることもファッションビジネスの未来を創る上で欠かせない要素だ。「リトゥンアフターワーズ」のデザイナー、山縣良和が主宰する「ここのがっこう」は、独創的なクリエーションを生み出す稀有なファッションスクールとして、国内外で認知を高めてきた。
“ファッションの否定は人間の否定のようなもの”
——改めて、ここのがっこうを始めた経緯は。
08年にここのがっこうをスタートする前から、専門学校や服飾系大学などで講師をしていました。そこで僕が話をすると、全員ではないけれど話に興味を持つ子がいた。それで、僕の経験や考え方をもっとダイレクトに知りたい子が来てくれる場所があってもいいかもしれないと思ってここのがっこうを始めました。
僕自身、日本と海外の両方の教育の特徴を見てきた。海外ではデザインやクリエーティビティーに特化して勉強してきたので、そういう風に勉強できる環境、教育機関が日本にもあってもいいなと思ったんです。
日本の服飾専門学校はクリエーティビティーというよりどちらかと言うと洋裁寄り。それはそれとして世界の中でも高いレベルにある。だったら、僕はそこではないところをやる。そんな役割になればいいかな。
——スタートしてから6年が経った。自身が変わった点や得たものは。
考え方が深くなった。ファッションの本質的な捉え方とか歴史とか、そういうものをもっと深く生徒に伝えたいなと思って、常に学ぶ姿勢を持つようになりました。
僕にとって、ファッションってむちゃくちゃ広いものなんです。いわゆる「アパレル」とは違うところを捉えている。ファッションは個で成立するのではなく、全ての連動性、関連性で成り立っているもの。
たとえば、素粒子と素粒子が合体して原子になり、それが合体して物体になり、それが原料や繊維になる。それを紡いで糸になり、糸が織られて布に、それが服に、という具合に段々と人間の装いになっていく。更に、人間と他の人間がいてそこに流行があり、人間だけでなく環境も含めて成立するものがファッションです。
だから、ファッションっていわゆるアパレルという意味よりももっともっと広大なものだし、面白いもの。ファッションの否定は人間の否定みたいなものです。ファッションクリエーションの核は新しい人間像だと思う。どういう人間像、生き様があって、そこにどういう現象や行動があるのか、全てを含めてです。
こういう考え方はセントマーチンズで学んだわけではなくて、自分の中で徐々に培ってきました。ここのがっこうをやっていることで、そのネットワークからも刺激を受けています。ここのがっこうの教育方法に興味を持った数学者や言語学者、複雑系の研究者などと関わることがあるんですが、彼らと話していると発見がある。
彼らのようなファッション外の人にどうやったらファッションの魅力を伝えられるだろうと考えていくと、本質的な話をしないといけない。その中で、僕が言いたいことはこういうことだったんだなって気付く。こうしてどんどん考えが深まりました。研究者をゲストに呼んで学生と絡ませたりすると、学生にとってもすごく刺激になります。
生徒の経験値はバラバラだが、ダブル、トリプルと他校と掛け持ちで来る生徒も多く、モチベーションは高い 写真:ただ(ゆかい)
”教え子のショーを見て、まずい、ヤバイぞと思いました”
——周囲の反応も変わってきた。
環境は変わりました。見られ方が変わったというか。当初は「何やってるの?」という目で見られることが多かったけど、続けて成果も出てきて、徐々に応援してくれる人が増えた。
若い世代の仲間も増えました。ここのがっこうだけで既に400人に教えてきたし、他でも教えているので総合したらすごい人数になります。「ファッションのことをこういう風に広く考えたらいいのに」っていう僕の思いが少しずつ広がって、仲間が増えた感じがあります。
同時にライバルも出てきた。自分が教えた子達が、メルセデス・ベンツ・ファッション・ウィーク東京などで発表をするようになってきました。たとえば、15年春夏のウィーク中にあったプレゼンテーション「東京ニューエイジ」の参加メンバーも教え子です。発表を見て面白いと思うと同時に、そのフレッシュさがヤバいと思った。まずい、完全にヤバいぞと。ヤバいと思いつつ、こういうのっていいなと感じました。
「東京ニューエイジ」に参加した卒業生。(左から)「アキコアオキ」(青木明子)「リョウタムラカミ」(村上亮太、村上千明)「コトナ」(山下琴菜)
——海外のファッションコンクールの入賞者も輩出している。
海外のコンクールで、いま日本人はクリエーティブで面白いって言われるようになっている。イタリアの新人コンクールのイッツで、14年は教え子を含む日本人4人が入賞しました。審査員の有力ブロガー、スージー・ロウも「日本人の波が来ている」と記事を書いてくれた。一方で、スージーには日本人のコミュニケーション力が低過ぎるとも指摘された。「学校や先生に問題があるんじゃないか」って言われてドキッとしました。
ここのがっこうはまだ6年しかやっていないので、入賞者は今後もっと出てくると思う。そういう学生がたまに日本の賞にノミネートして入賞することもあるけれど、日本の市場はこういう子たちのクリエーションを学生の段階で評価する受け皿があまりないと感じます。
いま世界のファッションコンクールでは、イッツとフランスのイエールが一番認知されている。あの二つは質が高くて圧倒的なんです。
世界基準のかっこいいものが共有できて、いま新しいクリエーションはこれだよねっていうことが共有できる。現地に行くと感じますが、あの二つは組織がすごい。オーガナイザーにカリスマ性があって信頼されていて、世界各地からジャーナリストや先生が来る。世界が動いているという感じがする。
更に、スカウティングの組織もある。イッツで入賞すると、自動的にスカウティングの組織に登録されて、世界的なメゾンが見る場所に上がることができる。二つのコンクールはデザイナーの世界のシンジケートの中心軸というか、コミュニティーの中にある。ファッションの世界ってそうなっているんです。日本に居て、そういう場所に足を引っ掛けられる機会って少ないですよね。
ここのがっこう出身の「ノリコナカザト」(中里周子)が、14年のイッツでジュエリー部門のグランプリを受賞した
“日本にいると多様性を保つことが難しい”
——日本の市場は、新しいものがどんどん出にくくなっている感じがある。
日本は人種が少ないから、一つの考え方にがんじがらめになってしまって、多種多様を保つことが難しい。
ヨーロッパにいると、多種多様なクリエーティビティーが認められる空気があります。僕が学んだイギリスも人種のるつぼだったし、卒業後の就職先もEU全体で探すから、クチュール、プレタポルテ、ファストファッション、スポーツウエアと幅広い。自身の作風によってバラけることができるんです。
一方で、日本は就職先は日本だけとなっちゃう。アジアとの仲も今は良いとは言えないので、お隣の国に行くというのも難しい。こんな風に就職するにしても価値観がすごく狭いから、こうしないと就職できないという概念がすごい充満している。
それでは世界と勝負できません。僕が教え子に海外コンクールへの応募を薦めるのは、世界にはもっと色んな可能性があるって知って欲しいから。その方が面白いクリエーションが生まれますよね。世界中にバンバン散らばるのがいいと思う。もちろん、それには言語やビザの問題など壁はたくさんありますけど。
——そんな中で、ここのがっこうの生徒たちはどう動いているか。
世の中の価値観を変えるのはすごく難しいことだから、徐々にやっていくしかありません。若い子達は彼らなりのネットワークを作って、小さい規模だけど経済をまわそうとしている。
ここのがっこうの生徒には色々な人がいて、刺繍がやりたい子が自身の工房を開いたり、テキスタイルのコンバーターみたいな動きをする子がいたりと幅広い。そこの間で小さなネットワークができて、その中で経済がまわり始めている。
彼らは彼らなりの経済の作り方、生き方を見出し始めているんです。今後3年、5年、10年と見続けていたら、もうちょっと大きなネットワークになっていくと思う。僕がやってきたことも同じです。最初はすごく小さかったけど、今は日本だけでなく世界ともつながれるようになってきているから。
彼らの動きは、新しい経済を作ってそれをどんどん主流化させていくものです。今の業界の問題の一つとして中間マージンが多すぎるということがあるので、そこをダイレクトにやったりもしている。
難しいですけど。業界全体として今は模索期だと思う。本来の流通経路だけでものごと考えていても危険だし、かといってそれを全く無視するのも難しい。だから、うまくバランスを取ってやっていくのがいいんじゃないですかね。
——クリエーション重視の「リトゥンアフターワーズ」に対し、ちゃんと売っていくベーシックライン「リトゥン・バイ」を14年秋に立ち上げるなど、自身の考え方のバランスも変化してきている。
リトゥンアフターワーズで13年春夏に“セブン・ゴッズ”(写真下)のショーをやって、自分の中で切りがついたんです。よし、次に行こうって。
“自分は脱線系ですが、本流もやろうかなって思った”
僕は普通のことをやらずにずっとイレギュラーなことばっかりやってきたから、今の僕にとって次のステップはレギュラーなことだなって思いました。レギュラーをやった方が自分にとって辛いだろうし新鮮だし、成長になる。レギュラーなことの大切さをやっていきたい。
だから、アフターワーズは守りつつ、リトゥン・バイもやって、両方をやった強さを持ちたいなと思っています。僕、今まで完全に本流から逃げてきましたからね。自分は本流じゃない、脱線系です。今までは逃げてきたけれど、本流もやろうかなって思った。これからも逃げ続けますが、どっちもやろうって思ったんです。
リトゥン・バイは、ファーストシーズンからコムデギャルソンのドーバーストリートマーケットギンザに入りました。自分としていいスタートが切れたと思う。デザイナーのあり方としては僕流のやり方をめざしているけれど、参考にしているのはコムデギャルソンの川久保さんです。
コムデギャルソンってレイヤーがあるじゃないですか。僕もリトゥンアフターワーズをレイヤー的に考えている。80年代にコムデギャルソンが世界に出た時、川久保さんは40代。50代で地盤をいっそう固めて、60代でドーバーストリートマーケット、70代でまたクリエーションで強いことをやっている。
ブランドをレイヤー化して、各年代で戦えることを増やしていっている。僕もリトゥンアフターワーズというブランドをそんな風に考えています。リトゥン・バイも一つのレイヤー、ここのがっこうもその一つです。
——教育機関やファッションを志す学生に伝えたいことは。
教育機関に対して思うのは、世界を見ていくことが大事ということ。日本だけの常識で考えないことが大切です。日本内だけでもなんとなく生きていくことはできますけど。まあ、それで本人が幸せだったらもちろんいいんですけどね。
学生は、世界に目を向けて、世界を見ること。世界を体験し、コミュニケートすること。そのためには、自分のことや日本の文化や歴史、自分のルーツを知ることが大事です。
日本もつまんないわけじゃないけど、世界にはもっと色々あるよ、世界に出て行くと自分自身がもっと広がるよ、働き方としてもっとフィットするところがあるかもよと伝えたい。若い子が息苦しそうだとか思ってるわけではないけれど、やる気があるんだったら海外に行っちゃえば?見ちゃえば?って思うんです。
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